山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

死と緊張

 半休をとって原稿を描いていた。一番きついところは乗り越えたと思っている。日曜日までペースを落とさずに作業できれば予定より一日早く脱稿できそう。
 この3週間ほど毎朝検温をしている。今日は36.7〜36.8あって少し緊張した。もともと体温は高めだし、発熱しやすい体質だからこのくらいの数字は「いつものこと」の範囲だが、なにぶんいまは状況の方がいつも通りでない。また、私の感染リスクはたぶんそれなりに高い。私自身はほぼ自宅軟禁生活を送って気をつけて過ごしているものの、同居の妹は接客業をしていて、この状況下でも休む気配がまったくないのだ。
 なんとなく唾液の味もいつもと違う気がして、「このまますぐさま熱が上がって明日には動けなくなったとしたら」と考える。危機感をおぼえて昼前に近くのスーパーに行き、ポカリスエットおかゆを買い込んだ。
 帰宅後、念のために生命保険の内容の見直しをする。10年ほど前に母親に入らされた保険だ。やめたいと思ったことは10回や20回ではきかないが、実際に一度手術をしたときに役立った実績があるため、死亡保険を減らすなどしながらずるずる温存させてきた。入院保険の額を調べ、コンタクトセンターに電話をかけて振込先の口座がメインバンクであることも確認した。
 書類の死亡保険の項目を見て、「今死ぬとしたら」とシミュレーションをさらに進める。死亡保険金を妹弟に渡せばもろもろの後片付けはできるだろう。問題は家にある大量の日記ノート類、そして人に見せたくないものが詰まっているパソコンで、これをちゃんと始末してもらえるかどうかだけが不安だ。
 私が死んで悲しむ人はどのくらいいるのかな、という平凡な想像も繰り広げる。悲しみの深度はわからないが、泣くであろう人の顔はそれなりに浮かぶ。総合的に考えて、やっぱりまだ生への執着はあると思った。まだ文章の単著も出していないし結婚もしていないし、タンゴの先生と人前で踊れるレベルにもなっていない。もうちょっと現世で頑張らないと。
 世間では今日も感染者数が多く、会社仕事の緊張感は引き続き高い。原稿仕事も佳境なのでそれなりに消耗する。
 『1Q84』のタマルのセリフ。「緊張が途切れなく続くと、本人にもわからないうちに、神経が伸びきったゴムのようになる。いったん伸びきってしまうと、元に戻すのがむずかしくなる」。気をつけよう。