山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

卒論のためのメモ

この文章をいつ書いたのかまったく思い出せないが、2010年11月前後のメモではないかと思う(2022/11/28)。

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 卒論を書くにあたり当然ながら、同校の先輩の卒論をはじめ、いくつもの論文を読んだ。ありとあらゆる文章があった。宮崎駿押井守など、多くの作品を発表している監督の作家論は当然ながらたくさん見られたし、一つのアニメ作品の、その物語構造について論じたものも非常多い。漫画のコマ割についてだけ論じたものもあれば、言語学の方面からアニメや漫画の中の言葉について論じた論文もあった。様々な切り口と様々な結論を知ったが、しかし自分が書きたいものへの導は見つからなかった。私には、書くべき事柄の輪郭がはっきり見えていなかった。アニメや漫画について書かなければ、という漠然とした思いだけがあり、具体的な展望はなかったのである。卒業論文だから書かねばと思っていたわけではない。私は十代の終わり頃からずっと、アニメや漫画について“何か”書かなければと切実に考えていた。気づけば私の生と近しいところにあり、メディア展開などを見る限り年々肥大化していっているように見える、アニメや漫画、そしてそれを愛好する人間達が中心となって作られている世界(乱暴な言葉だが、今はあえてこのように表現する)――いわゆるオタクが好むもの、そしてオタク達自身――オタク的なものに対し、私は常に問題意識を持っていた。私は、オタク的なものたちを観察し続けてきた。勿論全てを追いきれるものではないし、そもそも私は、没入的にこれらの作品を愛好したことはあまりない。にも関わらず、私は、これらから目を離してはいけないと強く思ってきたし、今も思っているのである。
 私は昭和六十二年生まれで、幼児期に、アニメ・コミック界を風靡した『ドラゴンボール』や『美少女戦士セーラームーン』とちょうどかちあい、『ポケットモンスター』で遊び、『新世紀エヴァンゲリオン』のブームを眺めながら育った人間である。『エヴァ』の影響を受けているらしい、後続の作品群が「セカイ系」という名でまとめられていった過程や、『ブギーポップは笑わない』や『キノの旅』のヒットによってライトノベル界が一気に賑わっていく様も、全て記憶の中にある。私の問題意識とは、これらのムーブメントに、「オタク界における○○という現象は、若者の××という傾向の代償的発露である」などのキャプションを付けて回りたいという類のものではない。私の問題意識は、これらを眺めながら、そしてそれに動かされながら生きてきた自分の意識、魂への好奇心と分かち難く結びついている。子供の時見ていたTVアニメのサウンドトラックを、ふと耳にした瞬間訪れる狂おしいような感覚。一見陳腐な画面の中に、確かに透かし見たと感じ今も脳裏を去らない惨たらしい“真実”のようなものの残像。コミック専門店に足を踏み入れ、周囲を取り巻く何万という線描それぞれが、別々の作家の意思を受けながらにして、何か不文律的な調和のルールを守っている不思議を感じたときの、かすかな怖気。言葉にし難い感覚の全てが、私の目を、アニメ・漫画界に向けさせる。それについて書かねばならないと思わせる。それらは全て私の体の内から生まれたものだが、同時に、常に私以外の何かを目指して外へ出ていくものである。自分の中だけで終わるものならば、何か書きたいとは思わない。どこにあるのかわからない私の縁をまたいでいこうとするものが、この胸の中にある。私は、それの目指す行方を知りたい。それを追いかけて初めて私は、己の解釈の中でしか生きられない宿命の、そのギリギリの淵まで行くことができる気がする。
