山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

自由と経験

思ってもみなかった理由で、西日本に行くことが決まった。早起きをして荷物をカバンに詰める。キーボードをどうやって持っていこうか悩んだ挙句、ジャージにくるんで手提げに突っ込んだ(真似しないように)。

18時に会社をあがらせてもらい、駅へと向かう。会社を出たところで、先日もお会いした某若手編集者さんと鉢合わせした。やっぱり雰囲気の良い人だなあと思う。

新幹線で本を読む。いくつか気になるトピックと巡りあった。トルストイと教育について。彼はとても教育熱心だった人物だ。凝り固まった公教育を批判し、小さな村を拠点に、子どもたちの喜びと意志を尊重した児童教育の実践を行っていたこともある(『白痴』のムイシュキン公爵の描写にその辺りの理想の片鱗が見える)。結局それはうまくいかなかったようだが、教育を「最後の愛人」とまで呼んだトルストイの、子どもたちへの啓蒙の心に興味が湧いた。それで『国民教育論』を読もうと思ったのだがもちろん絶版。全集を買うしかない。これもまた高い。日記の巻なんか五千円するのだ。ウルフの随想と合わせていい加減買うしかないんだろうけど。

トルストイは言う。

「教育学の唯一の基準は自由であり、唯一の方法は経験だ」

これに真っ向から異を唱える人は少ないだろう。しかし「自由」も「経験」も、今やあまりにも政治的そして経済的な言葉になってしまった。どうやったらそこから離れた、真に「教育的」な「自由」や「経験」を私たちは次世代に提供できるんだろう? それについて、先日オフィスで先輩と話し合ったところでもあったので色々と考えてしまった。

本を読んでいると酔ってくるので、新幹線の道中後半はHuluで「ゴジラキングギドラ」(1991)を観る。今観ると実に荒唐無稽だ。タイムパラドックスの描写がめちゃくちゃで、ほとんどシナリオが成立していない。でもこの作品の特撮は実にいい。キングギドラが福岡上空を飛ぶシーンなどぞわぞわする。この時期のゴジラの特技(特撮技術)監督をつとめている川北さんのセンスが私はすごく好きだ。

特撮作品には、監督が二人いる。一人は、普通に全体をみる監督。もう一人は、特撮(セットやきぐるみ、特殊な演出などを使って、非現実的なシーンを作らなければならない部分)部分を担当する特技監督である。特撮シーンのクオリティは特技監督の腕にかかっていて、それぞれの監督ごとに、怪獣の撮り方や煙幕の貼り方、光学美術の使い方など全部違うのが面白い。

川北さんは、キングギドラビオランテなどの平成ゴジラシリーズ、そして「モスラ」など、90年代のヒット作品を多数手がけた監督である。彼の特撮演出は、怪獣の生命力や神秘を強調するものだと思う。そこがいい。

夜遅くに着き、ホテルに泊まる。夜食に天ぷらうどんを食べた。