山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

酔魔

 バイト先の出版社の仕事納めで、夕方から納会。下っ端アルバイトの私はひたすらお使い担当である。午後になってケータリングの食べ物や酒が届き始めると、私も寿司やらサンドイッチやらを買いに行かされた。1万5千円分ほどの食料を抱えて歩きながら、今車にはねられたり、つまづいて転んだりしたら1万5千円以上の損害になるな、と考えて緊張した。緊張したせいかお釣りの小銭をレシートと一緒に固く握りしめていて、そのまま総務さんに渡したところ「子どもみたいね」と笑われた。子どもみたいな私は前述の通り酒が飲めない。だが、私の他は酒飲みのスタッフばかりなので、ビールやワインはたっぷり用意されている。経理さんが手配した、スペインのなんとかカヴァというワインは私が開けた。てっきりあのネジのようなもので開けなければいけないんだろうと思っていたら、「スパークリングだからそのまま開けられるよ」と経理さんに教えられた。そんなことすら私は知らない。濡れ布巾を被せてひねると、ポンと音がして、心地よい弾力と共に、硬いコルクが手の中央を突き上げた。
 「このワインは女性向けなの」経理さんがそう言って、私のコップにもそれをついだ。女性向けだろうが男性向けだろうが、ワインなど私が飲めるわけがない。が、飲みやすいからという言葉に負けて、乾杯の音頭と共に大人しく口に含んだ。その瞬間胸が燃えた。燃えた胸の中で、どこが飲みやすいんだと悪態をついた。これが女性向けならやっぱり私は一人前の女ではなく、男でもなく、子どもなのかもしれない。

 ワインをひと口飲む度に、ケータリングのりんご(うさぎ型カット)をガツガツ食べている私を見て、社員の一人が「そんなに弱いんだっけ」と驚いた。私はふてぶてしい外見をしているせいか、8割方酒飲みに見られる。菓子が嫌いだから余計そう推測されるらしい。実際はこのていたらくだ。たった3口のワインで私の体はカッカと火照り、まぶたが瞳にひっかかる。誰に言うともなく、酒に弱いのって情けないですよね、と言ったら周りのスタッフに明るく否定されたが、「でも私、酒に弱くて、しかもちゃんと酔えないんです。千鳥足になるくらい酔って終電逃しても、帰りとか心配されると『いや、歩いて帰れるから』って言って、何駅分でも歩いてしっかり帰っちゃうんです」と続けたところ、総務さんが「それは駄目よみきちゃん、全然駄目だわ!」と嘆くように叱り声を上げた。それが「全然駄目」なことを、私は勿論とっくに知っている。

 去年まで演劇に狂っていたので、酒を飲む機会は人並み以上に多かったと思う。演劇人の酒飲み量は噂どおり多くて、公演後の打ち上げが狂乱沙汰であるのは勿論のこと、大きな劇団になると、公演期間中ですら「中打ち上げ」と称して関係者を集め、毎晩のように飲んだりするので始末に負えない。下戸の私ははじめのうち、飲み会の度にアルコール度の低いカクテルなどで間を持たせていたが、それでも場の空気に負けて飲みすぎることは多々あって、周りが大盛り上がりの中、一人胸焼けと戦うような苦境に何度も陥った。私は酔いが回るとかなりの確立で不機嫌になる。病弱なので、心拍数の上昇や急激な眠気というのは、体が「体調の悪化」として受け止めてしまうらしい。それへの不安が私の機嫌を悪くするのである。周りの声に耳を傾ける余裕を失うので、自然と内省的になり、身体の不調と共に嫌なことを次々と思い出しては欝に沈んでいく。周りの人間に言動を合わせないとまずいという感覚だけはあるので、無意味にニヤニヤ笑い、それへの自己嫌悪でまた苛立つ。完全に悪循環である。それを回避する為に私が選んだのが、飲み会ではなるべく「幹事」を務め、酔う暇もないほど忙しく過ごす、という手段だった。これはある意味成功し、私は忙しい孤独を手に入れて安堵した。だが所詮逃避のための幹事だから、楽しむ余裕などありはしない。全速力で肉食獣から逃げる草食獣の気持ちである。演劇の過程の中で私が一番嫌いなのは、今も昔も打ち上げだ。
