山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

どうでもいい

色々としんどい。あれも これも それも どれも 何もできてない現状。
昨日はほんときつかった。朝っぱらから嫌なこと続きで。
なんで人は自分の都合の良いように記憶を作り変えていくんだろう。そこで切り捨てられたものに自分の何かをひっかけている身からすれば、それはものすごいショックなことなのに。とりつくしまのない世界にただ一人残される孤独。言葉を並べ立てても、それが相手の中の何を喚起することもない状況では、ただ自分がむなしくなっていくだけだ。
そのままの気分でゼミを受ける。意見を求められても頭が回らなくて、何を言ったか覚えてない。しかも読まされたのが大島弓子。じりじり、イライラ胸の中が刺激される。ちび猫の可愛さが、私の中の正反対の部分をかきむしる。何かくれ。ポリバケツをあけてくれ。

私が固有名詞と引用を多用することを、知識のひけらかしだと周りが思わなければいいんだけど。あまりに小さい時から活字と絵画と映画に使ってきたせいで、わたしにとってそういう言葉や人の名前や作品の名前というものは、動詞や助詞と同じようなものなのだ。それで得意になったことなんか一度もない。私は逆に今のものを知らない。今この時代に息吹いている創作の風を知らない。私はいつも、40年遅れた過去から未来を回想するように生きている。つまらない、葉っぱの化石みたいな人間になりたくないのに。
やらなきゃいけないことを考える。やってはいけないことを考える。
課題がたくさんある。それは速やかに終わらせないといけない。
演劇関係のこと。なんだかんだで三すくみから逃げられない。来月はまた東京だ。自劇団のことも結局やらなきゃいけないことはまだまだ山積み、夏の公演に向けての雑務は日々加速して増えていく。

家のことはもう書くまい。

女の子に苦しみを打ち明けられる。子供の時みたいにのっぺりした気持ちに帰りたい。年のせいなのか、人の、私と関係ないところでの苦痛の言葉にすら気がまいる。その言葉ことばがずっしり質量を持って私の中に留まってしまうのだ。

アルバイトのこと。急がないと。
今までの職場に電話をかけたら、一番話したくない人が出た。その人が絶対に入っていない時間帯にかけたのにも関わらず、出たのはその人だった。思わず電話を切ってしまった。いつもこんなんだ。

身体の具合が悪い。夜明けに2,3時間だけまどろんで起きてすぐ学校へ、という生活がもうずっと続いている。ろくな食事をしていない。夜中にパンを食べておしまい、というのが増えた。栄養失調気味の証として、手の爪がぺこぺこに薄くなってきた。足の裏の皮が腐った木の皮みたいになっているのでついひんむいてしまい、当たり前だけど血だらけになって、その足で歩いてるもんだから激痛が耐えない。

朝に飲むアレルギーの薬のせいもある。副作用で朝から眠くなってしまうのだ。それで午前中の講義でまどろみ、夜に眠れなくなり……のループ。でも飲まなければ飲まないで体調は崩れる。特に皮膚。どうすりゃいいんだ。

ゼミの後稽古、6時半頃に出て某所で会食、そしてそのままダッシュで某会社にて打ち合わせ、夜中12時過ぎに帰って……どうしたらこういう生活とおさらばできるのか、ということを毎日毎日考える。このままでは確実に頭がイカれる。それが出来る人もいるのかもしれないけど私は無理。


昨日一日で、同じようなことを二度も言われた。
女の先輩曰く「**さんは背負い過ぎだよ絶対」
一緒に食事をした人たちの言葉「もっと自分の壁を壊して甘えなきゃ駄目なんだよ」
そんなことは死ぬほどわかってる。生まれたときからわかってる。何もかも背負い込もうとすることの愚かさも、「甘えないつもり」になっていることの傲慢さも、そのせいで私の身体に深く根付いてしまっている根源的な、人間的な「甘え」の醜悪さも、全部全部手に取るようにわかっているのだ。だからってでも、どうしようもないもの。

一人で生きるフリをすることになんの価値があるだろう。自分で自分の首を絞めて、それで自分が何かを果たしている気になっている、この私のすかすかの人生を何故誰も蹴っ飛ばしてくれないんだろう。
発狂しそうなくらいきつくても、人と話す時は普通状態にチャンネルが戻ってしまう。自分の青臭い匂いが私は嫌いだ。私は、未成熟な堅い壁の中でしか息の出来ない、こんな年にもなって男と寝たことすらない、どうしようもないくらいの半人前だ。

中学の時にやった討論会を思い出した。
戦地に派遣されたカメラマンがいる。目の前に、飢えて死に掛けている子供。彼はその子供を撮って泣く。彼は子供を救わなかった。子供は死んだ。
そのエピソードを取り上げて、先生が言ったのは「彼が子供を救わなかったことについて、正しいと思うか、思わないか、二つのチームに分かれて討論しなさい」。
私は、彼が子供を救わなかったことを「正しくない」という形で語りたくはなかったので反対側についた。負け戦だとはわかっていた。中学教育的に、彼の行為が容認されるわけがない。
何故か、クラスの中で、男子は皆「カメラマンは間違っている」説に、女子の大半は「仕方がなかった」説についた。男に混ざるのが好きな優等生の美少女とその連れだけが、間違っている説についた。死ぬほどバカらしかった。

私達にとってファンタジーでしかない、でも実際に足を踏み入れたら救い難い地獄であることは確実な「戦地」という場所で、私達は飢えた子供を救えるんだろうか? 駅のホームに転がっているホームレスにコンビニのおにぎりを差し出すような気持ちで? めちゃくちゃになった町の、まっすぐでない道を踏みしめる中で、中学教育的な善意を振りかざすことができるんだろうか?

私は子供を救うかもしれないし、見捨てるかもしれない。
写真を撮るかもしれないし、撮らないかもしれない。
泣くかもしれないし、泣かないかもしれない。
何か思うかもしれないし、思わないかもしれない。

しかし何をどう考えても、私には、カメラマンを糾弾する気持ちにはなれなかった。冷たい言い方をすれば「そういうことにもなりうるだろう」という風でしかなかった。だからそう言った。私たちがこのカメラマンを裁くのは傲慢だと。
ディベートの終了後、教師の女性は言った。

「先生の結論を言うと、やっぱり彼はひどい人間だったと思うな。救える命は救うべきだよね。最初に言わなかったけど、実は彼は麻薬とかも吸っていたんだよ」

麻薬。それが彼女にとっての「ひどい人」という定義の裏づけだったのだろうか。私からすればどうでもいい話だった。

彼は戦争の時子供を救わなかった。
そして彼は麻薬を吸っていた。
彼はひどい人間。

なんてどうでもいい!

頭痛がする。割れそうな痛みを我慢しながらこれを書いている。なんとか明日までにいろいろなことが終わりますように。
何も気にしないで眠りたい。