山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

メモ

三島由紀夫「劇画における若者論」
ただ、世の中といふのは困つたもので、劇画に飽きた若者が、そろそろいはゆる「教養」がほしくなつてきたとき、与へられる教養といふものが、又しても古ぼけた対象教養主義ヒューマニズムやコスモポリタニズムであつてはたまらないのに、さうなりがちなことである。それはすでにマンガの作家の一部の教養主義になつて現れてをり、折角「お化け漫画」にみごとな才能を揮ふ水木しげるが、偶像破壊の「宮本武蔵」(一九四〇年)を描くときは、芥川龍之介と同時代に逆光してしまふからである。若者は、突拍子もない劇画や漫画に飽きたのちも、これらの与へたものを忘れず、自ら突拍子もない教養を開拓してほしいものである。すなはち決して大衆社会へ巻き込まれることのない、貸本屋的名少数疎外者の荒々しい教養を。

川本三郎「「ゴジラ」はなぜ「暗い」のか」
ゴジラを見ていると純粋な怪獣ではなく、業を背負った人間に見えてしまい「悲しい」のだ。それはちょうどフランケンシュタインやゴーレムがその“歪められた人間”という形において悲しいのとよく似ている。ゴヤの描いた「巨人」の絵が、恐いという以上にどこか悲しいのと似ている。「空想を空想として楽しむ」ことを望むSFファンのあいだで「ゴジラ」が作品として必ずしも高い評価を受けていないのはこの「悲しさ」のためかもしれない。
日本のための名随筆別巻5 映画 淀川長治

明日の考察! これ実にわれわれが今日においてなすべき唯一である、そうしてまたすべてである。(中略)われわれは今最も厳密に、大胆に、自由に「今日」を研究して、そこにわれわれ自身にとっての「明日」の必要を発見しなければならぬ。必要は最も確実なる理想である。
石川啄木 時代閉塞の現状(強権、純粋自然主義の最後および明日の考察)