 そういえば高校生の時も、正しく孤立する権利が欲しいがために生徒会長をやっていた。学校祭などで、自分のクラスの連中が団結し盛り上がっているのを、私は生徒会役員席からぼんやり眺めていたものだ。寂しい、というよりは退屈な気分だったが、あの中にいても同じことになると知っていた。近くにいながらにして遠くを眺めるように彼らを見るのより、こうやって本当に遠巻きに見ている方が心情的には楽である。ただ生徒会長の場合は、それだけではなくて、自分の能力がそういうポジション向きであることへの自覚から選んだ道でもあった。演劇活動でも私は舞台監督という役職に落ち着いていたが、それは私が少なからず自負を持つ能力の、ほとんど全てを活用できる唯一の役職だったのである。しかし「飲み会の幹事」というのは、ただただ飲み会の空気からの逃避で選んだ場所だった。ある程度付き合いの長い人間からは、私のそういう卑怯さは丸分かりで、自分がもてなされるべき立場の飲み会でもがちゃがちゃと動き回る私に、「頼むから何もしないで酒飲んでろ」という者もいた。それが私にとって一番の恐怖であることは言うまでもなく、それを受け入れたことは一度もない。
 酔うことが恐いのか、理想通りに酔えないことが恐いのか、時々わからなくなる。どれだけ飲んでも、理性を失う程酔ったことはないので、自分の「酔いつぶれた状態」というのは未だもって知らない。その状態に今すぐなれるよ、と言われたら尻ごみする程度の「酔い」への恐怖感はあるが、同時に、そうなってみたいという好奇心もある。酔いつぶれた人間の姿は、楽しそうでも苦しそうでも、どこか少し羨ましい。普段私が頭に詰め込んでいるしゃらくさい物事も、その時だけは消えているんだろうか、などと思う。ただ、酔いの冷めた後、ドアの外に締め出していた黒々とした事情達が、どっと戻ってくる時はどんなに嫌な気分がするだろうと想像すると、理性を手放すのは恐いのだ。
 酔っ払った知人の相手をしていると、どんなに酔いつぶれていても、案外致命的なことを言ったりはしないので感心する。理性が働いているわけではないらしい。多分、本当にそこまで大したことは腹に溜めていないのだ。私が逆の立場だったら、取り返しのつかないようなことを言う可能性が無いとは絶対に言えない。吐いたり、道端でひっくり返ったり、駅のホームに落ちてそのまま電車に木っ端微塵に潰されたり、というような可能性より、何か普段絶対言わないようにしていることをうっかり言ってしまうような、そんな可能性の方が余程私の背筋を凍らせる。勿論、案外私も大したことは言わないかもしれない。だがやってみたことがないからわからない。人のそういう言葉を聞くことを好み、「本音」と称した暴言・愚言にまみれた会話を交わすことを尊重するような風習が体育会系の世界にはあったりするが、私からすればそれはただのまやかしだ。言わないようにしていることこそ本音だなどと、何故人は無邪気に信じるのだろうと思う。言いたくないことというのは、単に言いたくないことなのである。そこには、決して言うべきでないことも混じっている。「そういうことをこそ言い合わなきゃいけないんだよ」などと明るく言う演劇人を私は何人も見てきたが、そんなもの舞台の上で言えばいいのに、と何度思ったか知れない。
