山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

恐怖の観察

 だんだん曜日の感覚がなくなってきた。だけど会社員になる前はいつもこうだった気がする。
 昨日と今日は仕事のために5時半起き。本当は毎日5時に起きられるといいのだが。おとといは仕事も英語の勉強も読書もはかどった良い日だったが、昨日今日はちょっと崩れ気味だ。なぜかというとZoom飲み会をしていたから、ではまったくなくて『ワンピース』の続きを読んでいたから。
 多少飛ばしつつだが(覚えているところもあるので)CP9編を読み終えた。「ウソップと他メンバーのゴタゴタ」のくだりで、高校生のときのようにげんなりしなかったことに驚いた。めんどくさい奴らだなとは思うが、所詮17〜19の少年少女たちだしな、という気持ちが先に立つ。ロビンより年上になってしまった私(そろそろスモーカー大佐に並ぶ)にとって、彼らのゴタゴタはもはや微笑ましい。全体的には、今読むとなかなか面白い。ただやはりジェンダー観には首肯できない点がいろいろ。
 さて、ここまでコロナの影響をあまり身体的に感じないで暮らしてきたが、昨日今日で少し変化を感じた。
 昨日は、ランチと買い物に出る際マスクを忘れて、玄関から数歩進んだところではっきり「怖い」と思った。そして「戻ってマスクをつけてこよう」とスムーズに思考が進んだ。まるで流行っているのが空気感染する病気であるかのように、私は「口が外気に触れていること」自体に拒否感をおぼえてしまったのである。
 ランチのために入った松屋でも、やはり注文ディスプレイの面だとか、他の客との距離感に多少敏感になった。さらには買い物の帰り、大きなスーツケースを2つ引きずりながら歩いている人を見て、反射的に「旅行帰りの人なんだろうか、安全のためにある程度離れて歩こう」と思ったのである。どちらも、今までの私にはなかった感覚なので興味深い。
 散歩の時間を意識的にとりつつ、家での運動もしている。毎日3〜40分コアヌードルでトレーニングしているのと、あとは運動不足をカバーする用に縄跳びも始めた。
 また話が飛ぶが、昨日からずっと、新型コロナ感染についての情報の「ビジュアラアイズ」について考えている。Twitterなどでもよく見る手法だが、文字だとよくわからないものを、誰にでも直感的にわかる図にするというのは非常に強力な働きかけだ。「わかる」は人を動かす。そしてもちろん、必ずしも良き方向に動かせるとは限らない。