山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

美人は大変

就職にともなう国民健康保険の切り替えのため、朝一で市役所へ行く。この作業をするのは二度目だ。転居手続きのため、住民票のコピーも取る。早めに行ったので、いつも通り10時には出社。粛々と原稿をし続け、23時に帰宅した。こうして見るとかなり長い時間会社にいるが、強制されているわけではまったくない。

夜、風呂に入りながら、美容系の本をまた何冊か読む(Kindleの読み放題で)。もっと痩せたいし肌も綺麗にしたいし化粧にも凝りたいが、ちゃんとやろうと思うと時間やものの購入が必要なことが多くて、なかなか「いい女になる計画」は進んでいない。コツコツ頑張るしかない。

私のこの試みは5月から始まったもので、あれこれいろんな項目に分けて頑張りはじめて3ヶ月になる。わかったのは、まず何をおいても重要なのは「腸」だということだった。腸の調子がよければ、気分もそうそう下がらないし肌の調子もいいし、老廃物の溜まりかたも軽減される。生理痛が軽減されたのもこれが原因なんじゃないかという気がする。

私の場合、粉末の酵素ジュースを飲み始めたらすぐさま腸の調子がよくなってきた。普段の食生活にビタミンが足りないのだろう。あとは下半身のストレッチとリンパマッサージ、ヨガ。やった日のあととやらなかった日のあととではまったく感覚が違う。

今後の課題は、日々の食事メニューを栄養バランス重視のものに変えていくことと、ヨガの習慣をもっとしっかり身につけていくこと。

それにしても「美女道」は険しい。死ぬまでにどのくらい満足のいく結果を出せるだろうか。

先日発売された神崎恵氏(美容研究家、でいいのかなこの人は。モデルではないし)の新しいスタイルブックを読んだら、「ハッピーな美人」とはここまでやらなきゃいけないのか、と暗澹たる気持ちになった。「神崎恵はこんな人」みたいな、周りの関係者からのコメントも載っていたのだが、「優しさ・強さ・ちょっとヌケてるところなど、現代の女性に求められるすべてを兼ね揃えた完璧な存在」というように評している人がいてつらみを感じたのである。

40歳だが少女のようにぷりぷりと美しく、でもお母さん業も完璧で、スーパーで買い物をしているだけでも誰かを恋に落とすような可憐さを持ち、押し花作りとかお庭キャンプをして日々を彩り、だけど無理している感じはまったくない……ああ、「現代の女性に求められる」もののなんたる多さよ。

「いつまでも少女のような美しさを」という考え方によって、日本の女性は相当疲れているのではないか? と思うことがよくある。石井美保氏のインスタ写真なんかを見ていても、肌が綺麗でいいなあなどの単純な感想を抱く一方、「ここまで頑張らなきゃいけないとは」となんだか疲れるのだ。もちろん、本人たちが素敵な女性であることとは別の問題として。

私が今までに会った美人で印象深いのは、少し前にも書いた、私の前でフラダンスを踊ってくれた40代の女性である。彼女はのびのびとしていて、若々しさは「健康」の一部としてのそれであり、年齢不相応に幼いところはまったくなかった。男性に群がられるような美人ではなかったが、彼女を好きになる人はたくさんいるだろうなと思った。私もどちらかといえばああいう風でありたい、最終的には。

でもとりあず今は頑張り方面で頑張る。年相応に大人っぽい、かついい女になろう。やるべきことは山積みだ。

聡明なる私の先輩が「おじさんたちは、自分の予想の範囲の質問をしてくる賢いポメラニアンみたいな女が好きなんですよ」と言っていたが、「予想の範囲を超える美しいドーベルマン」みたいな女になって、ふぬけたおじさんたちのハラワタを食って回りたい(急にホラー)。