山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

禁じられた遊び

「お兄ちゃんはギターが上手いのよ」
 真っ赤な唇で、うっとりとクスコさんは言った。私はただふうんと答えた。
「私が部屋に入るといつも弾いてるの。タオルを首にかけて、壁のほうを向いて」
 クスコさんは、いつでも真剣に語る。私は、自分が”たった”4歳であるということをすでになんとなくは理解してたから、クスコさんのそういう話し方が不思議だった。不公平だとも思った。そんな風に話しかけられても、私には答える語彙がない。
 クスコさんはよく、お兄ちゃんが好きなギターの曲だ、と言って、かすれた音の口笛を吹いた。「きんじられたあそび」だとクスコさんは言った。私に理解できたのは「あそび」の部分だけだった。
「私とお兄ちゃんは十二歳離れてるの。何回かギターを教えて頂戴って頼んだけど、子供の相手なんかしてられないって言われた」
 クスコさんは何歳だったのだろう。当時の私にはとてつもなく大人に見えたが、案外二十歳そこそこだったのかもしれない。彼女はいつもお尻が見えそうなほど短いスカートをはき、細いヒールの靴をつっかけて、よたよたと歩いていた。色が抜けるように白く、いつでも夢見るような目をしていたのを覚えている。
 彼女は、夕暮れ時になるとこの保育園にやってきて、大抵一人でブランコに乗る。先生たちとは知りあいのようだったが、長く話をしているところは見たことがない。園児達は、皆いつも彼女を遠巻きに見ていた。私だけが傍にいた。クスコさんが好きだったからではない。ブランコに乗りたかったのだ。人一倍ぐずの私がそこを独占できるのは、クスコさんと一緒に居るときだけだった。
 きいきい、とブランコが鳴く。校庭に、いびつな影が広がる夕暮れ。
「あなたのママ、迎えに来るの遅いね」
 クスコさんが言う。私は頷くしかない。
「私のお兄ちゃんとあなたのママと、どっちが早く迎えに来るかしらね」
 いつもクスコさんは言った。だが、クスコさんのお兄ちゃんが現れるのを見たことは一度もない。
 翌年私は保育園を卒業し、隣町に引っ越した。
 今でもブランコを見るたび、クスコさんを思い出す。あの口笛も。

<了>