山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

それができない理由は

 6時前に起きて仕事をする。
 昨日からファスティング(断食)をしていた。今日は回復食の日だったので、YouTubeで見かけて興味のあった「スッキリ大根」を作って食べる。茹で大根はストレスなく食べられたが、梅干しが嫌いなので梅湯はつらく、大量に飲んだらかなり気持ち悪くなった。ただし、効果はたしかにあり胃腸の調子はすこぶる良い。
 今回ファスティングをしてみてわかったのは、普段の生活が相当腎臓に負担を与えているらしいということだ。食事を断って数時間で背中の腎臓の位置がどんどんだるくなり、強烈な眠気と合わせてかなりインパクトがあった。1日断食(準備1日、断食1日、回復1日)はそんなに体に負担がかからないし、内臓の休暇にはなりそうなので今後も月1くらいはやろうかと思う。

 ここ数日、某スター編集者のスキャンダルから多少の刺激を受けて、ブックライティングという仕事に感じていることを長々と書いてみていた。だけど途中で嫌になって止めてしまった。私はどうでもいいことを長く書きすぎる。
 Tという少し年上の、クレバーな友人がいる。地方の辺鄙なところで、日本人の平均的生活からはかけ離れたシステムを構築して生きている人だ。彼はいろんな活動をしていて、その中には著述も含まれる。
 彼とは4年ほど前、知り合ってすぐに突っ込んだ話をし合う仲になって、ある時本づくりの話になった。彼はブックライティングという仕事には納得がいかないという。それはやっぱり著者の言葉とは言えない、詐欺に近い、というのが大まかな意見だった。
 当時私はビジネス書の執筆の真っ最中だったので、それなりの反論を試みた。ブックライターが入ることでより濃密にその人のメッセージを引き出せる場合もある、というようなことを話したのだったと思う。
 それに対して彼はこう言った。
「みきちゃんの言うことはわかるよ。でもさ、だったら出版業界はなんで、”そういう作り方”をした本だということをこれほどまでに一般人にはわからない形にしているの? 著者が最初に『この本は自分で書くよりも、信頼できるライターの◯◯さんにまとめてもらったほうが本質的な内容になると思いました。だから◯◯さんに書いてもらっています』と書いて、表紙にもそのライターの名前をしっかり載せる、くらいするのが筋だと思う。それをするわけにいかない、表面的には『その人が著した本』ということにしておかないといけない理由って何?」
 何も言えなかった。なぜなら私もずっとそう思っていたからだ。ただし私は答えを知っている。そしてその答えに当時は多少寄りかかってもいたのだ。いつでも寄りかかれてしまうところにそれはある。