山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

卒論のためのメモ3

 (前半不明)当然、オタク的なものの進化と時代を共にしているという実感は、それによって着実に強まっていった。私自身が“ハマれる”作品は一向に増えていかないのに、熱狂的な“オタク”の増加の気配は濃く、TVや雑誌をはじめとしたメディア、それにアカデミックな雰囲気の世界においてすら、アニメや漫画の存在感が大きくなっていくのがわかった。私のような子供も末端に加えた多くの目が、アニメや漫画の世界に、”現代”を見いだそうとしているのだ、ということがはっきりと理解できるようになったのは十代も後半のことである。小賢しい知識の蓄積が記憶を逆算的に拾い上げていき、よく見かける言説の通りに再編成した。(★)小学二年生の時に起きたオウム事件と、それとほぼ時代を同じくした『エヴァ』を論じることで現代のカルト的問題を浮き彫りにする「サブカルチャー」言説。そこから連なる、「セカイ系」と若年層の志向を巡る議論。はたまた、私が物心つく前に起きた宮崎努事件に端をなす、「犯罪」と「オタク趣味」を巡る社会的問題意識。オタク的なものと、(広義の)社会問題や心理学的問題をダイレクトにつなげた言説は、私に強い刺激をもたらした。オタク的なものを介して、社会を理解している気になれたからである。そのような目線でアニメや漫画を眺められる自分に酔いもした。私が大学に入学したのはその頃である。大学に入ってすぐ演劇活動に入れ込むようになっていた私は、忙しさからTVアニメや漫画雑誌を日常的に読む習慣をほぼ失い、批評やネットでの評判だけをチェックし、コンテンツ自体には、ことさら気になるもの以外目を通さなくなった。”それでも十分だ”という感覚があったからである。元々、没入的に好んでいた作品は多くない。オタク的なものを巡る批評や議論から有益な情報を救いとる、その基盤としてアニメや漫画の鑑賞があっただけならば、ネットで流行を把握し、それらを巡る言説を理解する下地だけ整えておけば事足りる――私はひところは本当にそう思っていたし、今でも、その考え自体を否定はしない。今、オタク系コンテンツの量は莫大すぎるし、どんなに努力しても、「要点押さえ」のみで終わってしまう領域は出てくる。それでも感じられることはあるし、語れることも生まれる。また、批評家や評論家などともなれば、知識や感性の豊かさによって、漫然とした鑑賞よりも優れてすらいる、要点の押さえ方を培っているはずだ。私はそう考えている。だが、当時の私は、オタク的な世界のほぼ全領域にそうした見方を採用することによって、一端、アニメや漫画から完全に皮膚を遠ざけてしまっていた。しばらくはそれでよかった。だが、次第にあることが明らかになっていった。すなわち、私がアニメや漫画の鑑賞から受け取るあの奇妙な感覚――文学や映画の「感動」への道筋とはどこか距離を置いた独特の、“感じ”の外へ向かう気配――が、行き場を失ったのである。私は、社会学や心理学と結びついた批評・評論的言説こそが、私の”オタク的なものから受ける感じ”の向かう先の導となるものだと無意識に信じていた。そして、そこで”より正しい”結論を得ることで、私のこのオタク的なものに対する、好奇心と違和感とが入り混じった気分が、文学や映画の鑑賞に伴う”満足”に似た、何かしらの完成形へ向かうのだとも思っていたのである。だがそうではないことを、私は悟った。手元には様々な批評・評論の文章があったが、それら言説だけで把握している作品たちへの“感じ”も、それまでのアニメや漫画鑑賞から溜め込んだ“感じ”の蓄積も、目指す“外”は、私が貪る批評や評論とはまた違う彼方にあったのである。私は、“感じ”の行き先を、ちっとも追えていなかった! その実感は、私に激しい焦燥をもたらした。同時代にまつわる言説を吸収し、アニメや漫画の表現の解釈を深めたこと自体は、勿論私に多大な知恵と感性を授けてくれた。それらは決して、“無益”なものではなかった。だが同時に、心が求めるもののある面に関してだけ言えば、ほとんど見当違いの行いだったのである。オタク的な世界を眺める時に発する私の心の叫びは、何ら聞き届けられることなく、放置されたままだったのだ。

