山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

とある映画好きの先生に出した手紙

大学3年か4年のときに書いた文章。

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 貧乏なのに**のような学費の高い大学に入ってしまったせいで、私は毎月バイトバイトバイト三昧です。生きのびるって大変です。確実に辛いことの方が多い。仕方がないことですね。まあそんなに悲壮な気分ではないのですが、今期はほぼ週6~7でバイトをしており、水曜日の先生の授業を半分くらいしか受けられませんでした。映画が大好きで大好きで、映画館の椅子に深々と体を埋めるだけでむせ返りそうになる私にとって、それがどれだけ辛いことだったか、先生にも想像してほしく思います。私は映画が好きで、映画好きな人の話を聞くのもめちゃくちゃ好きなのです。高橋洋先生と一回飲みに行ったことがあるのですが、先生の映画の話を聞くのがどれだけ素晴らしい体験だったか! 一晩中脳みそが冴え渡り、翌日も一日中恍惚から抜け出せなかったくらいでした。先生とは向かい合って喋ったことはないですが、でもそのくらいの情熱をもって喋ってくれている、ということはいつも感じました。普通あれだけの人数の講義だと三分の一は来ません。それなのにいつも部屋がギュウギュウだったのは、先生の楽しそうな様子に釣り込まれて、全員が楽しい気分だったからです。ちょっと遅れて行くと、もう座る場所がないくらいいつも混んでいたので、畜生と思いながらも「やっぱり皆も楽しく映画を見るのが好きなんだ」と嬉しかったです。
 レポートらしいレポートを書くのは容易いですが、先生の情熱に応えるには、私の一番好きな、血肉と同化している映画達について、本音で語るのが最高の礼儀になるでしょう。こんなレポートは他の授業では出せませんが、先生には受け取ってもらえると信じて好きなように語りたいと思います。
 私はミュージカル映画が好きです。どのくらい好きか、口で言えないくらい好きです。辛いときはいつもミュージカルソングを聴いて歌って乗り越えていました。人の声が作る旋律の美しさ、その四肢が生み出す躍動のバリエーション、溢れるような生命の発散に、私の魂がどれだけ支えられ、鍛えられ、救われてきたか知れません。父親がミュージカル映画好きだったので、私も物心ついた時には見ていました。最初はディズニー映画でした。幼稚園の頃の話です。初期のディズニー映画は本当に素晴らしい。「白雪姫」は今見ても、八十年前のアニメとは思えません。冒頭の井戸の水面、あれは今のCGでも再現できないらしいですね。絵の具のようなインクの手描きであそこまでやれる、当時のアメリカ文化力はつくづく凄まじいと感じます。アメリカでの公開当時、ラストシーンでは観客が滂沱の涙を流したそうですが、幼児の頃の私にも、その涙は理解できました。すごくすごく幸せで明るくまばゆいからこそ涙が止まらない、そういう感動もあるのだと、早くから知ることが出来たのは幸運だったと思います。王子の歌う「愛の歌」が、私はディズニー映画音楽の中でも三本の指に入るくらい好きです。ウォルトの、愛に満ちた精神が込められているように思うのです。そして「ピーターパン」。子どものとき一番好きだったのは「you can fly」の胸のすくような飛行シーン(あれは、倫敦の紺色の夜でなければ駄目ですね、ティンクの金色が映える空)でしたが、いつ頃からか、何にも代えがたく、エンディングシーンを美しいと思うようになりました。ピーターパンを信じていなかったお父さんが最後の最後、月光を背に飛んでいく船を見て、「そうだ……あの船なら前にも一度見たことがあるよ。ずっと昔……。まだ子どもだった頃……」と少年のような顔で言う、その彼を妻と娘が両脇から抱きしめる。犬が微笑んでいる。乳歯の抜けない少年をのせた船が、右から二番目の星に向かって去っていく――こうやって書きながら思い出しながら泣けてきてしまうくらい、このシーンの暖かさと哀しみが胸にしみるようになったのです。私はもうきっとネバーランドには行けないんだろうなあ。