 大学入学前、フリーターをしていた頃のことだったと思うが、電車の中で、高校の時の同級生三人に遭遇したことがある。三人はくっついて座席に腰を下ろしていて、一人の顔色が見るからに悪く、後の二人は彼女を心配げに覗き込んでいるのだった。「この子、飲みすぎちゃって」と隣の女子が言った。私は全員の名前を忘れていた。目的の駅につき、両側の二人が酔った一人を抱え上げると、彼女の口から吐瀉物が滴り落ちた。大した量ではなかったが、それは私の靴の上に落ち、床にこぼれた。介抱していた二人が、まずい、というように私の顔を見た。私がおやおやと思っているうちに三人は素早く去り、後には私と吐瀉物だけが残された。私は、新しく買ったばかりのストッキングを出して床の汚れを拭き取ると、その濡れたストッキングを握り締めたまま次の自宅の最寄り駅で降り、公園のゴミ箱にそれを捨てた。不思議な程、腹は立たなかった。水道で手を洗いながら、電車で吐いても介抱され続けていた彼女を羨ましく思った。ああいう風にしてもらえるなら酔ってもいいし吐いてもいい。随分惨めだが、私にとっては切実な想像だった。
 ついでにもう一つ思い出語りをする。高校二年生の時クラス会をやろうということになり、リーダー格の男子が、大胆にも居酒屋を予約した。当然だが、その頃の私には酒を飲む習慣などなかったので驚いた。まあでも飲む奴は流石に少数だろう、と思って行ったら、なんと半数以上が馬鹿みたいに鯨飲したのである。飲み会終了間近、まさに馬や鹿や鯨のようにそこらに転がるクラスメイト達の姿に私は唖然とした。残り半分の、正気を保っている面々が彼らを支え、あるいは引っ張り、あるいはかつぎあげ、私は酒のたっぷり残った一升瓶やワイン瓶をコートの下に隠して外に出ると、溝にその酒をぐばぐばと捨てた。流れていく酒を見ながら、私は自分が吐いているような気分に襲われた。空の瓶を隠して店に戻ると、店長の男が、私を見て笑いをこらえていた。コートの裏をすっかり酒臭くした私は、他の連中とともに近くの公園に退避した。リーダー格の男子が、酔って泣き上戸になった女子を自転車の後部席に乗せて公園の周りをぐるぐる回り続けており、遊具のあちこちには、酔い潰れたクラスメイトが雑巾のようにもたれていた。特にAという男子は、ワインを瓶に半分一気飲みしたとかいうことで、まったくの酩酊状態だった。完全にシラフの私にとって、これが面白い状況であるわけがない。不愉快で不愉快でむっつりと立ちつくしていたら、男子の一人が「Aが、酔ってお前のことを話してる」と伝えにきた。なんでもAは今うわごとで色んな人間に感謝の言葉を述べていて、私にも、「小池のおかげで球技大会に出られた、ありがとう、ありがとう」と喋っていたのだという。Aと私はまったく親しくはない。ただ球技大会で私は、人数調整のため(私のクラスは文型で、男子が少なかった)男子のバレーチームに入ってくれとA達に頼まれ、嫌々ながらそちらに参加していたのである。
 不愉快な気持ちが、それを聞いた途端霧散した。状況への嫌悪は変わらなかったが、何かふっとおかしい気持ちになったその瞬間のことを、私は今でもはっきり覚えている。勿論Aの言葉は嬉しかった。でもそれよりもおかしかった。そのおかしさは哀しさでもあって、内訳は、それは多分彼の正確な本心ではない、という直感が半分、聞くべきではないことを聞いてしまったな、という後悔が半分だった。べろんべろんに酔いつぶれた状態ですら、彼は自分の言葉に酔っている。言葉に酔うことは酒に酔うことよりも遥かに容易くて罪がない。私はまだ酒に酔うことを知らなかったが、酔っ払いへの嫌悪と同時に、陶酔への嫌悪と自己嫌悪を既に抱えていた。嫌悪が嫌悪とぶつかり合って静かになった。陶酔が許される状況の、その苦さを笑って受け止める余裕が昔の私にあったら、もっと素直に嬉しく思ったかもしれない。今はもっとない。今の私だったら、不機嫌にまかせて、酔っ払いを遠巻きに立ち尽くすような真似はしていられないだろう。