 私が語るものは、オタク的なものでなければいけないのか? 私はそう自分に問いかける。アニメや漫画の他にも、文学、絵画、演劇、映画、音楽など、人が創り出した様々なものに、私の魂は動かされてきた。「感動」という言葉を使うならば、むしろアニメや漫画よりもはるかに多くの「感動」を、私はそれらから与えられてきたのである。文学によって魂を揺さぶられ、音楽によって時間の色づきを見出し、映画や演劇によって自分とは違う生命の鼓動を感じた。そうした激しい心の動きを、アニメや漫画で引き出されたことは少ない。ならば私は、文学や映画について語ることで自分の魂の形を探り、己の解釈の限界まで向かえばいいのではないか? 自分の言葉の媒介に選ぶべきは、より強い印象を与えてくれるものの方なのではないだろうか――その自問を、私はこれまでに何度行ったことだろう。いや、自問だけではない。ある人に、私が最も好きな小説家は三島由紀夫であると話したところ、文学が好きなら、文学部に行って近現代文学の研究でもすればいいのに、と言われたことがある。また、TVアニメはちっとも見ないが、一週間に二、三回は映画のDVDを見ないと気がすまない、と言って、あなたはアニメより映画の方が好きなのに、何故アニメ・コミックゼミにいるんですか、と聞かれたこともある。それらの問い――自問も含めて――に、私は「文学とか、映画をやろうとは思えなかったので」と答えてきた。私はアニメ・コミックゼミを選んだ。文学部ではなく文化創造学部という奇妙な名前の学部を選び、その中でも、小説ゼミでも映画ゼミでもない、このゼミを希望した。何度も自問があったが、迷いそのものはさほどなかった。まったくなかったわけではないが、私が選ぶべきはこっちだ、という結論は変わらなかったのである。確かに、私に物語への愛や高揚を教え、美醜や善悪の解釈への無限の入り口を開かせてくれたのは、(人間を除けば)文学や、音楽や映画などである。それらは私の見えない血肉を作った素晴らしい糧だ。文学や音楽によって得てきたたくさんの「感動」は、私の個人的な満足として、胸の内を満たしている。感動とは感が動くと書くが、この「感」とは、私の知る限り、感情だけではなく、むしろ感情も含めた全ての「感じ」である(これを「クオリア」と呼ぶことも出来るらしいが、私はこの単語に馴染みがない。どう用いたらいいのか生理的にわからない言葉は使わない方が良いだろうと判断した)。何かに触れた時、それに触れる寸前まで自分の形通りに重なっていた”感じ”が魂の奥にぎゅっと引き戻され、そこでみじろぎするように強く動く、その時に「感動」を自覚する。どんなものにも”感じ”は動かされているのだが、それが非常に強く揺さぶられるとき、私は特にそれを「感動」と呼ぶ。私に「感動」を多く与えてくれるのは、文学や映画である。そして、アニメや漫画が私に与えてくれるものはそれとは違う。そしてここで重要なのは、私にとってのそれが、単に「感動未満の何か」というだけではない、ということなのである(もちろんアニメや漫画で感動することもある)。アニメや漫画は、私の「感じ」を文学や映画によるものとは違う方向へと動かす。ここで、はじめの方に書いたことを私は繰り返す。その「感じ」は、魂の奥へ引き戻されることなく、私の外の何かを目指して放たれていく「感じ」なのである。そしてその礎として、文学や映画によって培われた「感動」の蓄積がある。オタク的なものは、私の中に入り込むと同時に、感動によって作られた石垣を踏み台として、またどこかへ飛ぼうとする「感じ」を生み出す。そのように振る舞うコンテンツを、私はアニメや漫画以外に知らない。
 一般的にアニメや漫画は、文学や映画に対し「下位」の文化と見なされている。私もその見方に対して特に異存はない。私は優れたアニメ・漫画作品をいくつも知っているが、それを理由に、オタク的なものを文学や芸術と同等に見なすべきだと主張する気もない。「下位」でいるからこその自由さ、猥雑さというものが、オタク的なものたちの魅力でもあるからだ(言うまでもなく、過剰に不当な偏見は否定されて然るべきものである)。だが、その「下位」であるところのアニメ・漫画こそ、私にとって、文学や映画には成し得ない「感じ」の“飛翔”を可能にするものだ、ということである。