でもまだ船を目撃することくらいは出来る気がします。これと同じように、「ダンボ」も大人になってから一層深く好きになった作品です。ダンボがお母さんの鼻にしがみついて泣くところで、鼻水ずるずるになるくらい泣きました。最後、ダンボがお母さんに抱きしめられながら列車で去っていくのをカラス達が見送るシーンには、お母さんでも、ダンボでも、カラスの立場でもない、まさしく「観客」としての苦しいほどの、やりきれないほどの幸福感を感じずにはいられません。でも一番好きだったのは「眠れる森の美女」。当時私はクラシック音楽が好きで、特にロマン派をよく聞いていました。チャイコフスキーの音楽は子どもの精神に馴染みます。「眠れる森の美女」の、ディズニーの歌曲アレンジは最高に好きでした。どれだけ真似して歌い踊ったか。私の「美女」の概念はオーロラ姫で出来ている気がします(彼女はオードリー・ヘップバーンがモデルらしいですね)。この作品で私は、「感動」が映像や音によって誘発される、という現象に自覚的になりました。私がこの映画で一番衝撃を受けたのは、なんといってもラストのデュエットダンスのシーンです。メインテーマがかかり、王子と姫が踊り出す。「あたしハッピーエンドに弱いの」と涙ぐむ妖精のフォーナ。それをなだめるメリーウェザーが、姫のドレスの色に目を留める。自分の魔法で仕立てた青色が、いつの間にかフローラの魔法でピンクになっていることに気づくと、我慢できずに杖を振るう。姫のドレスに光が弾け、その舞い広がるドレープが青に変わったその瞬間、メロディにさし込まれる華麗なコーラス。そのタイミングが見事すぎて、私はこのシーンばかり何度も見て、その度にはっと息を飲むのでした。ドレスの、ピンクへ、青へと変わっていく夢幻の色が、歌の終わりとともに豪奢な本に折りたたまれていく、その演出も完璧だと思ったものです。映画は隅から隅まで人工物なのに、つくりものとは思えない、何か圧倒的な、それでしかありえない、なんの隙間もないものを持っている。交響曲の美しさのように緻密で、自然の風景のように自由で、どう表現したらいいのかわからなかったし、今でもわかりません。まったく。
 ディズニー映画からミュージカル映画に入って、次に好きになったミュージカル映画は「サウンドオブミュージック」「メリーポピンズ」「チキチキバンバン」「オズの魔法使い」の四本でした。これに、ミュージカル映画ではないけれど、「赤い風船」と「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が入ります。小学校低学年の頃、私の生活はこの六本の映画とともにありました。「オズの魔法使い」の、ジュディ・ガーランドの可愛さときたら。ちょっと毒を持っているからこその可憐さですね。当時既に薬漬けだった、ということを知ったのはもう少し後のことでしたが、聞いても何も驚きませんでした。やっぱり、と思いました。今見ても、あの“ハイ”な感じ、尋常でない目つきには、日本の能の幽鬼に近い感じがありますし、ミッキー・ルーニーとの箱庭ミュージカル(これ、なんで字幕付きビデオが日本で出てくれないんだろう)を見ると、まだ少し迷っているような、そんな表情があって、少し悲しい気持ちになります。
 「チキチキバンバン」は、子供向けとバカにされがちだけど、でもこれもやっぱり私の大切な作品のひとつです。一番好きなシーンは、車を買う金がなくてしょぼくれながら子ども達の寝顔を見にきたポッツに、子ども達が、自分達の「宝物」を差し出すところ。「これは象牙だよ」「本物のダイヤよ」。彼等が差し出すものはただのガラクタやゴミ、イミテーションのアクセサリー。でもそれをポッツ(私の大好きなディック・バン・ダイク!)は素敵な笑顔で受け取る。「ありがとう。君達の宝物はすばらしいものばかりだ。でもこれの価値は、世間のやつらにはわからない」「どうして?」「彼等の目は節穴なのだ」。このやり取りを、私はどんな哲学よりも深く胸に刻んでいます。「星の王子様」で語られているような内容、本当に大切なものは目には見えないということを、当時の私にとって、何よりも丁寧な形で教えてくれたシーンだったのでした。ディック・バン・ダイクの笑顔は私の理想の“父性の笑み”……これは「メリーポピンズ」も合わせての印象です。