山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

心をひらかない子

9時前に起きる。いちごを少し食べてから原稿をした。

大きな学校っぽい建物が舞台の夢を見た。そこで出会った外国人のエリートサラリーマン風の人たちからコートを置き引きし、受付に落し物として預けながら、監視カメラでチェックされたら終わりだなあ、と考えていた。学校の上の方はホテルのようになっていて、そこで女友達と男友達のふたりをつれてくつろぐ。そのうちなぜか風俗嬢を呼ぼうということになり、女友達は嫌だから帰ると言う。私はとりあえずおもてなしのために部屋を整えようとする。また村上春樹だ。そして夢とはいえ、なんで私が他人のためにそこまでしてあげなきゃいけないのだろう。いいベッドだったことだけ覚えている。

昼飯は、買い物してから近所の定食屋の生姜焼き定食。この店に来ると、いつも真昼間からよっぱらいの爺さんだらけで時間の感覚がおかしくなる。店員のおばちゃんたちも半数以上がケバくてなんとなく酒場感があるのだ。生姜焼きはおいしかった。ミスドのドーナツを買って帰る。

午後もずっと原稿。のこり3割くらいなのだが、この時期が一番気分的には「遠い」。最後の、きれいに詰めていく作業をしていくときというのが一番神経にくる。なんでだかわからないがとにかく「間違ったことをしているのでは」という気分になるのだ。不思議。

夜、疲れはてながら食事。玉ねぎパスタと納豆。NHKの白熱教室を見る。このシリーズものすごく面白い。ティモシー・ジョーンズ博士によるバッハの解説。教会の椅子って、信者が寝落ちしないようにあんな座り心地悪く作られているらしい。そうじゃないかと思っていたけど本当にそうなのか。バッハの音楽は、どれだけ聞いても飽きないし疲れないし本当にすばらしい。

 

風呂のあと、学生時代の日記を読み返して、自分の優しくなさに呆れる。今だったらもう少し、表面上だけでもつくろえるんだけど。

今ふりかえれば、何人かにはけっこう頼られていたんだと思う。あの頃はとにかくいつもイライラしていたし、学費を稼ぐので死にそうだったせいもあって本当に余裕がなかった。人に優しくできた覚えがない。

「僕は、こんなに人に心をひらかない子って初めて見たよ!」

演劇をしていた頃、少し年上の人にそう言われたことがある。私たちはどちらも舞台美術スタッフで、極寒の中、駐車場でがたがた震えながら夜中までトンカチを振り回していた。作業しながら、彼のする話をいつもぼへーっと聞いていた。当時は「心をひらかない子」とか言われて心外だったけど今思えば順当。

そしてさらに「××(演劇仲間)も小池さんと同じタイプでまったく人に心をひらかないんだけど、××には◯◯(彼女)がいるからいいんだよ。僕には△△(彼女)がいるし。でも小池さんにはちゃんと話せる人っていないじゃん」みたいなことを言われてものすごくむかついたのだった。見下されたと思ったのだ。でも彼は多分、本当に私のことを心配してくれていたんだろう。

あれから8年経って、昔よりは「閉じていない」状態になっていると思うし、もう少し人とのコミュニケーションもまともになったと思うし、話したいと思う相手もいるし、他人の気持ちのことも少しは想像するようになった……と思うんだけどどうなんだろうな実際。まだまだ子供気分の私。