山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

好きな音楽を

 快晴。そこそこ早起きをし、プリキュアからキラメイジャーまで通しで観ながら体をほぐす。ニチアサタイムのおかげで、日曜日はいつもたっぷり1時間半ほどかけてストレッチをしてしまう。小宮璃央くんが意識を失うあたりでは、彼の状況のことを考えてやや緊張してしまった。 
 昼間は後回しにしていた確定申告の作業を粛々と進め、夜はNHKクラシック音楽館を見た。
 今日は「いま届けたい音楽~音楽家からのメッセージ~」というタイトルで、もちろん新型コロナ流行を受けての特集回である。かなりメッセージ性の強い構成になっており、私にとっては、ここ最近観たTV番組の中で一番よかった。
 それにしてもこんな重々しい雰囲気の回は初めてだ。新型コロナ流行の影響によって、短期間の間に世界で6000件ものオーケストラコンサートが中止になったという。こんな規模で、クラシック音楽業界全体が危機に追い込まれたことはない。戦争中だってこんなことにはなっていないのだ。ベルリン・フィルなどは第二次世界大戦中もコンサートを続けたし、ショスタコーヴィチもやはり大戦中に壮大な交響曲第七番を書き上げ演奏を行なった。戦争ですらとどめられなかった「人が音楽の元に集まる」という行為が、一斉に制限されている異様な事態なのである。
 世界もだが、日本という規模で見たときに、クラシック音楽文化はどうなるのだろう。あまり明るい想像はできない(もちろん、ピンチなのはクラシック音楽に限らないが)。
 数年前に、雑誌「中央公論」でクラシック音楽の特集を読んだ。大友直人片山杜秀の対談でだったか、内容の細部は忘れてしまったけれど、相当厳しい状況なのだということがかなりの強さで語られていた。文化教育という面から国がもっとバックアップするべきだ、というやりとりもあったはずだ。読んだときはただぼんやり「日本は芸術への支援が薄いからなあ」と思うばかりだったが、今思い出すと痛みが増す。どうにかギリギリの状態でもたせてきた綱(もちろんこの綱は美談と愛だけでできているわけではない)が、今ほとんど切れそうな状態にあるのだ。
 そんなことを考えつつ、番組で紹介された、ヴァイオリニスト樫本大進氏の「ステージに立ちたいというよりも音楽自体を楽しみたいという気持ちが強まっている。今回のことは内省の機会になったと思う。音楽との絆はより深くなった」というメッセージには少し泣いた。この状況の良い面を見よう、と殊更に言う気に私はならない。だけど個人的な感覚を言えば、私もいま自分の中で、いろんなものとの絆が深まっていることを感じる。これまでの人生で愛してきたものごと……文学や音楽、草花、歩くこと、自分や他者の内面を探ること、踊ること、次に使う言葉を考えることやなんか。そしてそれらと関わってきた時間の蓄積こそが、いまダイレクトに私を支えているとはっきりわかるのだ。この感覚は貴重なものだと思う。
 ブラームスの前のブロムシュテット氏のメッセージもよかった。「好きな曲を歌ってください。口笛を吹いたり口ずさんだりしてください。子どもの時に好きだった音楽を。親に子守唄を歌ってもらったこともあるでしょう。音楽には癒しの力があります。今こそ音楽の力が必要なのです」。
 今日の演奏で一番響いたのはサン・サーンスのヴァイオリン協奏曲。また明日amazon musicでも聴こう。