私が文学や芸術によって積み上げてきた感動は、それのみでいる限り、私から溢れていくものではない。私は五感で世界と接続し、そこから流れ込んでくる情報は、私の中にしまいこまれた感動の層によって柔らかく受け止められ、こねられていく。アニメや漫画をはじめとしたオタク的なものたちも私はそうやって受け止めてきたが、それらは私の感動の層に沈み込むことなく、そこから跳ね、「感動未満」とはまた違った手触りの、奇妙な、それでいて切実な感覚を伴って外へ向かう。私はどこを中心として、「外」へ向かう力を感じているのか? この胸を切り裂いてもそれはわからないだろう。だがとにかくそれは私の外部へ向かう力なのだ。外部とは、私の皮膚の外にある“世界”でもあるし、私を取り巻く環境、大学やアルバイト先や家なども含めた“社会”でもある。今私がここにいる、その「感じ」から離れていると思われる全てが、私にとっての「外」だ。文学や映画がもたらす強い感動が、私の「感じ」を外へと向かわせないのは、感動が私を満足させるからである。感動は私を満足させ、充足させ、世界への信頼と不信をかき立てる。信頼も不信も私の「外」に対してはたらくものだが、それは今ここにいる私にぴったりと重なった「感じ」の、その不動が保障するものである。外へ向かう「感じ」、「感動未満」ではない「感じ」の「動き」、これに私はまだ名前がつけられない。この、私に取って不可思議な心の内の運動は、外へと運動するが故に、私の魂の輪郭を時折明らかにしようとする。どこまでが私の支配する魂なのか。どこからが淵なのか。それを多少なりとも明らかにつかんでいてこそ、自分がどんな形で生きているのか、何が出来るのか、想像できるというものではないだろうか? 私に今もっとも切実にそれを知らしめるものがアニメや漫画なら、それに誠実に向かい合うしかない。アニメや漫画の何がそれを引き起こすのか(★)はまだわからないが、またどうして私がオタク的なものたちをそう受け止めるようになったのかもわからないが、ひとまずそれが、私のオタク的なものに対する特別視の理由である。

 オタク的なものが私にもたらす「感じ」の飛躍の気配、それが、私がアニメや漫画から目を離せない、生理的な理由であった。だがそれは、私がオタク的なものについて書かなければと切実に思う理由にはならないし、これだけでは、書きたいこともまだはっきりしない。ただ目が離せないだけで、そこに自分の魂の有様を明らかにするヒントがあるだけならば、私はそれを、自分の心の内で密かに語っていればいいのだ。だが私の望みは、それをこうして、文章という、自分以外の人間にわかる形で示すことであった。私が、アニメや漫画がもたらす感覚を糧として語りたいものごと。私はそれを「書かねば」と思っている――書いて、自分以外の人間に伝えることを目的としている。それは何故だろう。
 私は、アニメ・コミックゼミに入る前から、いや大学に入る前から、アニメや漫画をテーマとした評論系の書籍や雑誌、分析的記事を載せたブログ(プロ・アマチュアどちらも)を読むのが好きだった。社会的ブームとなった一九九六年の『エヴァ』を経て、二〇〇〇年代に入り、日本文化におけるアニメや漫画の役割が更に重視されるようになると、社会学や文芸批評的文脈を汲んだ多用な言説が発表されるようになったので、読むものはそれこそ無尽蔵にあった。大好きな三島由紀夫夏目漱石の小説についての批評や評論よりも、アニメやマンガのそれの方が私には興味深く思われた。それも先ほど書いたことが理由なのかもしれない。文学は私に満足を与えるが、アニメや漫画は必ずしもそうではない。あとはやはり、時代的環境も大きな要因である。私くらいの世代にとって、アニメや漫画、ゲームといったオタク的な世界へつながるコンテンツが、もっとも親しい娯楽のひとつだったのは事実であろう。私がこれらとしっかり触れ合うようになった年齢は周りに比べてかなり遅かったのだが、それらとともに生きている実感はあった。小学生の頃から、学校に行けば多くの旧友がアニメや漫画の話をしていたし、友達と一人の家に集まって、『マリオカート』や『ぷよぷよ』に白熱するというのはお馴染みの光景だったからだ。