山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

初・裁判傍聴

 生まれてから22年、裁判というものを見たことが一度もない。見に行こうと思えばいつでも、しかも無料で見に行けるのに、である。
 そのことに遅まきながら気づいたのは、全国初の裁判員裁判についてのニュースを、ヤフーニュースのトピックで見た時だった。
 裁判員制度が施行されたのは2009年5月だが、実際裁判員裁判が行われたのはその三ヵ月後、8月3日のことだった。裁判の対称となったのは、東京都足立区で起きた殺人事件。殺人罪で起訴されたのは70代の男性である。結果懲役15年の判決が下ったが、被告人は判決を不服として控訴した。
 初めての裁判員裁判だものな、そりゃ色々難しいだろう、とのん気に思っていた私だったが、控訴審には裁判員は参加しない、と聞いておやと思った。じゃあ一審で裁判員が参加した意味はなんなんだろう。
 そういったことを考えた時、自分が、裁判についてあまりに無知であることに気がついたのである。
 裁判、見てみよう。
 唐突に、私は決意した。

 実は私は、今まで裁判とまったく無関係に生きてきたわけではない。12年も前の話になるが、我が家は裁判を起こしたことがある。死んだ父親の生命保険の受取権利を巡って、父の勤めていた会社と争ったのだ。その会社には不当なやり方で生命保険を奪われており、「それは絶対におかしい」と、相談した弁護士に言われた母が裁判を決意したのだが、結局、長期にわたって裁判を続ける金自体が我が家に無かった為、示談という形で終了した。
 その頃のことはよく覚えていない。流石に、10歳やそこらで裁判や法律云々の難しいことは理解できなかった。母が弁護士と頻繁に連絡を取り合い、色々な書類のやりとりをしていたことだけは覚えている。今回裁判について考えてみるにあたり、母親にその頃のことを聞いてみたが
「もう私もあんまり覚えてないよ。大体弁護士さんと書類のやり取りしてただけだからねえ。なんかたまーに裁判所みたいなところ行ってたけど」
 と、流石私の母親と言わざるを得ない適当ぶりなのである。ちなみに、母親に裁判員裁判の話を振ると
「頭の悪い人とか、変な宗教観の人とかも判決に影響与えると思うと嫌」
 とのことだった。
「**、裁判見に行くの? なんか怖そうだね。裁判所は人の念が多そうだから気をつけて」
 適当なくせに、人をびびらせるのはうまい母親なのだ。