「メリーポピンズ」は、今も昔も私にとって最も切ない映画の一つで、何が切ないって、ラストシーン、誰にも何も告げず去っていくメリーが切ないんですよね。広場で凧を揚げる笑顔の人々、 “向きの変わった”風に乗って静かに飛んでいくメリー。それにバートだけが気づいて、「さよならメリー、また会おう」と軽く、親しみのこもった笑顔を向ける。笑顔を交し合う二人――大人の友情とはこういうものだ、男女の友情とはこういうものだ――私は今でもそう思っています。おかげで二十四年間彼氏が出来ません。この作品の裏主題歌ともいえる「2ペンスを鳩に」は、私がこの世でもっとも好きな歌の一つ。シャーマン兄弟の作るメロディはとにかく良すぎると思う! 晩年のウォルトは、よくこの曲を聞いて一人涙を流していたといいます。その光景を想像するだけで泣けるのは私だけではないでしょう。途方もない金と労力を費やしてアニメを、キャラクターを、映画を、夢を、そしてディズニーランドという永遠の夢の国を作った彼の胸の中には、尋常でないクリエイトを成し遂げてしまった者の、どうしようもない孤独があったに違いない。2ペンスの鳩の餌で成し遂げられる愛は、もう彼の大きすぎる手からは逃げていくものだったに違いない。勿論彼はそういうささやかな愛の尊さを充分に知っていただろうし、だからこそアニメーションにも出来たのだし、実践もできたでしょう。彼の娘のエッセイを読んでも、それが彼の周りの人間に、彼の手によって根付いたことは疑うべくもありません。それでもなお、彼にとって、それはあまりにも遠い愛になってしまっていたのではないか。それを知っていること、それを作り表現することと、それを得ることの間には広い隔たりがあるのだと私は思うのですが、先生はどう思いますか。私は「2ペンスを鳩に」のシーンになると、ジュリー・アンドリュースの暖かい声の奥に、ウォルトの永遠に満たされない心の叫びを聞いて、作中の誰よりもウォルトにどっぷり感情移入して、身が裂けるように悲しくなるのです。人の孤独を抱きしめるような気持ちになるこの映画が、めちゃくちゃに好きなのは下世話な好奇心のなせる業なのか、それとももうちょっと何か高尚な気持ちなんでしょうかね? どちらでも私はかまわないと思っているのですが。
 「サウンドオブミュージック」は、私の永遠の一本です。この映画以上に見返した映画はまだありませんし、これからもないでしょう。オーバーチュアからエンドロール、最後のメイキングまで、全てが私の脳みそのひだに染み付いています。圧倒的な感動とか、涙とか、そういうものではもうなくて、生活そのもの、思い出そのもの、幼少期の感触そのものです。ワイズ監督は元々ホラー映画を撮っていた監督で、「サウンドオブミュージック」も全編にわたり、ホラー映画の手法で撮られていると高橋先生から聞きました。確かに白黒映画時代のホラー映画と、ちょっとした時の雰囲気が似てますね。「嵐が丘」とかみたいな感じ。この映画については書いても書いても書き足りないのはわかっているので、とにかく行き当たりばったりに書きますが、やっぱりなんといっても音楽会の、エーデルワイス合唱のシーンは最高の名シーンだなと思います。私はああいう、ソロ(あるいはインスト)からコーラスへ、という定番の演出に本当に弱いのです。生きていて良かった、という気持ちになります。二年生の時、吉村先生の授業で講堂でこの映画を見たのですが、当然最前列のど真ん中を取りました。号泣はしませんでしたが、熱い涙がぼろぼろこぼれました。小さい時からビデオで見続けていた作品を、大きな画面で見られたことが嬉しくて死にそうでした。ヘリコプターから映したオーストリアの美しい山、両手を広げたマリアが歌っていたのは、彼女の夢、彼女の希望、そして私の二十年の思い出でもありました。シスター長の歌う「すべての山にのぼれ」を、私はマリアとともに何百回も聞いてきたのです。私は六歳の頃から、十六歳のリーズルと一緒に「私は十六、もうすぐ十七、薔薇のように純真なの」と歌いロルフに恋をし、カーテンで作られたワンピースで駆け回り、山を登り、国境を越え、新しい世界へと旅立ちました。何百回も生まれ変わるように、永遠にそこにいるように、“音の調べ”は、そして映画は不死身の美なのだと、私は映画を生きる中で知ったのです。「音楽が終わっても旋律は残る」と言ったのはマレーネ・ディートリッヒだったでしょうか。私はこの言葉が、良い作品の条件でもあると思うのです。終わった時旋律が残るもの。音楽のみならず、勿論映画も含めての。