それを理解したのは、いわゆる「ポストモダン」思想に行き当たった時のことである。二十世紀から二十一世紀に至るまで、我々は「ポストモダン」の時代を生きているという。(★)二〇〇〇年代のオタク系コンテンツ批評に最も大きな影響を与えたと思われる、現代思想・批評家(今は小説家でもある)の東浩紀は、著書の「動物化するポストモダン」や「ゲーム化するリアリズム」で、オタク系コンテンツや、オタクたちの間に立ち現れている問題意識、ポストモダン的現状を鋭く論じている。戦後民主主義から隔てられ、「大きな物語」を喪失した現代人は、物語の構成要素となる様々なモチーフを膨大な「データベース」として抱え込むに至り、様々な引用パターンと、それを媒介としたコミュニケーションの中で、それらを小さく消費するようになった。現代のオタクは、その「小さな物語」的行為にこそ“リアル”を見出しており、その現れが美少女ゲームの台頭であり、二次創作同人の肥大である――そうした言説に、私は素直に頷いた。それまでに読んだどのオタク系コンテンツ批評よりも「正し」く感じたと言ってもいい。また、そう感じたのが私だけではなかったことの証として、(★)。アニメや漫画の批評は活性化し、ゼロアカプロジェクトという(★)まで開催された。だが、それと同時に、私は先に書いた違和感に気づくようになったのである。私の“感じ”の行き場は依然示されぬままだということが、現実世界の批評の活性化によって、それに狂乱する人々の姿によって、突如はっきりと明かされたのだ。私は「正しい」と感じられるものを求めていたのではなかったのか。いや、そもそも「正しい」とは何だろう。絶対的な正しさなどこの世に規定できないことは、私も承知している。その中で私は、自分を満足させる、「正しいと思わせる」ものがあれば良いと思っていたはずなのに、いざ「正しいと思える」ものを前にしても、特に心動かされなかったのである。それが本当は正しくないということなのだろうか。そう思っていた矢先の二〇〇(★)年に、「対東浩紀」をはっきりと謳った批評家、宇野常寛の「ゼロ年代の想像力」が発行された。私はそれもすぐさま読んでみた。(★)一理ある、と感じた。だがやはり私は満たされない。扱っている作品が私の好みでないのか。援用している思想に実は納得できないのか。あれこれと考えながら、私はどんどん思考のどつぼにはまっていった。同時に、それまでインプットしかしてこなかった私は、溜め込んだ読書の記憶を元に、今度はアウトプットも試みるようになった。「ポストモダン」的な言説に対する違和感をどうにか言葉にして、自分を納得させたかったのである。なまじ本や雑誌、WEB上の情報だけは摂取しているから、タイトルはいくらでも頭に入っている。何かについて語れと言われれば、頭が勝手に言葉を生成する。引用できる言葉は大量にあった。また、ネットで一言そのような言葉を使えば、同じ言葉を使う人間といくらでもめぐり会うことが出来たのである。彼らとのやり取りの中でも、私は、“しっくりくる”言葉を捜し始めた。二〇〇九年は、WEBサービス「twitter」が急速にユーザーを増やした年である。私もその波に乗じてユーザー登録をしていたのだが、そこで、数多くの、プロ・アマ問わない「オタク的なものを批評・評論的言語で語る人たち」と出会い、言葉を交わした。私は、現代思想をはじめとした学術的な領域には極めて疎いという自覚があり、ボロを出したくないばかりに大したことは決して言わなかったのだが、“批評らしい”ことを書き込めばすぐに“同士”が反応する、という運動は認識していたし、その認識によって、自分がその末席に加わっていることもわかっていた。だが、自分をも含めたその運動領域のあり方は、私を言い知れぬ疲労に追い込んだ。自分こそが、先行する言説をデータベース化し、ちまちまとつまむように引用してコミュニケーションを楽しんでいる、「小さな物語」の住人のお手本ではないか、という思いでひどく苛立った。

 そして理解したのである。まるで評論をしているような形で語ることは、確かにある種の高揚感を私にもたらすが、満足感には至らないのだと。また、今後もただ批評・評論を読みこなすだけでは、決してこの違和感からは逃れられないことも。私は、「正しい言葉」を捜す前に、自分の中の「言葉」と、自分の「正しさ」を見つける作業をするべきだったのだ。私は、私の外部にある言葉と、自分の内部の言葉を合致させようとしていたが、内部の言葉の形がわからないのに、それに見合うピースを探せるはずはなかったのだ。それなくして、どうしてものを語ったり、異を唱えたりできよう。私の、オタク的なものを見る時のあの“感じ”。あれが向いている方向を、目指す行方を探さなければならない。多くの批評家や評論家も、まずはそれを行っているはずなのだ。自分の胸の内の、言語になっていない叫びを聞くこと。その叫びは、幼児の言葉に似ている。大人であるこちらには何を言っているかわからないが、当人には何か言いたいことがあるのだ。私達がそれを理解するには、周囲の大人同士で推測し合っていても意味がない。ただ愛情をもってその子どもの声を聞き、その表情や手振りに、愛を持って接するのだ。それがすぐさま、幼児の言葉を翻訳するわけではない。大事なのは、私とその幼児の間に本当に心が通った瞬間、私達の間に、大人同士で用いている種類の言葉はいらなくなる、ということである。そしてそうなってこそ、言葉を持っている私は、その幼児の思いを、全部とは言わないまでもいくらかは、周囲の大人に伝えることができるようになるはずなのだ。私がその結論に至ったのは、まだほんの一年ほど前のことである。そこまでに、随分な遠回りをしてしまったと思う。こうしたこと――「まずは己を知れ」といったこと――は、理屈ではいくらわかっていても、実感を伴うまでに時間がかかるものだ。それすら私は、知識としてしか頭に入れていなかったのだ。

