山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

スピリチュアリズムについて

 今日も一日大人しくしていた。仕事は資料作りを一件。
 夕方に散歩に出る。気づけば桜が盛りを過ぎて散りはじめていた。

 具体的な宗教含め、スピリチュアリズムとの付き合い方については、人それぞれが一度くらいは考えてみてもいいと思う。まったく何も考えないで付き合うよりも少しはリスク対策が出来るし、人によっては何かしら得るものがある。
 私の場合、幼稚園のときのカトリック体験と、父が死んだ後に押し寄せてきた様々な宗教勧誘員との不毛な問答地獄という二つの体験(どちらも子どもの頃)が全ての根底にある。端的に言えば、私が確固たる信仰を持つことは一生ないだろう。特に悲惨な目にあったわけではないが、ことの重大さ云々ではなく、取り返しがつかないタイプの経験だったのだ。
 宗教ではなく、いわゆる「スピリチュアル」と言われる分野については、もう少し複雑な距離を感じている。こちらについては「その人を信用するかしないか」という判断になりがちで、結局は人付き合いと同じなのだ。
 個人的なデータを元に言えば、いわゆる霊能力的なものを持っている人はいくらでもいると感じる。ただ、その力にある種の「的確さ」を添えて他人と関われる人間は、「持っている」人の中のせいぜい2割くらいではないだろうか。また、そうだから聖人でそうでないからクソ野郎というわけでもない。ものすごい力を持ったクソ野郎もいるし、霊能力なんかろくに持っていなくても、それに近い威力で人を揺さぶれる人もいる。やはりこういうのは性格の違い程度の問題である。もちろん私に霊能力はない。
 真面目な話、「思い込みの激しさ」と「スピリチュアル能力」にさしたる違いはないと私は考えている。個々人の現実とは、人が何かを選択し信じる力そのもののことなのだから当然だ。「思い込みと一緒にしないで!」と怒るスピリチュアリスト(という表現があるのかな)がいたら、私は「思い込みを馬鹿にするのはいかがなもんか」と返すだろう。

 どちらにしろ、まずは自分で判断してみることが大事だろう。人間の思考のどこからを「判断」と呼ぶのかは難しい問題だが、思考を止めることはあまりにも容易い。