山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

ジュール・ヴェルヌ大好き

 私がジュール・ヴェルヌの存在を知ったのは6歳の時である。著作を読んだ訳ではない。当時大好きだった映画、「バック・トゥ・ザ・フューチャー3」の中にこんな台詞があったのだ。

ジュール・ヴェルヌの本には大きな影響を受けた。『海底二万里』を読んだのは11歳の時だった。私が、科学の世界に身を投じようと決めたのはその時さ! 」
 更に、この台詞を言ったエメット・ブラウン博士が、100年前の世界で作った恋人にこんなことを語るシーンもある。
「今に人類は月へも行くようになる。あと84年したら宇宙船が――カプセルがロケットで打ち上げられる。凄まじい爆発力で――」
「――地球の引力に打ち勝って、その発射物を宇宙に送り出すのね。……エメットったら! 私もその本を読んだわ。ジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』ね! 」
「君もヴェルヌを? 」
「彼の作品は大好きよ」
ジュール・ヴェルヌを読む女性には初めて会った……」

 二人の会話は、6歳の私には非常に知的に見えた。それで、私の頭には「ジュール・ヴェルヌ=知的な何かすごい本」と記録された。
 初めて彼の著書を読んだのはその1,2年後である。最初に手に取ったのは「十五少年漂流記」だ。少年達の自給自足生活に心底憧れた。それを皮切りに、私は立て続けにヴェルヌの本を読んだ。「月世界旅行」、「地底探検」、「海底二万里」、「神秘島」、「八十日間世界一周」。どれも非常に面白く、知的好奇心を刺激されたが、難しいと感じるところもかなりあったと記憶している。
 改めて各書を読み直してみたが、子供の頃よりも知識が増えた分、当時わからなかった部分の面白さ、ヴェルヌの観察力の鋭さなどにつくづく感銘を受けた。子供の頃はそんなことに気をとめたりはしなかったが、ヴェルヌは100年以上昔の作家なのである。その時代の人間が、あたかも20世紀以降の文明の発達を知っていたかのような、先進的な空想科学小説を書いていたということは実に驚きである。彼の書いた『空想科学』の多くが、21世紀の現在、科学的に現実のものとなっているのだ。「月世界旅行」が示す通り、人類は月に到達した。「地底探検」のように、地球の奥底深くまで潜れるようになった(もっとも、そこにあったのはきのこの森などではなく、やはりマントルとコアであったが……)。これは、彼の空想が、ただの夢想ではなく、深い知識と洞察力から生まれた、未来への力強い予言であったことの証であると私は思う。
 ジュール・ヴェルヌ1828年、フランス西部ペイ・ド・ラ・ロワール地方のナントで生まれた。同時代に活躍したイギリスのH・G・ウェルズと共にSFの開祖として知られ、「SFの父」とも呼ばれている。ヴェルヌの作品が日本で最初に刊行されたのは1878年、川島忠之助が『八十日間世界一周』の前編を翻訳刊行したのが最初であった。後編は1880年に刊行され、この時のタイトルは『新説八十日間世界一周』とされている。これは、日本における最初のフランス語原典からの翻訳書であった。ヴェルヌ作品は、当時の日本においてシェイクスピア作品についで多く翻訳刊行された海外文学であり、翻訳文学史にも大きな位置を占めていると言えるだろう。
 ヴェルヌの作品には、空想の物語に科学的知識を取り入れることで真実味を強調する、という技法を用いられているものが多い。これは、彼の好んだエドガー・アラン・ポーが使った技法であったという。自然科学系の論文に親しんでいたヴェルヌは、ポーの示したその技法に興味を持ち、実践していったものと思われる。『海底二万里』の中などに、ポーの小説について触れている場面も見られる。
 ヴェルヌの事実上のデビュー作は、彼が23歳の時の『メキシコ海軍の最初の船』と『風船旅行』であった。これは『家庭博物館』という雑誌に掲載され、その後もヴェルヌは、『ザカリウス親方』や『氷の中の冬篭り』など、その後のヴェルヌ作品にも通じる、SF的要素の濃い作品を次々と生み出していく。ヴェルヌは、これらの連載の為に地理学、航海学、科学などについて学び、冒険家や数学者とも交流を持った。
 そして、作家であり写真家であり、更に冒険者でもあったフェリックス・ナダールとの出会いが、ヴェルヌに大きな転機をもたらす。ナダールは1862年、直径三十メートルを越す大型気球の製作を計画する。ヴェルヌがそれに触発されて書いたのが、代表作の一つ「気球に乗って五週間」なのだ。この作品が、当時児童向け雑誌の刊行を計画していた編集者ピエール=ジュール・エッツェルの目にとまったことで、ヴェルヌは、児童向け空想科学小説作家としての地位を確立する。「気球に乗って五週間」はベストセラーとなり、翌年刊行された雑誌『教育娯楽』に掲載された後、“驚異の旅”シリーズとしてエッツェル社から刊行されることとなった。エッツェルは生涯に渡り、ヴェルヌの担当編集者として、彼の作品の為に尽力し、また影響を与えたという。

