山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

おじさん批評

朝一で内見。なかなか良い家とめぐり会うことができ、手続きを進めてもらうことに。家を出るときから、というか目が覚めたときから「今日決まるんだろうな」と感じていて、物件のドアを開けて入る前には「ここだったかー」と思っていたので、するする進んでなんだか不思議な感じ。こういうことの多い人生とはいえ……。とりあえず仮決めはさせてもらうことにした。このあと、もっともっといい物件が出てこない限りはここで進めるつもり。

私は今までに、自分の意思で7回も住居を変えている。だから引っ越しには慣れっこだ。物も常に最小限しか持っていないので、いざ引っ越しとなっても特に慌てることはない。5年前、24歳で上京したときは、パソコンとスポーツバッグしか持ってこなかった。引っ越し先を決めるのはいつも早い。悩んだことも、後悔したことも一度もない。

そんな私でも、今回はだいぶ大変だった。なぜかというと、「ある程度長く住むこと前提」で探したからである。これは人生で初めてのことだった。

漫画にも描いたけれど、私には、「家」とか、「定住する」という概念がよくわからない。子供のころから、家は「落ち着く住処」ではなかった。寝られる場所ではあり、風呂に入れる場所ではあり、本を置ける場所ではあったものの、暮らしの拠点ではなかったのだ。

今住んでいるところも、すぐに出ること前提で住んだ家だったので特に愛着はない。今まで住んだどの場所にもそういう気持ちはない。

今度住む場所は、私の住処になってくれるんだろうか。というか、そういう風に作っていけるんだろうか? 今はまだイメージがわかない。

「暮らしを作る」というのは私の憧れだった。住むからには良い家であるようにしたい。力んで全力スタートしたら力つきるに決まっているので、ゆっくりじっくり、慎重に歩みを進めていきたいと思う。

一緒に家探しをしてくれた、小さな不動産会社のYさんにも感謝でいっぱいだ。Yさんは少し年上のスポーティなお姉さんで、最初からずっと丁寧に、一生懸命に関わってくれた(まだ終わってないけど)。彼女を紹介してもらえて本当に良かったと思う。

 

で、家もほぼ確定したので夜は同世代の編集者・ライター数人で飲み会。めちゃくちゃ楽しかった。が、優秀な人たちばかりで若干肩身が狭かった。そう、私の世代だと、もうベストセラーを何冊も出しているとか、メディアの編集長クラスになっていたりするのが普通なのである。まだまだ気分的には新米の私、これから頑張っていかねばと気が引きしまる。

メンバーのうち、ひとりが少し前に転職していたのと、私も新しくバトンズに就職したというので、他のメンバーがお祝いプレートを用意してくれていた。こういうふれあいとも今まではずっと無縁だったので素朴に嬉しい。

会話の中で心強く思ったのは、やっぱり同世代感で共有している感覚というのはあるな、ということだった。バブル世代の享楽ぶりは、私たちの世代にとってやはり全体的にうっとおしいものでしかない。もちろん、私たちの感覚もやがて下の世代にとって古いものになっていくのだろうが、「権力の大きさが男性的魅力に直結している幻想」のようなあまりに前時代的なものは、きっと上の世代とともにおおかた心中していくだろう。

「そろそろ、おじさんによる”かなしいおじさん”の批評が必要なのでは」という話で盛り上がる女子勢。女性エッセイストによる「めんどくさい女」批評は星の数ほどあるが、男性による本当に厳しい男性批評というのはなかなかないね、と言い合った。

ウォッカトニックをしこたま飲み、べろんべろんになって帰宅。2時頃に失神するように寝た。