山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

「かかとのない人、アサッテの人と出会う」

 多和田葉子諏訪哲史の講演会「かかとのない人、アサッテの人と出会う」を見る。この対談は群像に掲載されるらしいけど、まあ私は私で内容をまとめておこうと思う。

 多和田葉子は、ドイツに住み、ドイツ語でもたくさんの作品を発表している日本人作家。先にドイツでデビューし、日本では、「かかとのない人」で群像新人賞をとってデビューした。芥川賞谷崎潤一郎賞を受賞。また、坪内逍遥賞を受賞することも決まっている。押しも押されぬ超実力派作家だ。好きな作家は、と聞かれて「多和田葉子!」とまっさきに名前をあげる人は少ないかもしれないが、むしろ海外では大変有名。ドイツあたりでは、大江健三郎三島由紀夫と並ぶ知名度らしい。 

 私は、この講演会の告知を見るまで、多和田葉子の名前自体は知っていたものの、作品は一切読んだことがなかった。この講演を見るにあたり、急いで色々読んだ。まだ全部は読んでいないが、今のところ、私は彼女の文学をさほど「好き」にはなっていない。私は読者としてはやっぱり単純に「物語」を享受したいタイプなので、言葉そのものでがつんがつん転ばされるような小説は、若干苦手なところがあるらしい。しかし彼女の創作スタイルには非常に興味を持ったし、日本の現代文学を語る上では避けて通れない人だな、と感じた。

 ちなみに読んだのは、「犬婿入り」「きつね月」「ゴルトベルク鉄道」(これは紀行文ぽくて結構好きだ。風景描写など非常に美しい)「カタコトの戯言」「アリアドネ」。
 それから今日の昼間、3時間くらいかけて、ユリイカ多和田葉子特集や、群像など各種文芸雑誌の多和田葉子論を読んだ。やはり多和田葉子を語るには「言語」の問題に触れざるを得ず、また「翻訳」が含む様々な問題を論じないわけにはいかない。言語学の知識のない私にとってはかなり難解な内容もあった。このあたりを理解するには、人が言語をどのように認知しているのか、というところから知る必要がありそうだ。まあ、私はひとまず、普通の読者としての感想を大事にしようと思う。

 16時40分から講演会はスタート。まずは多和田葉子さんによる詩の朗読が行われた。ドイツは、作家自身による作品の朗読会というのが大変盛んな国で(日本ではなぜそういうのが全然ないんだろう。「聞く」言語ではないのかな、やっぱり……)、多和田さんもすでに200回以上、自作の詩や小説の朗読会を行っている。日本でも毎年詩の朗読会を開いているらしい。

 最初に読まれたのは、題名の無い詩。伴奏としてクラリネットが入る。クラリネット奏者とかけあうように、詩の言葉を発していく。途中で伴奏者は、クラリネットではなく、自らのうなり声で応えたりもする。不思議な感じ。
 次に読んだのは、「じんしんじこ」というタイトルの詩。これは「ひらがな」だけで書かれた詩なんだそうだ。人は言葉を音で聴くと、自然に漢字まじりでそれを思い浮かべる。この詩でいったいどういう漢字を思い浮かべるでしょうか、という前置きと共に詩が始まった。「じんしんじこ、にんしんじこ……」という言葉から始まったその詩は、全体的に「妊娠」「人体」というような言葉を連想させるような「音」で続いていった。ちょっと怖い。

 さすが朗読慣れしていて、声がよく通っていた。役者の声ではなく、まさに「朗読」の声だった。火野栓子とも違う。私が小さい頃子守唄代わりにいつも聞いていた、グリム童話の朗読テープの声を思い出すような、心地よい、さくさくとした読み方だった。普段ドイツ語を話しているせいか、ら行が全体的に巻き気味。

 諏訪先生登場後は、対談。そういえば、今日はベルリンの壁崩壊からちょうど20年目なんだね。

 実は、諏訪先生が群像新人賞の候補作となった際、彼の受賞を一番押したのが多和田葉子なのである。多和田さんは諏訪先生の作品「アサッテの人」を、「文章や構成に緊張感がある」と高く評価していた。私もその選評は覚えている。それ以来、諏訪先生にとって多和田さんは特別な、慕わしい女性なんだそうだ。WEBコラムで「誰か止めないと俺は彼女に告白しちまうぞ!」と宣言していた。止めるものか。告白をする権利は誰にでもある。彼女にもふる権利はあるのだから。

