山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

座頭市と私の舞台

 閉館の決まった厚生年金会館に、三池崇史演出の「座頭市」を観に行ってきた。主演は哀川翔阿部サダヲをはじめ、元宝塚トップスターの麻路さきや、ベテラン俳優長門裕之などが脇を固めている。
 ただでチケットをあげるから行こう、と言われて初めてこの公演の存在を知り、哀川翔に興味は無いが麻路さんが観られるなら(私は宝塚ファンなのだ)、といい加減な気持ちで観たのだが、なかなかおもしろかった。哀川翔も殺陣など頑張っていたし、阿部サダヲは非常においしい役回りで、時には主役以上に場をさらい、強く印象に残った。長門裕之はベテランだけあって圧倒的に巧く、宝塚出身の麻路さきも余裕があった。
 ストーリー的には、完全なラブ・ストーリーである。麻路さき演じる朱太夫という女が、市と、そのライバル的存在である浪人二人の間で揺れる様子が何度も描かれる。勝新太郎ビートたけし座頭市しか知らない私にとっては、このメロドラマ的展開は衝撃だった。まあ、こういうのもありなのかな、と思う。
 舞台セットは基本的にシンプルな作りだったが、ケレン味たっぷりな照明・音響効果のお陰で、随分華やかな舞台に見えた。やはり派手な演出の大きな舞台は、単純に見ていて楽しい。これで厚生年金会館も見納めか、と少々惜しい気持ちで観劇した。貧乏な私がここで上演される公演を観る機会なんて、またこうやってタダ券をもらわない限り、今後そうそうないだろう。

 この劇場が閉館することに決まった時は、私達学生演劇界の人間も少なからず驚いた。
 この規模の芝居を打てる貴重な劇場のひとつがなくなって、大丈夫なのだろうか。何がどう大丈夫じゃないのかわからないが、***の演劇界は一体どうなるのだろう、とついつい小賢しいことを考えてしまう。
 一緒にこの公演を観劇した、某劇団の役者も懸念を口にしていた。どんどん劇場が減っていけば、名古屋の人間が演劇を目にする機会も減る。劇団が、自分達をアピールする場所も少なくなる。ただでさえ***は、「劇団四季」などの強力なブランド名がない限り劇場に足を運ばないと言われているらしいのに、これは由々しきことだと私も思う。
 2008年8月に、学生主体の舞台イベントがある。私もスタッフとして企画準備に参加しているのだが、最初に私達が苦労したのは会場押さえだった。劇場がどんどん減っていっているためか、残りの劇場の競争率が激しいのだ。どの劇場も一年先までびっしり予約があり、入り込む隙間が無い。なんとか***劇場に滑り込んだのだが、土日は取ることができなかった。
 学生劇団が***劇場以上の劇場を使うことはほとんどないから、大きな劇場がなくなっていくことなど、学生の私達には関係がないのかもしれない。しかし、私達の「憧れ」の対象となる劇場がなくなっていくことには、やはり一抹の寂しさを感じる。

 厚生年金会館が閉館になることの要因の一つかどうかはわからないが、***は全体的に、「舞台」という娯楽に対しての興味が薄いように思う。キャラメルボックスの俳優が「***には良い民間劇場が無い」と発言したこともあるが、実際、名古屋で公演を打とうと思ったら場所が限られてくるのは事実であり、そのどこも、知名度的に高いとは言えない。御園座中日劇場などの大きな場所は別だが、交通の便が悪いところも多い。大き目な劇場でもそうだから、小劇場演劇なんかは尚更である。公演をやりたいという劇団は多い。しかし、その場所にも、演劇を求める「演劇好き」人口の数にも恵まれていないのだ。上の方がそうであるから、私が属する学生演劇の世界は、もっと窮屈なことになってきている。

 現在、***の学生劇団や社会人劇団のほとんどは、**にある「***スタジオ」や**の「スタジオ***」を拠点に活動している。***以上の大きさの劇場に進出する学生劇団はほとんど無く、ということはつまり、一回の上演につき80~90人以上呼べる学生劇団が無い、ということである。
 そして、ほとんどの学生劇団は、チケットを500円前後で販売している。年上の人達に言わせると、それはほとんど「慣習」なのだそうだ。
 先輩達は500円の芝居をしていた、だから今回もその値段でいいだろう。客も前回と同じくらい入ればいいだろう。とすると、前回○○人入っていたから、○円返ってくることになり、全体の予算はこのくらいでいいはずだ……という順序で公演準備に入るのだ。自然、舞台のクオリティは前回程度に収まることになり、手堅く元は取れるものの、前回の公演を大きく超えるものが出来上がる、ということが無い。
 私は、学生演劇界に入ってまだ一年足らずである。春から数えて、関わった公演は、当日手伝いの参加を含めても六公演しかない。しかし、それだけしか関わっていなくても、今の学生演劇界が、あまり盛り上がっていないことくらいは理解できる。私は演劇そのもので食べて行こうとは思っていない。だが、ずっと関わって行きたいと思う表現の一つであるし、何より私自身が観劇が大好きなので、もっともっと盛り上げたいと思う。

