山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

まとめ

 起きたら12時。最近本当に起きられない。大学へ行き、図書室で洲之内徹の本の貸し出し期間を延長し、赤瀬川さんの本など借りる。ゼミは今日は本当にしゃべっただけ。Cはまだ卒論を出していないらしい。卒業できるんだろうか。あんなに大騒ぎしたのに。不安である。Aは今日グレイのライブへ行くとかいうことで、目立ちそうな赤い服を着てきていた。Bも真っ赤なコート。やっぱり華やかな色の服はいいな。
 伏見で降り、映画を見ようかどうか非常に迷ったものの、結局やめて鶴舞線に乗る。なぜこんなに迷うのか。「花々の過失」……中原中也の詩に、何か肝心なとこであい入れないものを感じているからか。
 大須にさしかかったところで、そうだ大須を歩こう、となんとはなしに思って下車。服でも見ようかと思ったか思わないかのはじまりのところで、すぐに古本屋に飛び込んでしまった。昭和63年発行の猟期殺人事件の特集雑誌などを見る。

 今まで気づかなかったが、というかそれは私がそれに興味がなかったから当然なのだが、陶芸の本がかなりたくさんあった。でも美濃焼の本は少ない……なぜだろう。残念だ。白洲正子の本を二冊と、「ゴッホの手紙」、それから「時」がテーマの随筆集、そして薄い講談社の画集を5冊買った。夢中で選んだ。表紙の汚さなんて問題ではなかった。昭和四十年代の発行らしい。古いもんだ。梅原龍三郎の画集を買えたのがうれしい。あとピサロ。私はピサロの寂しい感じがちょっと好きだ。
 レンブラントの本を見たら、ゴッホの言葉が載っていた。「なんという共感を得る絵か」みたいな言葉。いい言葉だと思った。細かい文章は覚えていないが、とにかくいい言葉だったのだ。早く「ゴッホの手紙」を読みたい。しめて1700円なり。
 商店街に、「一年生になったら」が流れていた。道行く子連れのじじいや奥さんが、自分の子供に向かってそれを歌いかけていた。やっぱりまだそういう風景はあるんだ、となんだかはっとした。大須らしいといえば大須らしい。
 その後大須を回ろうと思ったが、あまりに鞄が重いので帰宅。途中で大須観音にお参りをする。手をたたいてはいけないのに二礼二拍一礼をしてしまった。観音様はそのくらいで怒ったりはしないと思うのだが、おみくじをひいたら凶だった。しかし「くるべきものがきた。はじまるべきものがはじまる」という感じ。待っていてはいけない、とすべてにおいて書かれていた。その通りなんだろう。他人の力を頼ってはいけない。私は私一人の力で進む。おみくじを結わえて帰路についた。
 家に帰ってからも、まだ映画を見ようか迷っていた。映画代になれば、と思い本を15キロ抱えてブックオフへ。いつもは軽い道のりが、いつもの三倍長い。指が鬱血してやばかった。55冊売り、1600円になった。ゴッホディアゴスティーニを購入。ベクシンスキーの画集には値段がつかず、もって帰ることに。ツイッターで募集したら、羊角の人が名乗りを上げてくれた。忘れないように送らないと。
 結局映画はやめ、薬局で洗顔料を買い、コンビニで菓子パンを買って帰る。涼宮ハルヒの消失も気になったけどさすがに本を優先しよう。見る暇がない。
 帰宅し、なんとなくUSTをやろうと思い立つ。風呂に入り、出たら母親が誕生日プレゼントだと冗談めかして言って味付けのりをくれた。笑いつつも、ちょっとむなしい。何もなくていいのに。そのあと「千と千尋」をちょっとだけ見た。
 USTは平均30、最後20人くらい。まあまあなのでは? また是非やろう。しゃべるのって難しいな。
 今回は誕生日メールを結構もらった。プレゼントはひとつももらっていないけど、メールだってうれしい。ということにしておこう。言葉を大切にしよう。人を大切にしよう。


朝:チキン、卵、納豆、トマトスープ 
昼:なし 
夜:卵、いわし、トマトスープ フレンチトースト