山羊の沈黙

たくさん読んでたくさん書く生活を模索しています。

愚姉と愚弟

 愚弟(18)東京にきたる。
 朝6時に家を出て迎えに行ったが、出会うまでに1時間かかった。東京駅での待ち合わせは危険だということがよくわかった。でも夜行バスって東京駅か新宿駅降りしかないし。
 相変わらずの愚弟っぷりにイラッとしたりトホホとなったりしながら、二人で大荷物の買い物をし、地元の洋食屋でカレーを食べる。隣の二人組の会話が非常にうっとおしい。


A「だからーマサキはバンドマンだからー、貧乏なのはわかるわけー。でもホテル代半分は出してほしいし」
B「そんな男別れなよォ」
A「でも悪い人じゃなくてー、音楽愛しすぎちゃってるっていうかー、この間もー」

 

弟「あれって、『あなたは悪くない』って言ってほしいんだよね?」
私「でしょうね」

 

 その時、反対側のテーブルで幼女(推定3,4歳)がわーわー泣きだした。「ハンバーグがいいって言ったのにィー!!」という内容。父親立ち上がる。

 

父「ゆうちゃん、そんなこと言うなら今すぐ帰ろうか」
幼女「!!! いやあ! ごめんなさい、ごめんなさい!」 
父「パパは自分の食べたいものは自分で決めたよ。ゆうちゃんもさっきそれがいいって言ったよね?」
幼女「うっうっ。『ハンバーグにする?』って言われたと思ったの……」
父「ちゃんと食べるね?」
幼女「ウン」


弟「あの子の方が賢いじゃん」


 無表情に言った弟。

 雑談で「ここからだと巣鴨が近いんだけど、巣鴨は面白いところでね」ときり出したところ、即座に

 

ヨン様放つようなものでしょ、のあそこでしょ」

 

 と返してきたのも面白かった。一瞬解らなくて「ハァ?」と言ったら、「『聖お兄さん』の」と弟。そういえば、浅草だかなんだかに行ったブッダが、「私が寺にいるのって、巣鴨ヨン様放つようなものでしょ」と言うシーンがあったのだった。
 うちの家族の特性として、昔むかし読んだ本の些細な単語や台詞を、執拗に、それこそ十年以上ネタとして会話に何の脈絡も無く出すというのがある。いまだにうちでは、荒廃した世の中を嘆く時に「ビフタネンの世界だ!」と言うし、ひねくれた奴のことを「あれはネジレジアだから云々」と表現したりする。
 しかし弟が聖お兄さんをそんなにちゃんと読んでいるとは知らなんだ。東海林さだおのエッセイしか読めない子だと思っていたら、いつの間にか幅を広げていたらしい。話し合ったところ、一応勉強していきたいという気持ちもあるようだ。やりたいことが見つかったら、しかるべき進学もしたいと言う。
 父が死んだのは弟が3歳の時だ。父が死んでからの2,3年は本当に家が荒れていて、母はがむしゃらに働きに出ており、妹は引きこもり、私は暴れん坊将軍だった。弟は、追うべき男の背中を知らず、荒れ果てた家の中でじっとおもちゃを相手に遊ぶしかない気の毒な幼児期を送り、母と私が金策で苦しんでいる姿ばかりを見て育ち、お小遣いもお年玉もろくにもらうことなく、旅行や遊びに連れていってもらえることもなく、更に姉どもに抑圧されながら18歳まで育ったかわいそうな男である。失われた青春を取り戻してやることは出来ないけど、それ以外のことで、出来る限りのことはしてやりたいと心から思う。

 貧乏人が、向学心を持ち続けることは本当に大変なのだ。特に、生まれた時からの貧乏人にとっては。年収300万未満の家庭の子どもで学歴平均を取るとものすごく悲惨な結果が出てくるが、そりゃもう当然のことだ。正直、そういう家の子どもがDQNになるのは仕方ないと思うし、ある意味“犠牲者”だとも思う(私は極貧でなかった時代の恩恵を幼児期に受けているので、ここには当てはまらない。低学歴は怠惰のせい)。「それでも努力しろ、言い訳するな。どんなに恵まれない環境でも頑張っている人たちはいる」と叫ぶ人を見ると、その傲慢さにアテられてものすごく落ち込んでしまう。
 100円すら渋るようなスケールの光景ばかりを見て、ボロ服を着て、手持ちの金がない故に金持ちの子にはハナから近寄れず、何かやりたいことがあっても「金」の問題が最大事項として立ちふさがる。そういう状況を苦しいと思うのではなく、当然のこととして意識することすらなく育った人間に、資本主義的な、アカデミックな向上意欲を持たせるのは難しい。最下層以外の世界というものがまったく、概念としてわからないからだ。弟はまさにそれだ。

 もう大人の男だから、いらぬお節介を焼きまくるつもりはない。でも身近な場所にいる大人として、少しは金を持っている大人として、彼を違う世界に連れて行きたい。姉なんだから、そのくらいの干渉は許してもらおう。