 裁判を傍聴しようなどと、これまでの人生で一度も考えたことがなかったので、まずは名古屋裁判所がどこにあるのか調べるところから始まった。道筋を検索し、午前の部を見るべく、早起きして丸の内に向かう。地図で示された辺りに行ったところ、似たような建物がいくつもあって戸惑った。簡易裁判所家庭裁判所などいくつかの棟に分かれているのだということすら、私は知らなかったのである。
 傍聴は自由、と公式HPを見て知ってはいたものの、いざ建物を前にすると、威圧的な正面玄関にすくんだ。本当にこんなところを一般人が通っていいのかと不安になり、しばらく入り口付近をうろうろした後、警備員に「入っていいんですか?」と聞いてからようやく扉をくぐった。
中には、傍聴を希望していると思わしき数人の一般人がいて、裁判の予定表(開廷表という)を眺めていた。開廷表というものを見るのは、当然ながら初めてだ。民事と刑事に分かれており、刑事裁判のファイルの方を見ると、被告人の名前や弁護士の名前は勿論のこと、「窃盗」「道路交通法違反」など、被告人が何をやらかしたのかまで書いてある。ひとつひとつの裁判が、30~45分と短時間であるのには少し驚いた。数時間はやっているものだと思っていたのである。午前中だけでも、10近くの裁判がある。どれを見ようかと迷う中で、自分が「なるべく派手な事件の裁判が見たい」と思っていることに気がついた。この日行われる裁判は、窃盗、道路交通法違反、あと覚せい剤取締法違反などのみで、殺人のような、一種分かりやすい、テレビで見るような事件の裁判は無かったのである。
道路交通法違反とかはなあ~、そんなに珍しいことじゃないしなあ」
 などという思考は結構怖いものかもしれないと感じた。まさにテレビ番組を選ぶように、傍聴する裁判を選んでいるのである。
 ひとまず、一番近い時間の裁判を見ることにし、名古屋地方裁判所7階、刑事事件裁判を扱う法廷が何部屋か集まっているフロアに行った。静まり返った廊下は、人気のない古い病院のようである。702号室、「傍聴人入り口」と書かれた扉を見つけたはいいが、入る勇気が出ない。
 傍聴人入り口には小窓がつけられており、そこを覗くと裁判の様子が一目瞭然だ。もう開廷中のところもいくつかあり、「そういった法廷は、当然のことながら厳粛な空気に包まれている。途中入室・退室共に自由なのはわかっているのだが、やはりまごつく。こ、怖い。
 その時、私の横を、傍聴歴20年ですと言わんばかりに慣れた雰囲気の爺さんが通りかかった。次から次へと、傍聴人入り口の小窓を開き覗いて回っている。どうやら品定めをしているらしいのである。最後には、私が入ろうか入るまいかまごついている法廷の中へ、さっさと入室して行った。ええいままよ、と私も覚悟を決め、爺さんの後に続いて入室をする。
 この法廷、702号室で行われていたのは、窃盗事件の新件裁判である。被告人は七十代の男性。スーパーから「うなぎの蒲焼2パック、及び米一袋」を盗もうとし、気づいた店員によって捕まったらしい。この季節になぜうなぎの蒲焼2パックなのか。なんだかちょっと間抜けな事件だ、というのが、正直な私の感想だった。
 傍聴席から見て右側に弁護人が、左側に検察官がいる。中央に裁判官と書記官が、左奥に司法修習生が座っている。被告人の後ろには、監視員(というのかどうかは知らない)が二人控えているが、二人は最初から眠たそうだった。
法廷内は案外狭い。まあそう感じるのは当然だろう。私が普段ニュースで目にしている裁判所は、東京の大きな裁判所の、大きな法廷なのだから。
 まずは弁護人が、被告人に色々質問をしながら弁護を述べて行く。被告人はどうやら、犯行当時かなり飲酒しており、酩酊状態だったらしい。
「あなたはその時どんなお酒を飲んだのですか? どのくらい飲んだのですか? どこで飲んだのですか? 普段はどのくらい飲まれますか?」
 私からすると「そんなことまで聞かなくてもいいんじゃないの」というくらい細かな質問がいくつも重ねられる。
 正直なところ、最初はひどく退屈だった。監視員も半分眠っている。弁護人と被告人は、淡々と質疑応答を繰り返すだけだ。
 だが、検察官の質問が出てきたあたりから、なんだか妙におもしろくなってきたのである。
 被告人の男性は、医師からアルコール依存症と診断されており、現在も治療中なのだという。当然ながら犯行時も医者からは禁酒を言い渡されており、薬ももらっていたのだが、薬がきれ、つい酒に手を伸ばした。飲み友達の友人を訪ねて行ったところ友人に会えず、腹が減ったのでとりあえずスーパーに入ったが、財布を忘れていたことに気づくと酔いから腹立たしさが湧き上がり、その場にあった食べ物を適当につかんで外に出たのだという。
 被告人はこれを、怒りにわれを忘れ、無意識にやってしまった行動だと言う。しかし、検察官はこう言った。
「監視カメラで見るとね、あなた上着の内側にうなぎを隠しているんですよ。やりなれた行動にも見えるんだけどね」
「……何故だかは、自分でもわかりません」
 そして、検察官の質問によって、被告人の男性に、前科が二件もあることがわかった。毎度毎度、酒を飲んで何かをやらかして捕まっているのである。検察官は、黒縁めがねで体格の良い男性だったが、その人が言った。
「あなたね、このままだと酒で死ぬよ。別に責めてるわけじゃない。心配で言うんですよ。こんな量を飲み続けて、犯罪し続けてたら絶対に死ぬ」
 被告人はうなだれるばかりだった。最後に裁判官が、被告人に、いくつか「約束」をしろと言った。その約束とは、二度と酒を飲まないこと、社会復帰し仕事を見つけること、親戚の住む場所へ帰ること、スーパーへの弁償をきちんとすること。ひとつひとつ丁寧に約束をとっていく裁判官を見て、なるほどなと思った。
 裁くことだけが目的ではない。今後、いかに再犯を防ぐことができるか、そういったことをも、裁判を行う人たちは考えなければならないのである。想像することしかできないが、それは大変なことだ。
 判決は次回に持ち越されたので、私が見たのはそこまでである。たった45分であったが、被告人の人生を垣間見たような気分だった。窃盗はもちろんいけないことである。それをおもしろがるのは不謹慎なことであろう。しかし、犯罪というものがいかに人間の人間たる所以を露にすることか。犯罪は、芸術や文化と同じくらい人の個性とアイディアに満ちている。ネットを巡ってみたところ、裁判の傍聴が趣味のような人をちらほら見かけたが、その気持ちは決してわからないものではないな、と感じた。
 私が見た二件目の裁判は、覚せい剤取締法違反の事件である。私と同い年くらいの金髪の女性が被告人だった。知人男性(彼氏)と一緒に覚せい剤を吸って捕まったらしい。傍聴人は少なく、関係者らしき人が数名と、中学生が4人ほど、あとはひとりふたり男性がいるだけだった。
裁判終盤で裁判官が退席し、数分の沈黙の後、戻ってきた裁判官によって、判決が言い渡された。懲役1年6ヶ月、執行猶予3年。覚せい剤の罪ってこんなものなのか、とまず思った。三年間おとなしくしていれば大丈夫なのだから案外ゆるいものだ。
被告人の女性は、金髪のぼさぼさ髪をたらしてずっとうなだれていた。が、しおらしくしているわけではなく、終始つまらなそうで、傍聴席の方にもじろじろと視線をよこした。その傍らには両親がいて、その二人も退屈そうだった。裁判終了後、三人は廊下に出ていて、弁護士と和やかに話をしていた。色々とやはり、予想と違う光景だと思った。法廷にいる被告人関係者はみなピリピリしているか嘆いているかしており、法廷を出てもその緊張感は持続しているもの、と思っていたがそうでもないらしい。