 去年、私が最後に関わったのは、学生劇団としては、集客率において***で1,2番を争うであろう劇団の冬公演である。この劇団は、元々は***劇団から派生してできた集団で、学生運動時代に出来上がったというから、歴史もそれなりに長い。これまで、***における二日間の公演で、常時350~400人を集めていた。
 集めていた、と書いたのには訳がある。私が今回参加した公演では、客が280人しか集まらなかったのだ。スタッフのほとんどが世代交代をしてしまったこともあり、前回よりも色々な面でレベルダウンが見られたのは確かだったようだが、私は、学生演劇界全体の低迷の影を見たように思う。他の劇団員からも、「最近全然お客が集まらない」という話を聞くのだ。
 私は、この劇団に所属する友人の頼みで、大道具スタッフと制作スタッフを兼ねる形で参加した。また、宝塚が好きで濃いメイクのことをよく知っているからという理由で役者にメイクをする係にもなり、きっかけ合わせやゲネプロの際の代理舞台監督(舞台監督が役者だった為)も勤めた。随分色んな部署をかねてしまったが、その事自体は随分楽しかった。

 大道具作業が好きである。非力な女の身だと、三六の平台を運ぶのにも力が必要で色々不便なこともあるのだが、それでも頑張ってナグリを振るっている。
 仕込み期間は、大変だが一番楽しい。空の劇場に入った瞬間の、あの戦いが始まるような緊張感。自分の作り上げたセットが舞台の上に立ち上がった瞬間は喝采を叫びたくなるほど嬉しくなる。朝は毎日他のメンバーより一時間ほど早く来て、作りかけの客席から舞台を眺めるのが楽しい。自分の手で一本一本釘を打った舞台はなんとなく自分の子供のような気がする。そういう気持ちを抱えて観る本番は文字通り、わが子の晴れ舞台という感じで堪えられない。こういう個人的な感慨は、小劇場演劇だからこそかな、という気もする。
 学生劇団とはいえ、仕込みは大変である。その一週間だけは、普段大食いな私も、一日にコンビニのおにぎりを1,2個食べるだけの不健康な生活に突入する。朝から晩まで肉体労働だから体重はガンガン落ちるし、睡眠時間も半分くらいになるのでどんどんやつれる。おまけに、私はおっちょこちょいなので毎日2,3箇所ずつ怪我をする。「もうこりごりだ」と毎回思うが、それでも、照明に照らされた舞台を見た瞬間、「やっぱり頑張ろう」と思ってしまうのだから、やっぱり演劇というものには魔力があるのだろう。

 実際に観てみれば、やってみさえすれば、演劇のおもしろさに気づく人は多い。「演劇というものがある」ということを、意識する人が少なすぎるのだ。演劇に触れる機会の少ない人は、「普通の人が見るものではない」と思っている節もある。そういう人は、観劇という行為を、高尚な趣味だと思うか、ヘンテコな趣味だと思うか、どちらかのようだ。
 夏に、ある大道具屋で短期のアルバイトをしたことがある。そこで、長年**で演劇活動をしているベテランの大道具屋さんと知り合った。その人に、この***でも、アングラ演劇ブームの頃は、キャパ百人の劇場に二百人詰めるなんてこともザラだったと聞いて、羨ましく思った。私はアングラ演劇というものをちゃんと理解していないが、「社会」や「体制」に対する激しい抵抗の力が、そのブームを作った原動力の一つであることは知っている。若者の中にそういう熱狂が生まれにくい昨今では、時間も金も手間もかかる演劇なんていう表現方法は、あまり好まれないのかもしれない。反抗するよりは、さらりと受け流してより手軽に輝ける場所を探そうという気風が、私も含め現代の学生にはあるように思う。
 だが、その人の前で、なんとなく
「またそういうブームが起きればいいのに」
 とつぶやいたところ、即座に
「起こさなきゃ」
 と言われてしまい、私は深く反省した。まったくもってその通りである。仮にも演劇で何か社会に対して表現をしようと思うなら、見せる相手を誰かに、それも”ブーム”なんていう漠然としたものに連れてきてもらおうなんて考えていては駄目なのだ。

