山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

ひとりめし

Googleカレンダーに何の予定も入っていない日は嬉しい。

昨日も寝たのは遅かったが、なんとか午前中のうちに起きて、昼には家を出て、とあるオフィスへ。最近、ちょこちょことここで仕事をしている。人がいる空間は緊張できていい。おやつとして羊羹を勧められた。

先輩のライターさんと話していて、「テープ起こしの原稿からどうライティングしていくか」という話になる。我々は、一冊を書くために少なくとも12、3万字分はインタビューをする(時間にすると10時間〜20時間というところ)。とりとめのないその話のつまったテープ起こし原稿を、各章に合わせて整頓していく作業がけっこう大変だ。私は色付き付箋を使ったり、文章に蛍光ペンで線を引いたりするのだが、我流なので、他のライターがどうしているのかまったくわからない。先輩氏に聞いたところ、ブックライター塾の先生のやり方も私と同じようなものであった。まあやっぱりそうなるのかな。

先輩氏「でも、最終的にはワード上で探しちゃうんですよね……」
小池「同じくです」

20時に会社を出て、立ち飲み屋で生姜焼き定食を食べる。立ち飲み屋という場をもっと活用していこうと思うのだが(安い、滞在時間が短く済むなどの利点から)、私が根本的に、飲み屋にいる人たちをあまり好きでないのが問題だ。快適な食事というものについて考える。

夜、とある人と長く、久しぶりに心情を話し合った。そのときに食事の話が出た。

私は子どもの頃から食事を一人で食べることが多かった。中学以降は自分で作るか、買い食いかをしていた。うちは母子家庭な上、兄弟全員の行動パターンがバラバラだったからだ。魚とピーマンを焼いてご飯と一緒に食べるか、安いメロンパンを買うことが多かった(これを食べ過ぎていた日々を思うとゾッとする)。

その人は「ひとりでご飯を食べたいと思うことはない」と言い(確かにいつも誰かと食べている)、私は「ご飯はひとりで食べるものだという思い込みが抜けない」と言った。けれども、実際は最近、ひとりでご飯を食べるときにいろいろと戸惑う。自分のためだけの料理にはあまりガッツがわかず、外食は栄養バランスを考えるのが面倒だ。子どものときは選択肢が少なかったのだなと思う。

ところで今日はタロットをすごく活用した日である。朝からひっかかっていたことがあり、それについてアクションを起こすか起こさないかを考えるためにオフィスの机で20分くらいカードを引き続けた。

占いは「当たってる当たってない」がどうしても言及されがちだけど、本質的には「考える」ためのツールである。人間、なかなかひとりだとものが考えられない。なにか外部刺激が必要なのだ。タロットは、そうしたツールのなかでも特に洗練されたもののひとつである。

策を講じずにそのまま話したところ、「これが最善だったな」という結果になった。これは「タロットが当たっていた」のではなく、「タロットを使って考えて動いたら、納得できた」ということなのだ。

2時就寝。

 

<今日の小池>

朝 納豆 ヨーグルト チーズのパン

昼 ようかん

夜 生姜焼き定食

ヨガ やってない

メモ 生姜焼き定食の味が濃かった。飲み屋だしな。