 過去最大に酔ったのは、二年ほど前の某公演の打ち上げで、そこで私はジントニックを十杯近く飲んだ。酒に強い人間にとっては大した量ではないだろうが、私にとっては空前絶後の量だった。とにかく苦しい公演だったのである。今日こそは酔いつぶれて嫌なことを全部忘れよう、いやそれよりも、これまで一度もしたことのない泥酔をしてしまうほどに苦痛だったのだと周りのメンバー全てに思い知らせてやるのだ、と決意してひたすら飲みまくった。しかし決意が固すぎたせいで逆に精神が冴え、まったく酔わなかった。身体の方はガタガタで、帰ろうとして立ち上がった瞬間も床と天上が反転するような錯覚をくらったが、それでも私は比較的冷静に出口までたどり着いた。異様な不機嫌を全身にみなぎらせていること自体は勿論全員の目に明らかだっただろうし、顔が赤と黄色の醜いまだらになっている私を見て、何人かの上級生は心配げだった。店の外に出ると、寒空の下は更に冷たい霧雨だった。二次会に向かおうとするメンバーをよそに、一人の男子がまっすぐ駅に向かって歩いていったので、ある先輩が「あいつについていきなよ。駅まで一人じゃ危ないから」と私に言った。私は彼の背中を見た。その男と私は複雑な険悪状態にあった。親しくしすぎてお互いに疲れていた、というのが今思う一番正確な説明である。飲み会でも、目を合わせないように二人で協力し合っているようなものだった。彼の駅に向かう背中が、私のかつてない無様な酔い様を知っているのが手に取るように分かった。私はその男とは違う道に進むと、地下鉄には乗らず、一時間ほど歩いて家に帰った。最初は千鳥足だったのが、十分おきにまともになっていき、三十分もたつと普段通りになり、残ったのは頭痛だけだった。悔しくてたまらなかった。大声で泣きたかったが、涙も出ないくらい普段通りなのだった。
 私はあの男や皆に向かって、致命的な暴言を吐きたかった。皆が凍りつき、その沈黙の中で喜びに浸る瞬間を味わいたかった。しかもその上で、誰かにはその暴言を受け入れてもらいたかった。そこらじゅうにゲロを撒き散らす私をかいがいしく介抱し、家まで送ってくれる“誰か”が私は欲しかったのだ。いつも通りのまともな早足で家路を急ぎながら、私以外の誰かだったら、先輩達だって無理やりにでも家まで送っただろうに、などと考えていた。彼らは私が“大丈夫”であることを知っている。私も、自分が“大丈夫”であることを解っている。“酔い”の本当の最後の一線は、何か本人に意思がないと踏み越えられないのだろう。そこまでに付きまとう自己嫌悪と不安と期待とを、甘くひとくくりにして棚にあげる最後の勇気が私にはない。酔いしれたいと思いながら、やはり二の足を踏んでいる。言ってやりたい見せつけてやりたいという欲望以上の力でそれを恐れ、状況に酔おうとしてそれに失敗し、ただ頭の中で言葉に酔っている。言えなかった致命的な言葉。それを言う場所は、演劇から離れた今の私にとっては紙の上にしかない。
 文学者の話など読んでいると酒好きが多いから、そういう意味でももっと酒を嗜み、酔いを楽しめるようになれたらと思う。だが、小銭をレシートと一緒に握りしめるようなお子様ぶりでは、まだまだ到底無理だろう。今日の納会でも、結局私はワインを3口、日本酒をひと口しか飲まなかったが、それだけで見事にぼんやりした。公演打ち上げではないから、特に憂鬱になったりはしなかったが別段愉快でもない。社長や男性社員がうまそうにビールを飲んでいるのを、羨ましいと思いながら見ていただけだ。
 今私の机の上には、ワインのコルク栓が三つ転がっている。今日の納会で開けた分だ。形がかわいいので持って帰ってきてしまった。栓を抜いた時の感触は、まだこの手のひらに残っている。勢いよく、思い切りよく飛び跳ねたコルク達。お土産にと押し付けられたプレミアムモルツの缶ビールは、親父の仏壇に供えるという方法で処分した。そういえば、親父も下戸なのに頑張って酒を飲んでいたくちだった。酒が飲めない、うまく酔えないというのはやっぱりつまらないことである。少なくとも私にとっては。