山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

「REDLINE」――ゴーカートの愉悦

 こういうのを待っていた!
 開始から二分、顔がにやつくのを止められなかった。太い輪郭線に黒々とした陰影、大胆かつポップすぎない色使い。エンジンの轟音を唯一のビートに、どこまでも伸縮自在に歪み、疾走し、弾けとび、爆発する色彩と描線のカーニバル。
手描きのセル画で十万枚。スタジオジブリ千と千尋の神隠し」の動画枚数が約十一万枚であることを考えると、それに匹敵する量のセル画を手で描いた彼らは、まさに“マッド”と言う他ない。
 躍動するキャラクター達の線には、名作画マン、金田伊功の影響が如実に見て取れる。遠近法だの、一点透視法だのといった仕立ての良いスーツは脱ぎ散らかしているけど、マナーは完璧。だからこそ、ゆるぎない支点から、デタラメなパンチをお見舞いできる。緻密な計算を敷きながらも、決してそれに支配されることのない自由さ――。
 “ジェットコースターのような展開”という表現があるが、私がこの映画を見て最初に思い浮かべたのは、ジェットコースターではなくゴーカートだった。
 子どもの乗り物、ゴーカート。しかし、乗っていいなら是非乗りたい、という大人はたくさんいるはずだ。「車ごっこ」の中、私達は想像力でどこまでも加速して行ける。スピードではジェットコースターの足元にも及ばない。でも自分の足が作り出す“疾走”は、気持ちのいい風をきって、何よりも速かったはずだ。 
 この作品について、色んな宣伝媒体に「もう二度と作れない」というようなキャッチが添えられていることが残念でならない。映画を見ている最中、私は、作中で賭けレースを楽しむ観客達とまったく同じ場所にいた。私も今はただ、無責任な傍観者らしい残酷さで、そんなはずはない、また作ればいい、と叫ぼう。
 気の良い不良のJP、キュートなソノシー、ニヒルなフリスビー。キャラクターも皆魅力的だった。彼らは、余計なドラマを語らない。走ること、それこそがドラマだからだ。
 「四輪がエアカーに代わろうとする時代に、それでも四輪にこだわる愚か者たちがいた」。冒頭に現れるその文句は、失われ行く手描きアニメへの手向けだろうか? まさか!
 ゴーカートのない遊園地なんて、つまらないではないか。