山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

私の娘だったら

色々じっくりやりたかったものの結局ドタバタになった一日。
11時からIと打ち合わせ。作品のタイトルについて。二人でああでもないこうでもないと言葉をいじくり回す。最終的に、雑談から流れ流れていいところに落ち着く。やっぱり一人の悶々より二人の悶々の方が質が高い。考えながら、ベビーカステラをやたらと食べた。
そのまま二人で食事。中華料理屋で向こうは中華丼、私は回鍋肉定食。最近考えていた、「両手で何かを握りしめた状態だと、新しいものを手に取ることができない。いつも両手を開けていないと駄目。だからなるべく、目の前のものや人に執着しないように生きたい」ということを話す。もちろん、できているからじゃなくて、できていないから話したことだ。執着しないって難しい。
食後、某社へ行って専門誌のバックナンバーをしこたまもらい、ついでにスタッフのYさんと久々に二人で語らう。しきりと文章をほめてくれた。
「小池さんが私の娘だったら本当に自慢できると思う。私が産んだとは思えないくらいすごい娘なんです、って皆に言っちゃうよ」
彼女は私の母と同い年だ。母とはもうやり取りがないが、母と同い年の女性にこうやって言われるとなんだか胸があたたかいような、ものすごく切ないような不思議な気持ちになる。最近ちょっとそっちの方に対してセンチメンタル気味。妙なご縁で、Fさんという六十代の男性(私と同い年の娘がいる)とずっとメッセのやり取りをしているのだが、彼の言葉を読んでいてもふと父のことを思い出したりする。
ミスドで資料読みをしてから久しぶりに自宅に帰還。18時から某テレビ局の取材電話を受ける。夕食は目玉焼き、野菜炒め、納豆。
寝るまでに論文をいくつか読む。Riker & Ordeshook (1968)の投票コストモデルについて知る。

R (Reward)=P (Probability)×B (Benefit)-C (Cost)+D (Duty)

これは、「選挙において個人の投票が結果を左右する確率(P)は極めて小さいため、投票から得られる直接的な利益がコスト(C)を上回ることはなく、投票は義務感によってようやく支えられている危ういものだということを示している」らしい。また、「投票以外の参加については行うことで得られる利益 は大きくなる可能性もあるが、必要なコストも跳ね上がる」とのこと。政治って何から何までコストがかかるんだなあ。
夜は12時に就寝。