山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

一周回ったドリーム

インタビューに次ぐインタビューの日。9時頃起きる。なんだか最近いつも起きると頭が痛い。昨日の反動であまり午前中は元気が出ず、ノロノロと出かける準備をする。

昼、ランチを兼ねてのインタビュー。今日もいい話がたくさんきけた。数時間詰めて脳みそがカスカスになったあとマクドナルドで休憩。アイスティーとナゲット(ものすごく久しぶりに食べた)。仕事をしようと思ったが頭があまり働かず、昨日の余韻で刀剣乱舞の動画を見まくる。夕方からまたすぐ取材の再開。インタビュー相手の方の講演会を聞き、さらに数人を相手にディナー兼ねての軽いインタビュー。さらに頭がカスカスになる。

インタビュー相手がものすごく上品な女性ばかりなのに、入った中華料理屋が実にワイルドな店で、汚れのふきとれきれていない皿がガンガン出てくるので「アーメン」という気持ちになった。味はそこまで悪くなかったけども。浅草線界隈の店はよくわからない。

今日は書くことが少ないので、常々思っている『結婚しても恋してる』関連への微妙な感覚について。

私の記憶にある限り、Twitterで「ラブラブ夫婦+子供ストーリー」がウケる風潮は、2013年末あたりから急加速したと思う。その前から「バカップルもの」とか「キラキラ恋愛話」はウケていたが、「夫婦・親子もの」は「主婦のエッセイ」の領域だった。パロディ同人で擬似親子ドリームを書く人はけっこういたが、「自己投影が透けて痛い」などの批判もあるジャンルだった。「自分語りとしての円満家庭話」を、少女漫画的に消費する文化はなかった気がする。

「家庭内恋愛物語」の消費文化は、「アンチフェイスブックリア充」的思想へのさらなるアンチ思想でできていると思う。「都合のいいストーリーを楽しむハーレクイン的コンテンツ」とは実は全然違う。「自己啓発に対するアンチのアンチ」みたいな、一周回ったミニマリスト的価値観なのだ。「都合のいいストーリーはないのにさもそうであるかのように振舞っているのが世間一般のリア充だが、自分はそういう文脈に気づかないくらい真のリア充なんだよ、という振る舞いをあえてします!」という幾重にも重なった感じ。一見シンプルなのに「前提としている文脈」がめちゃくちゃ多いのだ。

昔のshin5氏のツイートを思い返す限り、やっぱり「大衆のウケどころ」を理解し、極めてきたタイプだろう(実際に円満家庭かどうかはどうでもいい)。それ自体はいいんだけど、「前提としている文脈の多さ」に私はたじろぐ。大きな声では言えないが、「そこで微妙に隙があるからこそ、大勢が彼のツイートを安心してしゃぶりまわせるのだ」という確信があり、それが「実話の体であること」が重要な現代というものが、なんだかつらいのである。

今は少女漫画でもアラサー向け漫画でも、「ヒロインとその相手の盤石のラブラブぶり」「何があってもヒロインに執着しまくる男像」が消費対象となりやすい時代だ。これは『君に届け』の長期連載突入あたりから強く感じられるようになった風潮で、『今日会社休みます』も、『オタクに恋は難しい』もその延長上にあるように見える。『結婚しても恋してる』もそうだ。正直、この後が見えなくて怖い。もうみんな、フィクション上ですら「苦難」には出会いたくないし、努力したくないのだ。