山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

触れるものみな傷つけるほどの力もなかった高校時代

二日酔い起床。図書館で10冊ほど本を借りてミスドへ。

眠気を飛ばすためのコーヒーを飲みつつ、J・K・ローリングについて書かれた本と、『ドーナツの歴史物語』を読む。『食の社会学』を読んで、それぞれの食べ物が背負う象徴性が気になったのと、あまりにドーナツ屋にいるので、手始めにドーナツについて詳しくなってみることにしたのだ。「ドーナツ的な食べ物は世界中に古くからあるが、ドーナツと聞くと大半の人間が『アメリカ』を思い浮かべる」という説明には「言われてみれば確かに」と思った。おもしろい。

J・K・ローリングの方だが、読んでの感想は「有名人になるって大変なことだな」ということしかない。確かに彼女は「普通の人」ではないが、だからって生きているうちからこんなに根掘り葉掘り情報収集をされ、恋愛沙汰から子供のときの成績までバラされることもないと思う。自分がその立場だったら、と思うとぞっとする。私なんてろくでもない情報しか出てくるまい。

夜は、高校時代の同級生3人とプチ同窓会。「名古屋人の集いなんだから手羽先を食おう」ということで、会場は「風来坊」だった。ひとりが卒業アルバムを持ってきていたので、久しぶりに18歳のときの自分の面をおがむことに。

 

ろくでもない情報しか出てこないにきまっている女子高生時代の私。当時身長165センチ体重58キロ、握力40キロ。生徒会長と剣道部部長を兼任し、異常に回る舌と占いの技術、そして3年間ひとり飯を貫いた「つるまない勇気」をもって、学年きってのネゴシエーターとして地味に活躍していた頃だ。この仏頂面通り、なかなかやさぐれ、とんがっていた。でも学校をサボってひたすら本を読んでばかりの無害な不良だったと思う。

他の人に聞いたらろくでもない情報しか出てこないはずなので、功績自慢をする。私が会長の間に成し遂げた改革は、女子のカーディガン着用を解禁したこと(我が高校はド保守なので、寒くても我慢しろという校風だったのだ)、そして校内自動販売機の中身を紙パックジュースから缶ジュース・ペットボトルに変えたことである。どちらも生徒たちには感謝されたが、先生たちは私の理屈っぽさとしつこさに相当手を焼いたと思う。

中止にされそうだった学校祭のオープニングセレモニーを、無理やり決行させたこともある。生徒指導の教員が、「モー娘。の曲を使うのがけしからん、どうせみんなはしゃいで収拾がつかなくなるに決まっている」と言って有志男子勢を締め付け、その男子たちが私のところへ「会長、なんとかして!」と陳情を入れに来たのだ。私はその足で職員室に押しかけ、露骨に「あーあ、小池がきた(げんなり)」という顔をする先生をつかまえて20分ほども議論、なんとか決行に持ちこんだのである。このころは、やたらと「責任はすべて私がとります」と豪語していた。どうとるんだか。

あれから10数年。みんな30近くになり、たまに会えば思い出話と仕事の話で互いをねぎらうばかりである。もう同じ部屋で半日すごすこともないし、一緒にトラックを走ることもない。大人になったのだ。

私「今見ると、うちの高校ってイケメンや美女が多いじゃない」
友人「僕思うんだけど、歳をとって、その人の顔の作りだけじゃなくて、内面も見えるようになったからそう感じるのかもね」

昔の私の顔も、今見るとかわいいもんである。

 

<今日の小池>

朝 ヨーグルト ごはん 目玉焼き 納豆

昼 ミスドハニーディップ

夜 手羽先その他

メモ:手羽先はうまい。