 ロビーで、社会科見学らしい中学生がいたので、話しかけてみた。 
 彼女らは、その辺の私立中学校の3年生だそう。公民の授業で裁判を見てレポートを書けという課題が出た為、この日傍聴をしていたらしい。Aさんの方は、以前に学校見学でも裁判を傍聴したことがあったそうだ。
 今日裁判を見てみてどうだったかと聞いたところ、Aさんは10秒ほど考え込んだ後に
「案外、事件の話は少ないと思った」
 とつぶやいた。
覚せい剤をやったことが悪いことだってことは言ってたけど、それより、今後どうやってそれをやめて行くつもりですか、みたいな質問が多かったんです。また同じようなことをあの人がしないように、と思って色々言っていたんだと思う」
 私が感じたことと一緒である。Bさんは、
「初めて見たんですけど、なんか緊張しました。検察官とか、裁判官の人の質問が結構きつくて驚きました」
 と語った。確かに、被告人の言ったことに対して、検察官は「それは何故ですか」「こうこうこういうことも考えられますがどう思いますか」とたくさんの質問をする。
 二人は、裁判中ずっと熱心にノートを取っていた。前にも一度見ているAさんによると、弁護士が居眠りしていたことがあったそうだ。これを見て裁判とか興味出た? と聞いてみたところ、それには二人とも苦笑い。
 最後に、裁判員制度について聞いてみた。中学生が裁判員制度をどのように捕らえているかは私にはわからないところだったのだが、以外にしっかりと答えが返ってきた。
「この間と今日と裁判を見て、弁護士さんとかがは、私たちが全然知らないことをたくさん知っているということがわかりました。法律は難しいし、犯人とか犯罪とか言ってもすごく色々な事情があるし、そういうのをどう考えて結論を出せばいいのかは普通の人にはわからないと思う。こういうことは、ちゃんと勉強した人じゃないと正しい、というか、公平な結論は出せないんじゃないかと思います」
 これがAさんの意見。Bさんは、
「もし自分が裁判員になったら怖いと思います。人の人生を、自分なんかの意見が左右すると思うと、責任が重過ぎる。私は裁判員にはなりたくないです」
 とのこと。
 
