山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

捨て猫

あれは 中学一年生か 二年生の時のことだったか。
友達の女の子(名前をSにします)がある日、
「猫を拾った」と私に告げにきたことがあった。

S「5匹もいるんだ。一匹飼えない?」

私は当時、ひどい猫アレルギーだった。
現在、こむぎのせいで神経が麻痺したらしく治ってしまったのだが、
当時は猫の半径一メートル以内には1時間といられなかったので、
残念だけど、と断わった。

 

私「どこで拾った?」

S「●●公園。箱に入って、みゅーみゅー鳴いてた」

私「飼い主、見つかるといいね」

S「うん…。一人、見つかったんだ。
  明日までにまだあと四人みつけなきゃ、保健所につれていかれちゃう」

 

と、そこまで話したときのこと。
次の瞬間彼女が口に出した言葉に、私は驚き、打ちのめされた。


S「もし、五匹全員の貰い手がつかなかったら、全員を保健所に連れてく。
  一匹だけもらわれるのは、可愛そうだからさ…」

私「!?」


私は、単純な人間である。
こういう時、一匹でも多く助かるならそれにこしたことは無い、と考えるのが、
私を始めとする、単純な人たちの考えだと思う。


でも かわいそうなんだって。


Sは、なんというか、ものすごく正しい子だった。
お金持ちの一族で、豪華なマンションに住み、成績も優秀。
心臓病を患ったせいで体は弱いけれど、運動神経そのものはよく、
お母さんは料理研究家で、毎日手作りの豪華なおやつやご飯を食べている。
優秀なお兄さんが二人いて、日曜日にはドライブに連れて行ってくれ
リューマチの祖母のために福祉関係の仕事に就きたいと考えている…
そんな、絵に描いたような家の子だった。
簡単に言えば、「愛さえあれば、地球は一つになれる!」と
心の底から信じているようなタイプの子。
とても思いやりがあって(社会的に見れば)、公平な考え方の子だった。


彼女の考え方でいくと、今回の場合、

一匹だけがもらわれ、幸せになることは、

かわいそうなのだそうだ。


誰がかわいそうなんだろう?

死んでいった他の兄弟のことを知らずに育つ一匹の猫が?

幸せになる一匹の兄弟を横目に死んでいく四匹が?

五匹全員で死ぬことはかわいそうではないのだろうか?

死ぬなら皆で死にたい、と、猫が思っていると言うのだろうか?

貰い手が見つかっている一匹は、他の子に貰い手がつかなかったという
それだけの理由で、これから大きく育つ事ができたかもしれないのに、
死ななくてはいけないのか?


私はその時、わけのわからない憤りと、絶望を感じた。
反面、それがもしかしたら正しいのだろうか、というもやもやした気持ちが
ぐるぐると頭の中に渦巻いていて、何も言えなかった。

その夜、私はなんだかものすごく悲しくなって泣いた。
泣きながら考えたことは、
Sは、すごく道徳的な考え方の持ち主なんだな、ということ。

小学校の道徳の教科書にのっている、
あきこさんとか、まさおさんみたいな考え方を
貫きながら生きるとこうなるんだ、と、恨み混じりに思ったものだった。


母にこの話をすると、ひとしきり怒った後(母は猫好き)やっぱり
「その子は、ものすごくいい子に育てられたんだね」と言った。

そう、Sはいい子だ。
皆からもすごく好かれる。
きっとこれからもそうやって生きていくし、それは間違いじゃない。
誰か一人が不幸になるときは、自分も共に不幸になろうと
心の底から思えるのだろうし、自分の幸せは皆に分け与えていくのだろう。
そして幸せな結婚をして、優秀な子供を育てる。

彼女は圧倒的に公正なオーラをいつも放っていた。
でも私は、その光にたまに困惑していた。
「何かがおかしい」
というわずかな違和感。

その違和感が、大きな影を持って私の前に現れたのがこの時だったのだと思う。
自分が、正しすぎる光に反発する部分を持っていることを、
私はこの時(初めてじゃないけど)確認したのだ。
自分の考え方が正しいのだ、とは今でも言い切れない。
SにはSの正義があったんだから。

 

私は、Sとは中学以来会っていない。
あの猫はどうなったんだろう、と今でも思うことがあるけど、
きっと保健所に連れて行かれてしまったんだろうな。


「かわいそうだから」

そう口に出した時のSの顔は、いつもと変わらず、綺麗だった。
優越感や 偽善の表情はかけらもなく
全身で素直に「かわいそう」と思っている無垢な心。

それは必ず私と相反する。


こむぎを見ていると思い出す。
五匹の「かわいそうな」捨て猫たちのことを。
Sのことを。