山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

批判

自分の書いた文章って後に自分を励ましてくれるんだな、ということを改めて知る。昔書いた小説や日記を読み直していて、意外な記述や今の自分にとってクリティカルな表現をたくさん見つけ、悪くない気持ちになった。そして昔の自分の意外な文章の上手さに焦ったりもした。常に全力で書くことが必要だな、という平凡な教訓。

最近ぽつぽつと批判(?)のようなものも目にするようになってきた。女子高生の時、2chでサイトを叩かれた際は(結構アクセス数の多いテキストサイトを運営していたのだ)ものすごくショックだったが今では平気だ。味方が増えたからではなくて、「そういう段階に入ったんだな」と思うからだ。もちろんあれこれ言われて嫌な気持ちにならないわけではない。でも、自分で何かをし始めたからこそ賛同も反発もくらうのである。開き直りはせずにただ受け止めていきたい。

私には、応援していきたい領域がある。その領域のために用いる姿勢というものもある。きっぱりと好き嫌いを貫く人もいるし、100%好きなものでしか認めないという人もいるが私はそうではない。好き嫌いを超えて判断してしまうものがあって、最終的にはそれを優先する。昔はそういう自分にとても嫌悪感があった。好き嫌いにそって判断し、生きている人たちの方が優れていると思っていた。が、正直さと、好き嫌いを優先しないこと、の二つを両立できるのもある種の能力かもしれないと最近では思う。

今日は午後まで健全に仕事。夕方からは次の著作のための取材であった。とても理解のある方が対応してくれて、いい話をたくさん聞けた。骨子は出来たと言っても過言ではないかもしれない。編集者S氏も、私と同じような構成イメージを浮かべていたみたいで取材後の話し合いもスムースに終わる。S氏も大変興味深い経歴の女性である。もっと色々話を聞いてみたいものだ。