山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

心の赴くまま

 寝坊して、そのまますぐバイトへ行った。今日もやはり人が多くて疲れた。駅地下で買ったぶどうパンが当たりだった。あとAさんが実家からもらってきたらしいみかん(ピンポン球よりちょっと大きいくらいで、そしてやわらかい)がおいしくていくらでも食べられそうだった。結局一人で5つくらい食べる。
 ここ二日でポップを三つ書いた。宇宙兄弟ざくろ、そして今日は「ジゼル・アラン」。かなり売れているらしい。どこかの本屋のポップがいい感じではっとした。私もああいう風に作ればいいのか。うちの棚では難しいけども。読んでみたがやっぱり森薫っぽかった。でも根本的には違うな。サイトの人も書いていたが、森薫は内田百聞なんだ、やっぱり。あのサイトはかなり的を射ていたと思う。なんだっけ? 細部が全体になる、という言葉。恋物語ではない、という評も。今度ちゃと読まなければ。まあとりあえず「ジゼル・アラン」は推して悪い作品ではない。
 帰りの電車の中で、峰倉かずやについての記事を読む。顔の半分の骨を失った、って恐ろしすぎる。淡々とした文章で書いていたけど、本人は壮絶な思いをしているんだろう。壮絶な、なんて言うのもくだらないな。どう言えばいいのかわからない。旦那さんは彼女を支えていてくれているんだろうか。陥没した顔を見つめてくれているんだろうか。骨のない顔。鼻と口の間を遮るもののなくなった顔のその感覚、突然訪れる痛み、全部想像しかできないが、想像だけでも恐ろしい。私だったら耐えられるだろうか。エナメル上皮腫、という病気らしい。人工骨を入れて、鼻と口の間に遮るもののある顔に作り替えるらしい。長い時間をかけて。
 そのあと峰倉さんのブログを読んだ。なんて強い人なんだろう。彼女の作品を好きだと思ったことはないが、特異な人だとは思ってきた。「世界一マニアックな嗜好の旦那」という言葉に泣きそうになった。最遊記にあったあの得体のしれないエネルギーはやっぱりこの人自身の力なのだ。漫画を書けないことが何より悔しい、だなんて。悔しい。私も頑張らなければ。その強さに嫉妬する。マニアックな旦那さんの存在にも。でもその一万倍くらいの苦しみを乗り越えて、峰倉かずやがそこにいる。これから彼女の描く絵や漫画に、どれだけの力が生まれていくことか。絶望を乗り越えた人の筆が、弱くなるはずない。Xさんのツイートで、このブログのことを知ってよかった。「生きてるってねえ、思えたよ」。千羽鶴で埋まった病室が目に浮かぶ。
 いろいろ書きたいことは多いんだけど、全部を書こうとするのもさもしい気がするし、どうしたらいいかわかんないな、まだ。とりあえず人に見せないつもりで書いてるわけだし、それほど深く考えずに書いていく予定だけど、何か忘れちゃいけないことを書き忘れていたら嫌だな。そうやって忘れてしまうことなんて大したことないのかもしれないが。でももしかしたらすごくいいことを思いついて、それがその時一瞬しか舞い降りない言葉だったら、やっぱり書き留めておきたいし。わからない。ひとまずは心の赴くままに。