私は私の執筆コーチになることにした
妊娠7ヶ月の頃に書いた、「37歳の誕生日を迎えた自分宛」の手紙を読んだ。妊娠7ヶ月の私も、体調の変動で集中力が下がって書けないことに苦しんでおり、そっちはどうかと案じていた。
37歳の私も書けていない。少なくとも、満足のいくようには。
ねばりを失い、長文を書けない状態が続いているせいで、「このような有様で子どもを食わせていけるのだろうか……」という不安も押し寄せる。
少し前に英語圏のライターのブログを大量に漁っていた頃、「”母親”をしている女性のライターズブロックについて」というテーマの文章をしばしば目にした。
ものを書く女性の多くが、子どもを産むとかなりの困難に直面する。もちろん文章だけでなく、絵画だろうと舞踏だろうと、およそクリエイティビティの必要な仕事の大半は(ということはつまりほとんどの仕事ということになるが)、進行と完了がものすごく難しくなってしまう。その現実とどう対峙するか、どう乗り越えるかという話を、それを体験した女性たちが熱心に語っていた。肌感だが、日本よりもこのテーマの存在感は大きいように見えた。
わかりきっていることだが、そこで語られていた解決策に、目の覚めるような斬新なものはなかった。スマホを活用しよう、自分を信じよう、時間を信頼しよう、人を頼ろう……。
「完璧な両立、克服は不可能だ」と誰もかれもが書いていた。赤ん坊相手のプロセスには、いかなる意味でも魔法はないのだ。
そのことで、私がメタメタに苦しんでいるかといったら別にそこまででもない。少なくとも今のところは。子どもは可愛いし、この状態が永遠に続くわけではないし、と思えているからである。
ただ、日々細々と自分に対して失望していると、「あーあ、誰かなんとかしてくれないかな」みたいなことは流石の図太い私でも考えてしまう。
で、散々それを繰り返してきた今日、ふと思ったのだ。
ここまで自分にひたすら厳しくしてきたが、厳しくしても大した成果はあげられなかった。今の私に必要なのは厳しい管理人ではなくて、こちら(書けないでヒイヒイしているところの私)のテンションの上下に影響を受けない、どっしりした応援者だ。
これも英語圏のライターの書き物を読み続けていて知ったことだが、あちらには「ブックコーチング」というジャンルのコーチングがある。本を書く・書きたい人を励まし、作品の完成まで伴走する。コーチのキャリアによってはある程度の文章指導も行うようだ。まだそこまで細かく調べていないが、現在の余裕のない出版界では編集者やエージェントがじっくりと作家を育てたり励ましたりしている暇がないので(日本も同じ)、そこのメンター的役割をブックコーチの方で担いましょう、というコンセプトで確立していったニッチジャンルらしい。
日本でもライターを対象としたコーチやコンサルはいるといえばいると思うが、名称が確立しているものではないのでブックコーチの話はなかなか印象深く読んだ。こういう人に励ましてもらえるのはたしかに精神的によさそうである。
今の私に必要なのは、私自身が、私のブックコーチになることなのだろう。
ブックコーチ、執筆コーチ、ライティングコーチ? なんでもいいが、とにかく「書きたい私」に寄り添って、理解して、信じて、あたたかく励まし続けること。
もし私が、私のような状態の人間の執筆コーチをするなら何から始めるだろうか。
今日の午前中、自分からの手紙を読んでしばらくしたあとで、その問いを思い浮かべてみた。
少なくとも、叱ったり、咎めたり、けなしたりはしないだろう。まずはゆっくりと話を聞き、理解を示すところから始めるに違いない。
そこから始めよう。私は私の話に耳を傾ける。書くことに対しての今の考え、感情、不安、希望について、気が済むまで話してもらうのだ。