 だが勿論、それを理解したからといって、たちどころに世界が明るく見えてくるわけではない。私は改めて、自分の、オタク的なものに対する見方や、そこから受ける“感じ”について考えるようになった。まず私のその“感じ”が向かう先は、どんなに注意深く観察しても、人とのコミュニケーションではないようだった。そうだったとしたら、私はとっくの昔に、二次創作やネット活動に手を出し、その世界へ飛び込んでいただろう。だが、私はそうした世界への参加を望んだことはない。では、クリエイターとして、実際に社会に流通する作品を作ることへ向かう気持ちだろうか。それは、まったくないとは言えない。私は、子供の頃から文章や絵で物語を作ることが好きで、それがアニメや漫画への興味関心にもつながっている。だが、アニメや漫画から得る感覚が、すわ創作活動への欲求へと向かうなら、私はそもそも批評・評論的言説を収集することに、必要以上の時間を割いたりはしなかっただろう。私は一旦は、社会時評や、各文型学問と結びついた文章に、自分の感覚のより所を見出していた。つまりそこに、私が求めるものの一端があったのだ。

 それが何だったかを考えるには、よく思いだしてみるしかない。私は、そうした文章を読むことで、“今”、自分が生きている世界をとらえたかったのだ。「時代」や「社会」など、私たちを取り巻く環境を区切り、言い表すための指針となるたくさんの単語――それらを収束させるフィルターの一つとして、(★)私は「オタク的なもの」を選んでいた。二〇〇〇年代に発表された、いや、これまでに発表されてきた多くのオタクコンテンツ批評・時評が、当然その理屈で書かれたものである。オタク系コンテンツやそれを取り巻く状況は、現代社会が抱えている問題や、または一つの業界の活性化モデルを論じる際の非常に良いサンプリング対象である。むしろ、それらを無視しては語れない、というところまで来ている。(★)「ダ・ヴィンチ」や「ユリイカ」といった文芸・芸術の総合誌は頻繁にアニメや漫画の特集を行っているし、「DIME」や「サイゾー」などのビジネス誌ですら、オタク系カルチャー特集をトップテーマに持ってくる時代だ。それらが示すのは、オタク的なものに言及することの、「社会」への一種の有益性である。社会を堕落、あるいは不活性化させるために、世に発表される“商業的”言説はほぼないはずだ。作り手側にどんな目論見があろうとも、日本の商業的流通ラインに参加する以上は、多かれ少なかれ、社会にとって有益な体裁を繕うことが要求される。そこで促されるのは、国益を上げるとか、犯罪率をすわ減少させるといった派手な効果への直結ではない。「生活の役に立つ」「インターネットをもっと活用できるようになる」「今まで知らなかった面白い作品とめぐり合える」、掲げられる目的はその程度である。そして少なくとも私のような一般人を対象としたものならば、まずはそれで充分なのだ。私達が求めるものは生活の彩りや充実である。そしてその積み重ねの延長上にも、「社会の向上」という目的はのせられている。私が「社会への一種の有益性」と書いたのはそういうことである。一九九〇年代後半は、『エヴァ』などの人気作を取り上げることによって、(当時の)現代社会の持つ歪みや、カルト的なものへのコミットメントの変化、若者が抱える闇の問題などを論じる場や、語り手が急増した。いささか優等生じみた見方かもしれないが、それらの現象にもまた、それまでに見逃されていた問題点を明らかにすることで、社会を向上させていこうという意識を見ることは可能である。もちろん、中学~高校生時代の私に、「社会を向上させよう」などというはっきりした意思があったとは言わない。私はまずは私の向上のために、オタク系コンテンツにまつわる言説を必要としたのだ。それらの文章を通じて、“よく物事を知っている人達”の言葉を通して、社会の輪郭を知り、その中で生きている自分をとらえなおす作業を行っていたのである。だが、成長に従い、浅学な私でも、現代社会への興味関心は抱くようになる。いくつかの凶悪犯罪や、9.11事件をはじめとする国際的事件、同世代と付き合っていてなんとなく感じる“閉塞感”――それはしばしば上の世代の「差近頃の若者は」といった言葉で簡単に代弁される――のような曖昧な気配など、様々な事例が私の危機感を煽った。私は私なりに、社会の悲惨な一面や世代間で感じる鬱屈に対抗し、自分の手の届く限りは改善していかねばならぬと今でははっきり考えているし、「オタク系カルチャー」への認識やはたらきかけは、その為の有効なアプローチのひとつだと感じている。向上。改善。より良くしていこうという試み。そのいくらかは事実を把握することから始まる。私が求めるものの一つはつまり、そうした「社会」へ通ずる言葉、「社会」を理解するのに有効な言葉、ということだろう。その為に言説の客観性や、原理的・学術的保証を必要としていたのだとも言える。