山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

パンの幸福

今日も腹の痛い目覚め。

最近激務で帰りが深夜になりがちな夫と、少し距離のあるカフェでゆっくりモーニングをとる。パンが色々選べたので、私はクロワッサンと小さなフレンチトーストにした。あたたかいクロワッサンやフレンチトーストは幸福度が高い。サラダとスープも美味しかったし良いブレックファーストになった。また平日にも行く。

2人で書店などに寄って買い物してから帰宅。最近は出歩くとすぐ眠くなってしまうため、昼前から13時くらいまでドロドロととぐろを巻くように寝た。起きたら夫が鮭のおにぎりとアイスクリームを買っておいてくれていたのでありがたく食べる。夫は仕事が忙しいのにこういう気遣いを欠かさない人なので尊敬する。その後はコーチングのセッションを二件提供。

そんなわけで今日はあまりインプットをしていないが、夜に一橋大学橋本直子氏によるForbesの論考を読んだ。「改正入管法」を巡ってどのような駆け引きがあったか、そして橋本氏の意図と実情がどのようにずれたかを記したものだ。

https://forbesjapan.com/articles/detail/63809

ここに書かれたことのニュアンスはわかる。「A案強硬派(マジョリティを味方につけている)」と「A廃案派(マジョリティを味方につけていない)」の派閥があったときに、強硬派と廃案派の間にいる人がよく認識する現象のひとつだと思う。これまでにもいろんな政治活動の関係者から似たような話を聞いている。また、橋本氏のような彼ら“狭間の人”が、こうしたことを疲労や少なからずの怒り、失望などとともに語り、それによって「廃案派」の反発をかい、最終的に「強硬派」の方に事実上押しやられるのもしばしば見てきた。つまり、強硬派から見れば“狭間の人”とは利害関係が衝突しきらないので彼らをそこまで邪魔にする必要がない。しかし廃案派は“狭間の人”と完全に対立関係が成立するため、根本的に共闘が難しいのである。

しかしこの体験を“狭間の人”がストレートに書くこともまた、戦略的・政治的にうまく機能しない印象がある。廃案派がこういう発信に反発し、“妥協”的な案に余計拒否感を持つケースをよく見てきた。また強硬派は強硬派で「そらみたことか」という意見発信をしがちである。これもまた、リベラルが負ける仕組みの一部なのかもしれない。もちろん狭間の人が悪いわけではない。