山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

ジョゼフィン

私はグルメではない。美味しい食べ物は好きだが、店を開拓したいタイプではないし、珍しい食べ物にも興味がない。自分の活動拠点である家で、素朴なものを焼いたり煮たりして食べるのが一番好きだ。そのため、旅先の食事でよくまごつく。「ココイチデニーズがあったらそこにしよう」という気持ちと、「せっかくこういうところに来たんだからチェーン店は……」という気持ちが戦うのである。

今日もその戦いが勃発してしまい、その間ずっと街をぐるぐる歩き回っていたため、灼熱の太陽に焼かれてあやうく熱中症になるところだった。そして結局ココイチに入った。人生の時間を無駄にしていると痛感するのはこういうときだ。もう欲張らずに、こういう時は駅周りのファミレスかカレー屋ですませる、というルールをもうけておいた方がいいのかもしれない。

実際、旅先だからとガツガツしなくても、ご縁のあるものには自然と巡り合うだろうというつもりで動いていると、実際そのように出会いがある。今日は、図書館でたまたま座った席の近くにルイーザ・メイ・オルコットの日記があり、仕事そっちのけで読みふけってしまった。

私の願う理想の人生というのは6歳の時からまったく変わっていなくて、そのロールモデルとなったのは、オルコット著・『若草物語』のジョー(ジョゼフィン)である。

ジョーは四姉妹の次女だ。読書と物語作りが趣味のボーイッシュな少女で、早くから一家を支えるために働き、色恋沙汰とはまったく無縁のままオールドミスとなるも、誠実な年配の教師と結婚し、二人で新しい学園(今で言うところのフリースクールのような私立校)を開く。そして自分の子どもとよその子どもをごちゃまぜに育てあげ、彼らのよき母・姉・指導者として暮らす傍ら、作家としても成功する。

私はジョーと同じく、幼稚園のときから物語を書くのが趣味で、男の子っぽくて、かつ小さい子の世話が好きだった。欠点が「短気」であることも、妹に対して過保護なところも(うちの妹は完全にエイミー、母がメグ)、父親に「私の息子」と呼ばれているところなんかもあまりに一緒すぎた。なもんで、『若草物語』を読んだときは衝撃を受けた。そして、「私もジョーみたいになるに違いない! というかジョーは私だ!」と図々しく決めてしまった。

もうひとり、私の永遠の師匠・福永令三も学習塾を経営しながら作家になったので、「子どもの学び舎を運営しながら売れっ子作家をする」という野望はますます盤石のものとなった。

まだ学校は作れないまま、売れっ子作家にもなれないまま、しかし物書き業はしつつ、もうすぐ30になろうとしている。流れ流れてここまで来ちゃったけど、私はあの時願った「理想の自分」に近づいているんだろうか? とふと考える旅先。まあ学校づくりは大変なことなので置いておくとして。

ほんとうに最近、力不足を痛感することがたくさんある。私はまったくもって美文が書けるタイプではないし、書くのがものすごく早いわけでもない。煽るのも下手だし、一行ひねり出すのに1日かけることもある。勉強だって、何の分野に関しても足りていない。自分の書いたものを読んで「クソだ!」と思うことはいっぱいある。家では怠けてばかりいるし、同業者との付き合いも苦手だ。専門分野だってない。

客観的に要素を並べると、一体どうして自分なんかがライターをしているのかわからなくなる。この世には、私よりもずっと頭がよく、知識がいっぱいあって、コミュニケーション能力の高いライターがいくらでもいるのだ。

でも私は、物書きになるという予定を疑ったことは一度もなかった。私が社会に対して何か善いものを与えられるとしたら、それは確実に「書く」を通してのことだと思う。今もそう信じている。

オルコットの日記を読んでいて、はっとする箇所があった。オルコットが、『若草物語』のゲラを読んで自己分析しているところ。

「なかなか悪くない。飾り気がなくて、真実味がある」

20数年前のようにまた「これだ!」と思ってしまった。私がほしい、書きたい文章・物語はこれなのだ。

なんでそれがほしいのか。子どもに必要なのは、そういう文章、そういう読み物だと思うから。私が、わりと険しかったこの人生の中から「善き人生」を発見できたのは(私が人並み外れて良い人生を送っているという意味ではない)、オルコットやモンゴメリ、トウェイン、エンデ、長崎源之助や薫くみこや福永令三や、その他大勢の、「飾り気がなくて真実味がある」若い人向けの文章を書いてくれた作家のおかげだからだ。

どんな地味な家族物語でも、はたまた荒唐無稽な冒険譚でも、魂の素朴な輝きから目をそらしていなければ、それは真実味というある一定のトーンを共有した巨大な物語の一遍になる。だとすれば、自分の人生にだっていくらでも、神話のそれのように不滅の旋律を見つけることができるのだ。素朴な文章が教えてくれるのは、いつだってそういうことだった。

日記を少し読み、仕事も多少して、夕方に図書館を出た。近くの大きな公園が、祭りの準備で賑わっていた。生涯学習センターでは、広島原爆についての展示が行われていた。私は私の人生をまっとうすることで、この国のちからになりたい。