不思議じゃない
『ヒューゴの不思議な発明』を観てきた。3Dは『トイストーリー3』ぶり。いやー、やはり技術は刻一刻と進化してるんだな。ものすごい3Dだった。埃から光から質感までどこまでも手が入れられていて、テレビゲームの中に入り込んだようだった。ダーククロニクル的な世界。
家に帰った後、同居人達に「面白かった?」と聞かれて、「うん、タイトルほどハリーポッターな感じじゃないけど、ヒューマンドラマとして楽しかったよ」と無難に答えた自分になんとなく罪悪感。
じんとした場面は確かにあった。『月世界旅行』が映写されるところ。最後に、メリエス作品が次々映し出されるところ。
でもそれってこの映画を観ての感動なんだろうか、と真面目に思い返すと、自分の思い出とか、映画への思い入れにじんとしていただけなのかなあ、とも思ってしまう。まあそれでも間違いじゃないんだろうけど。
全体的に間のびしていることとか、一つ一つのモチーフとかキーワードにつぎはぎ感をおぼえること以上に、「映画」をテーマにした映画、ということの意味を考える。
映画の素晴らしさというものは、私も個人的な体験として知っている。それを確認できるネタが随所にしこまれているから、確かに「そうだよね」と思いながら観られるんだけど、「そうだよね」的世界では絶対に観られないものを作り出したことにメリエス(現実の)の偉大さが、そして映画の恐ろしさがあるはずだ。走ってくる汽車を観てわあっと立ち上がってしまうような、そういう奇怪な瞬間というのがなかったことが、妙に心にひっかかる。
これはメリエスへのファンレターだ。メリエスという人間を、映画として超えようとはしていない。メリエス への、純情100%で作られている。だから共感できる。「映画っていいよね」、と、スコセッシ監督と手をとって言い合うことが出来る。そういうのは楽しい。だから観たことを後悔はしないし、「良かったよ」と言うことが出来る。そういうことに尊さを感じる人もたくさんいると思う。
でもどうしてもどっかでひっかかる。
これは私個人の問題なんだろう。