山羊の沈黙

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宝塚月組公演「エリザベート」

 東京宝塚劇場にて、宝塚月組公演「エリザベート」を観劇した。
 「エリザベート」は、1992年にウィーンで初上演されたミュージカルで、宝塚化されたのは1996年。宝塚歌劇団の演出家小池修一郎が演出を手がけ、雪組にて上演された。「孤独なオーストリア皇后エリザベートの、その生涯における唯一の恋人は『死』であった」という斬新なストーリーは、当初「宝塚らしくない(ラブストーリーとして暗い、主演男役が『死』の化身の役を演じなければならないなど)」と反発を買ったというが、次第に人気作品となり、現在までに全ての組で上演されている。今回で通産7度目であり、私は、生で観劇するのは2007年雪組以来二度目である。

 今回上演する月組で、トート役を演じるのは瀬奈じゅん。トップ在歴4年のベテラントップである。そのルックスの丹精さ、男役としての美しいキザりは、『死』の化身という非現実的な役になっても健在であった。
 エリザベート役は、宙組から特出となった、若手男役の凪七瑠海。実際の身長が瀬奈じゅんより高い為、並んだ時どうなるか不安だったが、思ったよりは違和感はなかった。しかし、寄り添って並ぶとやはり凪七が大きいと感じられる。
 私が月組ファンでないからかもしれないが、今回のエリザベートにはあまり魅力を感じなかった。トートには、『死』の化身としての怪しい存在感が感じられなかったし(きれいなんだけど)、エリザベートには、その孤独な人生の中で、『死』だけが最後の安らぎだったのだ、そしてだからこそ彼女は凛と美しく、気高かったのだと感じさせるような強さがなかったように思う。
 元々月組は、派手なコスチュームプレイミュージカルを得意とする組ではない。月組が得意なのは「ME AND MY GIRL」のような芝居主体のミュージカルで、エリザベートのように歌とダンスで押しまくるミュージカルにはあまり合わないと言われる。それを何故この組で上演したかという理由は、やはり「人気」なのではないか。不況の波は宝塚にも押し寄せており、歌劇団は、確実に客の入る大作を連発することで、なんとか集客率を保とうと勤めているのだろう。

 なぜ「エリザベート」はこんなにも人気作品なのか。それは、『死』を恋人にする女、という設定が、我々の人生と最終的には重なるからだろう。我々の生活は、常に死と隣り合わせである。人がいつか死ぬことは確実であり、そこは、人にとって最後の行き着く場所である。死は恐ろしいものと捕らえられがちだが、生に寄り添い私達を最後に必ず受け入れてくれるものとしての、一種の安らぎのような存在でもある。
 『死』の化身であるトートの役をやる役者は、肌を白く塗り、青系統の化粧で顔を冷酷なイメージに作り上げる。銀・青色などのかつらに真っ黒な衣装というその外見は、安易な死神のイメージを模した衣装といえなくもないが、白いドレスのエリザベートを引き立てる。あまり抑揚をつけすぎない歌声と優雅なダンスが、生と死のあわいのゆらぎのようなものを示す。エリザベートへの愛を打ち明ける時には、バックダンサーも含め、激しいダンスとなる。『死』が人を愛する。人を受け入れるだけの『死』が、積極的に人を取り込もうと働きかけることの不自然さを示すような、いびつで激しいダンスである。
 私が好きなのは「夜のボート」のシーンである。『死』を見つめて孤独を貫き生きる皇后、その皇后をそれでも愛し続けている皇帝、二人のすれ違いが、悲しくも美しい。人が、やりきれない矛盾を抱えながらも、それでも何かの気持ちを貫こうとする、その様子が胸を打つ。二人の役者は、歌いながらただすれ違うだけなのだが、人と人がすれ違うだけで表現できるものがあるということに感動する。