 

 以下、うろ覚えな台詞。

諏訪「まずは多和田さんに僕はありがとうを言いたい。生まれてきてくれてありがとう。そして2年前に、群像新人賞選考員でいてくれてありがとう。本を書いてくれていて、ありがとう。今日はるばるこの文化不毛の地名古屋におこしくださり、ありがとう」

多和田「まあ(笑)」

諏訪「実はですね……僕はずっと前から多和田さんに言いたかったことがありまして。僕はベルリンに『諏訪婿入り』をしなければと思っているんです。多和田さんのお父様にお会いする度に、娘さんのところに婿入りさせてくれと頼んでおりまして、悪くない反応を得ているんですね。これはもう、『犬婿入り』ならぬ『諏訪婿入り』をするしかないな、と」

多和田「ふふふ……(苦笑)」

諏訪「やっぱりね、ここは、外堀を埋めていかなきゃと思いまして。周りに『諏訪哲史多和田葉子はそうらしい』と印象付けて、なんとなくそういう流れに持っていこう、と、まあそういうつもりで僕は今日ここにいます」

多和田「笑」

 って感じで最初はとにかく諏訪先生のラブコールだらけ。

諏訪「多和田さんの本を僕は三ヶ月かけて全て再読しました。そしたらね、多和田さんの好みの男性像ってものがわかったんです。いいですか、この本にこうある。(以下、なんかの作品の←忘れた。引用)まあこれらを総括するとね、僕は多和田葉子の好みからは外れていない。それどころか、多和田葉子の理想を具現化すると僕の姿になるのではないか、とすら思っている」

 観客も多和田さんも、笑いまくり。しかし、多和田さんのカウンター技術は高かった。

諏訪「てことで、僕はベルリンに行かなきゃと思っているんですが、その辺どうですか」

多和田「うーんそうですね。ベルリンは……元プロイセンですね。プロイセンは、ご存知でしょうけど、日本が近代化の際お手本とした国ですね。工業化の波自体には一歩他の国より送れてましたけど、軍事やなんか、すごくて」

諏訪「ビスマルクとか」

多和田「そう、ビスマルク。とても剛直で、強い感じの国なんです……諏訪さんそういうところ向かないんじゃないですか」

 聴衆、爆笑。

 まあ、そんなやり取りを前座に、やがて文学の話に。多和田さんは自分メインの語りをあまり望んでいないのか、しきりと諏訪さんの小説の話をする。まずは諏訪さんの「ロンバルディア遠景」の話から始まった。

多和田「私の友達の別荘がロンバルディアにあるんです。作品に出てくる○○城(何城だったっけ)の辺の風景とか、わかります。なんかね、ドイツの心理学の文献読んでたら、『普通の人は、穏やかな風景――静かな海辺とか草原とか、そういうものを好むものだ』ってことが書いてありました。前に山、後ろに絶壁とか、北海、冷たくて怖い海です。そういうちょっと恐ろしい風景を好む人は少しおかしいんだって。それってまさに私が好きな風景なんですけどね。でも日本の風景も基本的にそういう風ですよね。山が多いし、絶壁も。私ずっとそういう風景が好きで、穏やかな風景なんか弱々しくてダメだ、そんなもの見ながら文章なんか書けない、って思ってたんですけど……でもね、実際行ったら、良かったです。文章、書けた(笑)。諏訪さんは何故、ロンバルディアを書こうと思ったんですか?」

諏訪「僕はこの作品を書く前に、イタリアを鉄道で旅をしました。僕は澁澤龍彦が空きなんですよ。彼の紀行文に刺激されて……ゲーテは読まずに、澁澤龍彦を読んで、イタリアを旅したんです(笑)」