 身体でも旋律は生み出せる。フレッド・アステアジーン・ケリーのダンスを見ているとそう思います。勿論彼等は歌もとびきり上手いですが、彼等の歌は体の歌でもあります。アステアの、針の穴に糸を通すような正確なダンス――本人は針や糸のように細くなんてなく、誇り高く艶やかな木の幹のようだけど――は見るたび背筋が伸びるし。ケリーの、エネルギーが目に見えるかのようにパワフルで愛情豊かなアクロバットダンスを見ると、孤独を厭う気持ちを忘れます。アステアの名パートナーだったエレノア・パウエル、キュートな笑顔のレスリー・キャロン。あの頃のハリウッド映画は、ほとんど人の肉体と精神の高邁さだけで「豪華」を作っていたのかと思います。勿論黒いニュースはいつだってあったけれども、あのハリボテの町には、二十一世紀という時代が追いつけないような豊かさと、愛があったように思えます。少なくともスクリーンの向こうにはそれが見える。私には見えます。昔は良かった、と言う権利は私にはないけれど、でも映画を見ている最中くらいそういう無体も許されると想っています。あの頃は良かった。生まれてすらいなかった時代のことをそう思うくらい、彼らは魅力的です。
 親父は「コーラスライン」が好きでした。あれは小さい時には難しく思えましたが、今見ると痺れます。ブロードウェイでの再演の際のオーディションが今DVDになっていますが、その中で、オーディション参加者達が「これは私達の物語よ」と言っていたのが印象的でした。「コーラスライン」ははっきりとした輪郭というものを持たない。どこかで部隊を夢見ている一人のダンサー、一人のシンガーがいる限り、夢破れる者がいる限り、あの映画は“彼ら”の共有物で、永遠にけりのつかないオーディションなのでしょう。最後のロケットシーンの、大鏡の前で身を翻した“選抜者たち”の後ろから、“落選者たち”が現れる、あの瞬間に私は毎回、親父のセンチメンタリズムを理解します。わかるよ親父、こういうのいいよね、と思う。書きわすれてましたがうちの親父は十五年前に死にました。自分が早死になのをわかっていたらしくて、映画も本も音楽も、二十年分圧縮するように私に叩き込んでから逝った男です。彼は「コーラスライン」に、刹那的な人生の光を見ていたのでしょう。一人ひとりがすばらしい人――それはオーディションにおいてはそらぞらしい言葉でもある。でも、それでもどうしようもなく皆素晴らしい! 頑張って頑張りぬいて敗北したその瞬間こそ素晴らしくなってしまう、というそのねじくれた皮肉の、その上に成り立つゴージャスなショウシーン。日本のエンターテインメントからは生まれにくい、残酷な華やかさ。それを許容できるのがアメリカ大陸の広さでしょうか。「シカゴ」はそこを不必要に説明しすぎていて、私はあんまり好きではないです。ロブ・マーシャルの演出は、確かにかっこいいけれど役者の体の芯の力を感じるものではないと思う。というか実際1分も通して踊ってないよね? っていう。カットがなければいいとは思っていませんが、でもなんだか違和感があるのです。緊張感を感じないのです。そこには画面しかない。人がいない。映ってはいるけれど――。「ウエストサイドストーリー」のダンスは人の肌がにおい骨のきしむ音が聞こえそうなほどだし、「七人の掠奪された花嫁」は、ストーリーの強引を更にパワフルなキャスト達の身体能力が押し切ってしまう。セットがボロくても、人数が少なくても、昔のミュージカル映画は、体が言葉以上に働いていて、歌から物語が生まれていて、瞳から恋が沸いているのが見えるのです。物語から生まれていくのではなく、全部無茶な人間の力から生まれている、ねじふせられている。それがミュージカル映画の魅力だと思っています。