私はその頃、ゲームこそ家でやっていたものの、いわゆる少年・少女漫画には疎く、TVアニメもほとんど見ていなかったから、それらとは若干距離を置いて生活していた。だからこそ、それらが「流行っている」ということが理解できたのかもしれない。やがて中学生にもなると、アニメや漫画に強い愛着を持ち、同じ趣向の人間と話題を深く共有したがる“オタク”的なタイプの人間と、そうでないタイプとが分かれて行動するようになる。私はその頃ようやく、様々なアニメや漫画を鑑賞するようになっていたのだが、前にも書いた通り、私がアニメや漫画から得るのは、無防備な感動ではなかった。面白いと感じるのだが、手放しで好きだ好きだと言えるものは極めて少なく、だが全体的にどうしようもなく気になる――当時から私は、半ばそういった気分でアニメや漫画と接していた。当然、“オタク”的な趣向の旧友達とは、うまくそれらの話が出来ない。私は、彼・彼女らの愛の言葉を聞いては、自分の感じていることとの違いに戸惑った。だが、その違いすら興味深かったのである。私は彼らの真似をしてファンアート的な落書きをしてみたり、彼らの間で人気のある作品を追ったり、地元の同人誌即売会について行ったりし始めた。私が初めて同人誌即売会に行ったのは二〇〇〇年辺りだが、その頃というのはちょうど、『テニスの王子様』による、女性向け二次創作の何度目かの大ブームや、コスプレ文化の興隆が始まったばかりの年である。作品の人気や、その支持層がある程度「量」で示される同人誌即売会という場を知ったことで、私は、オタク的なものに対してより分析的な視線を向けるようになった。すなわち、「私には面白く思えない○○(作品名)が、女性に大人気なのは何故か」「今はこういったジャンルの作品が人気だから、やがてこういうテーマも扱われるようになるのではないか」。様々な作品に目を向けるたびに、私はそういったことを考えるようになっていったのである。そうなると、もはや作品単体だけを眺める行為ではない。気になることはいくらでもあった。国ごと、時代ごと(そして勿論人ごと)に、求められる物語が違うということは、それまでの読書や映画鑑賞の経験から知っていた。では”今”、私や、友人たちや、あるいは私の知らぬ大勢の人たちが求めているものは何なのか、その原因は何なのか――もちろん、当時の私が、はっきりとそうした言葉で自分の好奇心を分析していたわけではないが、結局のところ、私が最終的に確かめようとしていたのはそうしたことだった、と今は思い返すことができる。アニメ雑誌の批評的記事や、設定資料集などで読めるクリエイターのコメントなどに目を配るようになったのも、その好奇心からだった。そこから、作品が作られた背景、環境、それを受け取る側の反応など、あらゆる方面へと情報収集のテーマを広げていくのだった。私は、漫画やアニメの作られていく行程や、それに関わる人たちのうち、特に大きな業績を持つ何人かの名前を記憶に刻んだ。一口に「アニメ」といっても、それを作る人達が、それぞれ驚くほど別々の考え方をしていることに驚いた。またその中でも、「共通」に思われる何かの存在を感じたりもした。その「共通」について、様々な作品の名前をあげながら論じている文章を読み、自分の考えをこね直した。思い返せる限り、こうした作業の、自分にとっての意義を疑問に思ったことはない。私はそれを、義務とも使命とも思わず、かといって趣味と認識することもなく、ただ「必要なこと」として自然に受け入れていた。アニメや漫画を起点とし、様々な情報を探っていけばいくほど、”社会”や”時代”(と私が認識している何か)から、コンテンツに流れ込んでいくものを感じることができた。アニメや漫画といった「下位」の娯楽コンテンツから読みとれる、(勿論その解釈は無数にあるのだが)極めて多くの”時代”の残像。それを把握しておくことが、私には必要だったのだ。それが、自分を取り巻く”現代”を捕まえる、自分なりの手段の一つだったからである。