山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

やけ酒Night

日中、とてもむしゃくしゃすることがあり、今日はやけ酒を飲むと決める。とはいえ基本的に酒の飲めないわたくし、5杯も飲めばできあがり。

ちょうど夜、気心の知れた編集者の男の子Aくんと、とある支援系NPO代表のB氏、そのNPOに新しく入社した女の子Cさんの3人とおしゃれなイタリアンで食事をしたので、そこでビールとウォッカトニックをあおりまくり、楽しく酔っ払うことができた。ピクルス、ローストビーフ入りのサラダ、ラグーソースのショートパスタ、ブロッコリーとひき肉のパスタ、いちじくとハムなどいろいろ食べる。デザートはかぼちゃのプリン。

Cさんは、つい最近地方から上京してきたばかりである。150センチもない小柄な体躯で、言葉が思い切りなまっているのがとっても可愛い。しかし、上京する前は、地元新聞社で指定暴力団関係の記事の担当をしていたというからすごい。そこの担当になってからというもの、家にいられる時間はせいぜい3時間程度で、常に外を飛び回っていたという。警察で、押収されたロケットランチャーを見たこともあるんだそうだ。相当レアな経験値である。

上京したてでこちらに友達が少なく、彼氏を募集中だというので、持ち前のずうずうしさでいろいろ聞く。

小池「どんな人が好みなの」
Cさん「面白い人ですね」
小池「そうか」
Cさん「爆笑させてくれる人がいいんです……」
全員「それかなりだな?!」

相当な面白さが必要とされるらしい。「Aくんと付き合えばいいよ」と言っていたBさんが「それじゃAくんじゃダメだな……」と前言を撤回していた。Aくんはとてもインテリジェンスとユーモアセンスのある男子だが、他人をいちいち爆笑させるタイプではない。彼のギャグセンスはドイツ人的らしい。

Bさんから、支援系NPOの陥りがちな罠について色々な話を聞く。誰が対象であってもそうだが、「与える」系の支援は絶対に長々とは続かない。発展途上国や夜の世界のような、格差と貧困のるつぼとなっている領域に関しては特にそうだ。何も考えずに「とりあえず与える」を続けていると、結局その場所から自助努力や自浄作用の機能を奪う。かといって「与えなければ勝手にやるだろう」というのはただの放置であって状況を改善させるものではない。大事なのは、支援対象がなるべく自分たちの力で動いていけるような、そもそもの構造作りに力を注ぐことである。

この作業はとても地味だ。だからみんなやりたがらない。被災地に行ったらガレキを運び続けるより被災者に炊き出しをしたいと思ってしまう人たちが多いように、「黙々と」やらなければいけない長期的な仕事はほとんどの場合、写真で切り取ってSNSに投稿するのが容易なワンアクションに負ける。でもそこでふんばって、長期的な仕事の価値を見つめ続けている人たちもいるし、その人たちが消耗してしまわないように、私たちメディアの人間こそがサポートしなければいけないのだ。がんばろう。

酔っ払っていたこともあり、終盤はコンテンツ批評の話をしまくる。

Aくんから帰り道、

「小池さんが前にツイッターで、地方に行ったらまずそこのスーパーを見るって書いてたじゃないですか。それ、僕もすごく大事だなと思いました。東京で売ってる大手メーカーのそうめんと、僕の地元のスーパーで売ってるそうめんって全然味が違うんですよ。ローカル性ってそういうところにしっかりあるんですよね」

という話をされた。彼の地元で売っているそうめんはめちゃくちゃ美味いんだそうだ。羨ましい。食べたい。次に香川に行ったら見てみよう。とりよせることはできるだろうし、もしかしたら成城石井にはあるかもしれない。でも、あえてそういう手段を使って獲得するほどのものではない、というアイテムにこそちょっとした良いローカル性があるのだ。レモスコとか、つけてみそかけてみそとか。

終わったあと、家の近くでさらに追加飲み。でも大して酔わなかった。

私の場合、酔うとなんとなく眠くなって頭痛がするだけで、ろれつが回らなくなるとか、陽気になるとか怒り出すとか、そういった人格的変化はあまりない。だるくなり、体調が悪くなっていって、だんだん衰弱していくだけである。多分飲みすぎたらそのまま一直線に死ぬのだろう。それでも時々「やけ酒を飲んでいる」というシチュエーションを設定したくなるのは、それによって何か新鮮な感じ方が出てくるのではないかとちょっとした期待をしてしまうからだ。なおその期待はだいたい外れる。

帰宅してからずっと頭が痛かった。風呂に一時間近くつかり、水を大量に飲んでなんとか眠る。まあ、たまにはこういう日があってもいい。