山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

甘い夢

8時台起床。朝食はチーズトースト。日中は買い物をして、夜はがっつり肉料理を作って食べる。

食後、アニメ「天元突破グレンラガン」の螺巌編(後編)をみる。グレンラガンは、私が大学に入った頃にやっていたアニメだ。1部〜2部にかけてをリアルタイムで少し見ていたものの、3・4部はチラ見程度。最終回以外はさっぱり記憶にない。今回、初めて終盤のストーリー展開を知った。改めて見ると、やっぱりアニメとして優れていたんだなと思う。

「螺旋」「ドリル」というのは、人の前進する力、人間の生命そのものだ。これはかなり直接的なメタファでもある。螺旋が象徴しているのは電子と遺伝子だ。遺伝子が螺旋を描いていることは誰もが知っている。そして量子力学の世界では、回転運動が重要なものとして扱われる。電子は原子核の周りを公転し、電子そのものも自転する(何かの本で読んだ話では、これを単純なぐるぐる回っているタイプの回転と捉えてはいけないらしいけど専門の勉強をしていない私にはよくわからぬ)。万物を動かしているのは回転のエネルギーであり、すなわち螺旋力である……というイメージを、人間は重ねてきた。

グレンラガンの世界観を貫くのは、SFに多用される量子力学的な多元宇宙論である。観測によって粒子が規定される、すなわち知的生命体の認識によって現実は存在するという、みんな大好きシュレディンガーの猫話だ。

私はこの、「無限にあるパラレルワールド」が人を苦しめるという展開が、もともとあまり好きではなかった。なんでかというと、大抵の場合、オチが「それでもたった一つの大切なもののためにぶち抜ける」になるのがわかっているからだ。「無限の可能性が人を苦しめるが、ひとつの現実を選びとって生き切るしかない」というのはSFでなくともあらゆる物語に現れる。90年代後半から2000年代なかばは、オタク系サブカルコンテンツの世界に、ハルヒなどこの手のモチーフが多出した時代だった。故に私のようなオタクからすると、2007年当時、「もうそれはわかった」と言ってしまいたくなるものでもあったのだ。ちなみに私がこの手のSFで一番好きなのは、ベッタベタだと言われてもやっぱりハインラインの『夏への扉』である(ありゃあ多元宇宙の話じゃないだろと言われそうだが、結局ピートの行動がこういう理屈の全てだと思うので)。

ただ、久しぶりにグレンラガンを見てみて、やっぱり「こういうことは、何度でも言うべきなんだよな」と素直に思ったし、前向きな気持ちになった。最後、硬い木の実をドリルでこじ開けようとしている男の子に向かって、シモンが「力をいれちゃいけない。もっと軽く回してみろ」とアドバイスする。ドリルは、対象にぐいぐい押し付けるより、回転の力を正しく伝える方がその効力を発揮する。人生も同じで、ぐいぐいやっては腕が疲れるばかりだ。力を抜いて、きちんと回転することに気を配っていればいつか穴は開く。いろんな疲れている人間には、そういう考え方が必要なのである。グレンラガンは最初から最後までそこにこだわった良作だった。「ドリルで突き抜ける」というコンセプトが、シンプルに生命賛歌として機能しているところが素晴らしい。

久々に見て思ったこと。

・ニアがかわいい。
・私がシモンだったら、ニアのことは躊躇なく螺旋の力で呼び戻すであろう。死んだ連中を生き返らせないというのはまあ正しいよなと思うんだけど、ニアは「こっちに存在できないから消えてしまう」のであって戦死したわけじゃないんだから別にいいんじゃないのかとか色々。
・おっぱいが揺れるのはいいけど、乳首まで揺れなくてもいい気がする。見てて胸がかゆくなる。
・ロシウ萌え。斎賀みつき(ロシウCV)が女性だということが信じられない……。
・リーロン、スタイル良すぎる。
・ヨーコの裸族ぶりにびびる。付き合う男性は、彼女が裸のところを見てもなんとも思わないのではないだろうか。防護という観点から言っても大きく問題がある。
・檜山、暑い(熱い)。
・ヴィラルの見た「甘い夢」が「家族を作る」という内容だったのが切ない。

私も頑張って天元突破しなきゃ……。