 そういう見方で他の映画も見ていました。まずは人であり、彼等の動きと、カメラの動きが作り出す旋律の強度こそが私の脳みその中に美しい傷を残すのでした。ロマンチックな話である必要はなくて、ギャグでもアクションでもなんでも、そこに何か強烈な生の旋律が刻まれること、それだけが私の望みでした。「赤い風船」の風船は確かに生きていたし、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は私の人生哲学そのものです。「Earth angel」のサビと、ジョージとロレーンのキスシーンが重なるシーンには、私が地べたから立ち上がるために必要なもののほとんどがありますし、「Hey,doc! Where are you going now? Back to the future?」「Nope.Already been there!」というやり取りの、「Already been there」という言葉には何度だって鳥肌が立ちます。MGMのロゴのライオンみたいに吼えて走り出したくなるくらい勇気がわきます。「「ティファニーで朝食を」(ヘンリーマンシーニの音楽は問答無用で素晴らしい)、「三十四丁目の奇跡」(何度見てもどこまでも、とてつもなく優しい)。「ターミネーター2」(愛すべきB級映画。つき立てた親指が沈んでいくシーンを見て、親父が「男はこうやって死んでいくものなんだ」と言ったものでした)、「街の灯」(あの悲劇と喜劇の分かち難い絶望!)……日本の映画も見てますが、こちらもやっぱり好きなものは古い映画が多いかも。寅さん映画なんてそれぞれ何回見たかわからないし、「酔いどれ天使」の三船の眼差しには毎度堕ちそうになります。最近の映画も見ていますが、本当に心に残った映画は少ないです。おかげで最近はめっきりドキュメンタリー映画ばかり見るようになってしまいました。事実の方が面白いのは仕方がないのですが、そうでもないかも、と気を迷わせてくれるような映画がなければ生きている甲斐がないというものです。まあ、ともかく私の好きな映画をあげていくと何字書いても足りないのでやめておきます。最後にひとつだけ。貧乏が辛くなったとき、人の裏切りが許せなくて眠れない時、私がいつも見るのは「素晴らしき哉、人生!」です。先生には説明不要の名作ですが、これを私は大学2年の時、知人からプレゼントされました。初めて見た時には、涙と鼻水が止まらなくて、布団を噛みしめて一時間くらい泣き続けました。今でも何度見ても泣きます。彼が完璧なまでに報われることが嬉しくて――。現実の人生では味わうこともなさそうな、見ることもなさそうな光景ですが、そういうものを作り出せるのが映画の醍醐味ですね。何を今更という程度の結論ですが、私は死ぬまで、その大前提ともいえる醍醐味の恩恵に骨まで浸かって、映画館の暗闇を愛して行こうと思うのです。「ニューシネマパラダイス」で解りやすく演出されるまでもなく、フィルムだけが伝える哀しい幸福の残像を、私達はどうやったって人生と一緒に愛さずには入られないのですから。
 実写ミュージカル映画の歌の中で一番好きなのは、「バンドワゴン」の主題歌「That's Entertainment!」ですが、あの曲に、私が映画に感じる抒情の全てが詰まっているように思います。良い音楽と踊りと笑顔の役者、そして「舞台」という場所さえあれば、人の夢はどこまでも夢幻に広がっていくし、またそれを表現する手だても決して失われない。ミュージカルじゃなくても同じです。音楽は空気、踊りはアクション、笑顔は表情といえば同じことです。そこに旋律を残す力のある何か。それを作る技量のある者達。優れた映画は全てエンターテインメントだと思っています。泣かせようが退屈させようがすくみあがらせようが、全て。
 この文章を書いている間、「風と共に去りぬ」や「エデンの東」のメインテーマを繰り返し聞きました。あんな音楽を映画館の中で聴いたら、一生癒されない傷を追ったことでしょう。良くも悪くも深い、忘れられない傷です。私の体の中はすでにそんな傷でいっぱいです。その時の痛みを私は忘れないように生きています。甘くて苦くて幸福で泣きたくなるような痛み、それこそが私の、生きている実感だからです。

 それがあるから、私は明日も明後日も明々後日も生きていけるのです。