そこでそこそこ気が済んだので、裁判所の外に出た。すると、本当に偶然だが、知人の女の子に遭遇した。よし子(仮名)という彼女は、私が所属する社会人サークルのメンバーで、数ヶ月おきくらいにしか会わないのだが、なんと、弁護士事務所で働く法律事務員なのである。裁判所へは毎週のように通っている。だからここに彼女がいること自体はたいした偶然ではないのだが、たまたまその時間に私が来たというのはやはりナイスタイミングと言うほかない。久しぶりの再開を喜び合ったのち、彼女は言った。
「へえー、勉強のために来たなんて偉いね、じゃあ私が、一般人があんまり入れないところに連れてってあげようか? 私今から書記官室行くんだ」
 私は、その好意に甘えてよし子について行くことにした。元来た道を引き返す途中でも、よし子は、裁判所としていくつかある棟が、それぞれどういう内容を担当している場所なのかについて説明してくれた。難しい専門用語が当たり前のように飛び出すので、その度に「それってなあに」と聞きまくる。彼女は法律事務員であって司法関係の資格を持っているわけではないが、それでも私なんかとは段違いに、法律というものに触れている人間なのだと改めて実感した。
 裁判所に入り直すと、よし子は、事務棟と呼ばれる棟の方へと歩いて行った。
「そう、私たちみたいな事務員とか、あと弁護士さんとかみたいな裁判所関係者はこっちで色々やるわけね。未樹ちゃんがさっき行ったのは法廷棟って言うの」
 まずは事務室でさまざまな書類を整理し、次に書記官室へ向かう。
「うちの先生が担当した裁判で判決が出たから、その証明書類に、書記官の判子を押してもらうわけ。これで、この判決が正式に通達されるの」
 書記官室はいくつかの課に分かれており、行政裁判や民事・刑事裁判などの担当に分かれているのだという。
 これでよし子の用事は済んだので、出口へと向かった。その途中でも、色々なことについて説明をしてくれる。
「うちに新人の事務員が入るとね、まずは裁判所案内ツアーをやらされるの。事務員のやることは裁判所と事務所の往復が多いからね。事務棟を一通り案内して、最後に、じゃあこの日やってる裁判を見て帰ろうか、って言って、裁判傍聴して、終わり。見るならやっぱり民事より刑事事件の方がおもしろいね。民事はねえ、事件の内容とか公証事実とか、いちいち弁護士が言ったりしないんだ。下手するといきなり判決言って15分で終了、とかもあるから訳がわかんないの。書類でのやり取りが主だからなのかなあ、そこまでは私にもわからないんだけど。やっぱ殺人事件の裁判とかだと傍聴人は増えるよ。一昨年の長久手立てこもり事件の時なんかも、整理券配られるくらい人が来たし」
 やっぱり、傍聴にも面白い面白くないがあるのだ。なるべく非日常のものと触れ合いたいという意識は、誰でも持っているものだから当然かもしれない。

 よし子を通じて、よし子の事務所の弁護士さんが、裁判員制度についてどのような意見を持っているのかを聞いてみた。
「うちの先生は、やっぱりあまり良い制度だとは思わないって言ってた。この間の、初めての裁判員裁判のニュースは未樹ちゃんも見たでしょ? ああやって、今後は多分どんどん控訴が増えるだろうって。控訴審では裁判員はいないし、ある程度の意見の反映があるとしても、基本的には二度手間だという印象の方が強いよね。ひとつひとつの裁判も今までより確実に長引くし、そうすると司法関係の人間も大変だよ。先生は、今回の裁判員制度導入は結局のところ、冤罪の責任とか、死刑判決によって国に向けられる批判を、裁判に国民を参加させることで薄めようっていう意識が根本的にあるからあかんのだって言っていたよ。良い悪いは関係なく、アメリカやイギリスとは、裁判の成り立ちも、裁判に対する国民意識も違うから、同じような効果は得られないって。
あの裁判のことが新聞に載った時さー、背先生新聞広げて皆を呼んで、『な、おかしいだろ? 絶対変なんだよこんなの』ってずっと言ってたんだよね。私も同感なんだ。今後いろんな裁判の結果を、『国民もこれを選んだんだから文句言うなよ』って言われる気がする」
 確かに、冤罪や死刑についての議論は絶えない。裁判員制度導入に辺り、こういったテーマがしばしば問題視されてきたことは、いくら無知な私でも知っている。こういった問題に、国民としてどうあたるべきなのか、と聞かれたら私には正直答えられない。

 今回裁判を傍聴してみて、裁判員制度のことについては、今まで以上によくわからなくなってしまった。私の周りには、一人として、裁判員制度を「良い」という人はいない。今回初めて話を聞いた人たちも、同じく批判的な意見を持っていることが多かった。
 では、このように批判される制度がでは何故取り入れられたのか。こういった国民の反応は、国も予想していたに違いない。
 裁判の傍聴はまた行くと思う。裁判は、その人が生きていくあり方のようなものを、ある意味でシンプルに再構築してくれるツールだ。それでわかりやすくなることが確かにたくさんある。しかしそのツール自体はものすごく複雑で、扱う人間や扱われる状況によってさまざまな顔を見せるらしい。もっともっと見なければならない。次はきっと、ためらうことなく傍聴席まで向かうことができるだろう。