 だがしかし、学生演劇界の低迷は事実なのだと思う。私はそういう気配を感じているだけだが、上の世代は更にそれを強く感じているようだ。当たり前の話かもしれない。学生演劇ブームが起きてから二十年、勢い的に、あの頃を越えることは難しい。後は下がっていくだけなのだと、多くの学生演劇出身者が思っているようだ。
 学生劇団は、「サークル」という形で運営しているところがほとんどである。メンバーは、最大でも四年でその組織を抜けていく。スキルが身につき、下を育てられるようになった丁度その頃に離れなければならない。演劇人としての心得的なものも、交代が激しい学生劇団においては上から学びきることが難しい。高校ならいざ知らず、大学において顧問がその劇団にかかりきりになることはなく、公演資金や練習場所に関しても、学生という身分では不便が多い。そういう諸々の事情から、冒頭に記したような、「”前回の公演”を目安に公演を打つ」いう悪循環が生まれ、劇団間での競い合いも希薄になるのである。
 その不便さ、苦労を乗り越えてでも上を目指す価値が演劇にはあるのだというそのことを、もっと知らしめなければいけないのだ。

 私が生まれて初めて観た”舞台”は、おそらく劇団飛行船の「オズと魔法使い」か何かだと思う。5,6歳の頃だったと記憶している。
 それからずっと舞台とは無縁の生活を送っていた。高校の時に、高校演劇の県大会を観に行ったり、知り合いに誘われて小劇場演劇を観たりもしたが、それでも「自分は舞台が好きだ!」と意識したことは特にない。シェイクスピアギリシャ戯曲の類は個人的に好きでよく読んでいたが、実際の舞台を観たいとも思っていなかった。
 そんな私が観劇に目覚めたのは、高校を卒業した直後、友人に、宝塚のビデオを見せられたのがきっかけである。その頃、私はちょっと荒れていた。家庭の事情で、大学進学がかなわなかったからである。荒れていたといっても不良になったわけではなく、ただ家で不貞寝していただけなのだが、とにかくムシャクシャしていたのだ。
 その気持ちが、その時見せられたビデオで洗われた。星組の「パッション・ブルー」というレビュー作品だったのだが、友達に借りた夜、一人で夜通し見ながら泣いたのを覚えている。
 内容が感動的だったとか、そういうのではなかった。
 「舞台」であること。「生」であること。そのことが私の心を強く打った。勿論それはビデオであり、生の舞台を観たわけではない。しかし、上手く表現できないがその時見たそのビデオの「中」に、私は「生の舞台」の息吹を確かに感じていた。それから半年後、東京宝塚劇場に行って初めて本当の生舞台を観た時も感動したが、そのビデオを見た時の感動は、それに勝るとも劣らないものだったのだ。カタルシスとしか言いようのない何かがあった。舞台でしか表現できないもの、舞台の上にしかない空気、客席からでしか見えない光景があるのだと初めて知った瞬間だった。
 舞台は生で観なければ意味が無い、という人からしたら邪道なきっかけかもしれず、また私も、直の観劇に勝るものはないと思っている。しかし、私の「観劇の原点」は実はこのビデオである。演劇の作り手側になった時、どうやったらあの時の感動を作り上げられるのか。その事をいつも考えている。

 奇しくも、私が「座頭市」で目にした麻路さきは、この「パッション・ブルー」の時に主演男役として舞台の真ん中に立っていた人である。私が、一番最初に名前を覚えた男役だ。私があのビデオを見た時彼女はすでに引退して長かったので、この人を生で見る機会は一生ないだろうと思っていたのに、自分が演劇に本気でのめりこんだその瞬間に合間見えるとは、不思議なものである。

 私には役者経験が一度しかない。初めての公演で、いきなり男役として舞台に立ったのだ。やりたいと言ったわけではなく、むしろ本物の男役を知っているだけにとても無理だという気持ちが強く、激しく抵抗したのだが、成り行きでなってしまったのだ。
 元々役者志望ではないので二度と役者として舞台に立つ気は無いが、今も私は、「学生演劇界」という舞台に立たされていると感じている。
 照明はまだ消えない。