 ヴェルヌ作品の日本上陸第一号、「八十日間世界一周」を取り上げてみたい。当時のフランス人が、世界をどう見ていたかがよくわかる本だ。
 この物語は、後期ヴィクトリア時代の世界が舞台となっている。主人公はイギリス人紳士フィリアス・フォッグという男性で、きっかり八十日以内に世界を一周して同じ場所へ戻ってこなければ全財産を失う、という賭けに乗ることになってしまう。フォッグ氏は非常に几帳面な人物であり、物事を一秒の無駄もなく行えば、80日で世界を一周することは可能だと主張する。まだ飛行機も新幹線もない時代である。列車と船を乗り継いで、たった80日で地球を一周することは不可能に近い。しかしフォッグ氏は、新しく雇ったフランス人の執事パスパルトゥーを伴って早速出発してしまう。
 フォッグ氏の計画したルートは、ロンドンからスエズに至り、そこからボンベイカルカッタ、香港、横浜サンフランシスコ、ニューヨークを経て再びロンドンに戻る、というものであった。どの国についても、寄り道をする余裕はない。ただ次の国へ向かうのみ、交通手段に乗り込むだけである。
 ところで、この物語における主人公はフォッグ氏であるが、物語の語り部的存在なのは執事のパスパルトゥーである。フォッグ氏は「生ける機械」の如く正確無比な人物だが、パスパルトゥーはユーモラスな感性を持ち合わせており、読者にとって親しみやすい存在だ。「驚異の旅を無理やり決行する奇人」と「それに振り回される平凡な男」という組み合わせは、「地底探検」でも見られる構成である。フォッグ氏は、その異常な几帳面さから、どこの国でも一切の観光をしないが、のん気なパスパルトゥーはそれなりに各国の様子を観察し、彼なりの感想を抱いている。彼は朴訥なフランスの田舎者という設定なので、それぞれの国に対する感想も、特に教養深い人間のそれではない。しかし、そこにはジュール・ヴェルヌ自身の素直な視点と、ユーモアセンスが伺える。
日本についての描写がやはり気になるところであるが、残念なことに、日本に関してさかれたページは少ない。パスパルトゥーは、あるトラブルからフォッグ氏と離れ離れになり、フォッグ氏よりも先に日本にやってきてしまうのだが、無一文状態の為、船賃を稼ごうと曲芸師の団体に加わるのだ。その為彼は「日本での思い出は嫌なものになりそうだ」などと語っている。
 しかし、短いながら、当時の日本についてのフランス人の感覚が伺える部分もいくつかある。当時の日本は天皇制新政権に移ったばかりであり、近代化を目指して、国際交流・鉄道の開発などに余念がなかった。横浜港は外国人との交流の要所である。パスパルトゥーは、ここで初めて「不思議な小さい人たち」――日本人の姿を見る。「しっぽのない猫」を目撃したり、「シナでは蔑視されている軍人という職業が、日本では尊敬されてい」るらしい(武士のことであろう)ことに気づいたりする。女はあまり美しくないと感じているが、着物を見て、「最近のパリの婦人は、これらの日本婦人をまねして、うしろで結んで端をたらしているようだ」と考えたりしている。その当時フランスでは、空前のジャパネスクブームであった。
 また、曲芸師(江戸時代から続く、軽業師達のことだと思われる)のことを卑賤の職業と認識しながらも、「日本人ほど曲芸に秀でた民族はいない」という記述も見られる。日本特有の繊細な曲芸は、ヨーロッパ人の目にはエキゾチックで神秘的なものに見えたのだろう。

 この世界一周は、きっかり80日間におさまり、フォッグ氏は賭けに勝利する。厳密に言うと、彼らにとっては80日以上が経過したのだが、ロンドンで彼を待っていた賭け仲間にとっては79日だったのだ。このズレは、フォッグ氏達が、太陽と同じ東回りの航路で旅をしたことに起因する。フォッグ氏達は日付変更線をまた越えることで、一日稼いでしまったのである。どういうことかというと、この旅行の間、フォッグ氏達は太陽を追いかけるように旅を続けていた為、一箇所で留まっている人達より常に一日を短く終わらせていたのだ。それにより、最終的に一日分の余裕が生まれた。もし彼らが西回り航路をとっていたら、逆に一日分損をしていたことになる。これこそ、この物語における唯一にして最大のトリックであり、この話をただの空想紀行文に留め置かない所以である。
 この本が翻訳された当時の日本人が、これを読んで、まだ見ぬ異国に思いをはせたであろうことは想像に難くない。ヴェルヌ作品が後世に与えた影響の大きさは、私達が考えるより大きなものだと思う。「八十日間世界一周」に触発されて世界一周を試みた人は数多い。また、エメット・ブラウン博士のように、ヴェルヌ作品がきっかけで科学の世界へ進んだ人もいただろう。私自身も、かなり影響を受けていると自覚している。
 ジュール・ヴェルヌは児童向け小説の書き手としてみなされることが多いが、社会や文化に関する記述など、「児童向け」と十把一絡げにはできない部分も多い。その豊かな想像力から紡ぎだされた「驚異の」物語の価値は、SFのはしりであるという一点のみではないのだ。


・Jules Verne Page
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Vega/1828/

八十日間世界一周」「地底探検」岩波書店
海底二万里集英社
十五少年漂流記」新潮社
月世界へ行く東京創元社