 ロンバルディア、行ってみたいなあ。
 「イタリア紀行」は読んでから行こう。

 続いて、「朗読」の話に移っていった。

諏訪「多和田さんと初めてお会いした時、多和田さんはマグロのヅケ丼を食べていました。僕はその時、『多和田葉子がヅケ丼を食べている!』とびっくりしたんですけど」

多和田「覚えてない(笑)」

諏訪「二度目にお会いした時にはね、多和田さん、僕に『朗読しなさいよ』って薦めてきたんです。僕はどもりなので、その時も『どもりだからできません』って言ったんですよ。そうしたら多和田さんは、『どもれるからいいんじゃないの!』って仰った。それが僕にとっては本当に衝撃でした。何かひとつの啓示を受けたようでした。「かかとのない人」を読んでいて思ったんですけど、かかとのない人、というのは、かかとがないからあちこちに軽々と行ける人、ではない。つま先が地面と着いているが故に、ゆらゆらと揺れることができる人、なのではないかと。「どもれる」「つまづける」、それは決して障害という意味しか持たないことではなく、何か得がたい体験でもあるのだと、僕の中で意識の転換があったんですよ」

多和田「なるほど。あのね、どもるとか……あと、なまるとか、そういったことに、言葉のことを考えていると、突き当たらざるを得ないんですよ。どもるとかなまるっていうのは、何かこう、自分が元々知っている、自分の体のうちに元々ある言語と、そうではない言語がぶつかる時に生まれる火花みたいなものなんですよね。何かを言いたい、でもそれが自分の中にある言葉と違うからつっかかる、だからなまる。外国語に触れていると、「なまり」のことをとても考えます。駅でチケットを買う時、『チケットを下さい』と言います。多分それはそれほどなまってはいないんです。それは私自身の言葉ではなく、誰かが言った言葉の真似だからです。でも、私の中にしかないものを書こう、言おうとした場合、それを言う時、なまっていない言葉で言うことはできない。知らない言葉を言わなきゃいけないからです。現代の特に日本では、「なまらないこと」「流暢であること」がすごい、言葉ができる、と思われがちですか、それは違うと思います。新しい言葉に挑戦する限り、そしてそれまでに遣ってきた言葉がある限り、「なまる瞬間」はある」

諏訪「まったくの白紙ではなまれないですからね」

多和田「そう、赤ちゃんはなまりません。あくまで、前の言語の記憶が言葉をなまらせるんです。学習して言った文章と違い、自分が作った文章はなまらざるを得ない。前からひきずるものがなければ、むしろおかしいです」

諏訪「多和田文学を語るとき、日本語とドイツ語の問題に触れないわけにはいかないのですが、その辺をどうお考えですか」

多和田「ドイツ語は、とても力強い言語です。抑揚があり、音楽的な印象を受けます。力をこめるべきところがいくつもある。それに対し、やっぱり日本語は多少「弱い」印象にはなってしまいますね。平坦で、メリハリがつけにくい。朗読をする時も、どこに抑揚をつけるべきか、わからなくなるんです。そうやって模索している時に気づいたのは、小さいつ、「っ」の存在です。日本語は、ここに力がこもる。言語的には二重子音と説明されますが……実際には、二重に音を発しているわけではないですね。何かを言いたい、しかしその気持ちを一瞬ためて、発する」

諏訪「言いたい気持ちを一回保留にしてから出す、というような」

多和田「そう、だからそこに私は、力をこめて朗読をするようになりました」


 ここまでで三分の一くらいだろうか。

 記憶と、ツイッターにぶちまけたメモと、手書きのメモだけを頼りに再現しているから実際とはたくさん異なる部分があると思うけど、ひとまずここまで。


 私は演劇をやっているので、「朗読」には結構色々思うところがある。朗読はおもしろい。目で読むのとはまた違う感覚が味わえる。このような大人数の講演会というのは、朗読を聴くにはあんまり相応しくない場所だ。私は朗読はとことん静かなところで、集中して聞きたい。もしくはCDで漫然と聞きたい。だから今回のような形の朗読はあまり集中して楽しめないところがあったのだが、しかし多和田葉子の声はとても好きだと思った。ちゃんとしたカメラマンだから仕方がないのだが、彼がうろうろしていることも大分、集中力の妨げになった。というわけで、朗読された詩の内容はあまりちゃんと、覚えていない。

 なまるということが、前知の言語と今まさに言おうとしている言語のぶつかり合いから生まれる火花である、という言葉にははっとさせられた。なるほどなあ、そういう風に考えたことは一度もなかった。自分の言葉がどこでなまるのか、考えてみるとおもしろいかも。