考える引き出し

小池みきがなんでも書くところ・タンゴ練習記録多め

表参道ブエノスアイレス・クリスマスミロンガ(ミロンガ13回目)

 タンゴざんまいの日。

 午後は、先輩ダンサーさん二人と別々にお茶。タンゴの話を中心にいろんな話を聞く。
 一人目の先輩が「サルサを踊る男の人は、タンゴを踊ると最初床が踏めないみたい」と言っていたことが印象に残った。私の知り合いにもサルサからタンゴにやってきた方がいて、彼もたしかに今「床を踏む」ことに苦戦している様子なのだ。サルサには、床を踏むことで相手にリードを伝える、という動きがないらしい。……ということは、タンゴをやっていた人がサルサをやると踏みすぎちゃうんだろうか? サルサ一度やってみたいな。

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 ↑ヤエチカ某カフェのアップルパイ。マヌエラ・ロッシさんも食べたんだそう。美味しかったけど重かった。

 二人目のダンサーYさんとは初対面。私の書いたアパートメントのタンゴ日記を読んで連絡をくれた方だ。ダンスのキャリアの長い方なので会う前は不安でいっぱいだったのだが、気さくにお話ししてくれてとても楽しかった。「小池さんの文章を読んでいると気持ちがいいんです」と言われ恥ずかしいやら嬉しいやら。
 ダンスの話だけじゃなくて、いろんなテーマについて考えるべき問いをいただいてしまった。あちらがどう感じたかはわからないけど、私にとってはとても意義深い会話になり、ただ感謝。

 でその後は、クリスチャン&ナオペアが代表をつとめる南青山・表参道のブエノスアイレスへ。エルネスト&パオラのミロンガ前レッスンを受ける。
 テーマはワルツ。フロアには上手い方ばかり。まあ私のレベルで行くレッスンではなかったかな。しかも、私は初めての場所・人・匂い・音などに過剰に緊張する体質なので、普段よりさらに体が硬くなってしまい本当にクソクソだった。ロベルトさんたちのところに行ったときも緊張で頭が真っ白だったし、アウェイな場所だと駄目みたい。もう少しうまくなるまでは、よそのレッスンは初心者向けを受けるかプライベートレッスンにしよう……。
 ミロンガも、全体的にベテランの方ばかりだった。男女比的には女性が圧倒的に多く、少人数の上手い男性が、上手い女性とがっつり踊るという雰囲気。上手い人だらけな上に女性は美女揃い。うーむ、これはやはり土地の持つ引力なのだろうか。
 残念ながらお誘いはなかなか受けられず、踊ったのは2タンダ。でも教室の先輩がいたのと、やはり私の記事を読んで連絡をくださっていた大先輩の女性・Sさんとも色々なお話ができて、楽しい時間を過ごせた。

 パフォーマンスは4組。クリスチャン&ナオ、ベルナルド&ユーコ、エルネスト&パオラ、エゼキエル&マナ。純粋な初見はエルネスト&パオラのみ。でも他の人たちのダンスも、こんなに至近距離で見たのは初めてだ。それぞれにとても良かった。
 エルネスト&パオラが「Este Es El Rey」で踊っていたのが嬉しかったな。最近この曲をよく聞くので。「エセナリオだけど、でもサロン的な踊り方ね」、とSさん。なるほど。

 帰り道、Yさんとの会話をずっと反芻。「書く」ということについてまっすぐ尋ねられたこと、真剣な顔で耳を傾けられたことを忘れないようにしたい。

書いていなかったぶんメモ

 レッスン53回目 12/9 2コマ
 レッスン54回目 12/12 1コマ
 レッスン55回目 12/19 2コマ

 というわけで3回分書いていなかった。19日の練習のときに、サカーダを入れていくやつがなんとかクリアできたのであった。嬉しい。

 今日は違う教室のレッスン+ミロンガの予定。ワルツの練習をするぞ!

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映画「ミロンゲーロス」

FBに殴り書きしたものを転載。

 昨日は、スタジオタンゲーラで映画『ミロンゲーロス』を鑑賞。戦前を知る老齢のミロンゲーロ・ミロンゲーラ(※タンゴを踊るパーティのような場がミロンガ。そこで粋に踊れる男女をこのように呼ぶ)38人へのインタビュー集。7〜80代から上は90代まで、もう60年も70年もタンゴを踊っているような人たちの、一癖も二癖もあるタンゴ語りがとても味わい深かった。当たり前だけど皆タンゴに一家言あって、主張の激しさが楽しくもあり、神妙な気持ちにもなり。
 多分80代くらいの人が多かったと思うんだけど、ということは皆さん、生まれは1930〜1940年くらい。歴史的背景に目を向ければ、世界恐慌とその克服の時代だ。この時期アルゼンチン国内の移民がブエノスアイレスに押し寄せ、それ以外の地方との格差がいよいよ開いていったという。目下私の教科書である『タンゴ100年史』によれば、1931年にはコリエンテス通りの拡張工事が始まり、ここから5年かけてブエノスアイレス市の様子は一新されたとか。国も都市自体もどんどこ変化しまくった、その真っ最中に生まれた市井の人々へのインタビューというわけで、大変貴重な作品であることは間違いない。上映後のトークも、短いながら面白かった。「マエストロたちのマエストロ」と呼ばれる大御所ミロンゲーロ、ラウル・ブラボー氏のおしゃべりは思わず聴きながら書き起こしをしてしまったわ。貴重。
 インタビュイーのミロンゲーロたちがティーンになり、踊り始めたのは40年代〜50年代。アルゼンチンが一番豊かだった頃。そしてタンゴにおける第二次黄金期の幕開け。そんな時代が青春とどどかぶりだったというその一点については、わずかな羨望も禁じ得ない。が、もちろんこの間には第二次世界大戦があり、戦後には軍事独裁政権時代が、マルビナス戦争が、そして経済崩壊が待ち受ける。崩壊する直前の夢の時代、日本のバブル期と同じような一種の狂乱の時代だったと言えるだろうか。どでかいキャバレーで何百人もがひしめきあいタンゴを踊る写真が何枚かスクリーンに映されたけど、すごいなあと思いつつ、その時代の“躁”感にあてられるような気持ちにもなった。豊かで楽しく、だけど“幸福感”とはまた少し違うタイプのエネルギー。
 私の印象に残ったのは、インタビュイーたちの言葉の端々に見える階層意識だった。自分たちは下町の人間であり、“上”の人たちとは踊る場所も感覚も違うんだという意地と誇り。一人のミロンゲーラが「オズバルド・フレセドは上流階級の人間が集まる場所で演奏していたから、彼の生演奏で踊ったことはない」と発言していたのにはなるほどと思った。上で書いたコリエンテス通りの工事が始まった翌年の1932年、オズバルド・フレセドは初めて大編成オーケストラを披露し、シンフォニック・タンゴのはしりとなる。まだ私あんまり個々の作曲者たちのヒストリーを追えていないんだけど、おそらくこの後フレセドは下町のクラブではあまり演奏していないのね。一方ダリエンソは下町の大スターで、彼がやってくると聞いたら町中大騒ぎだったそうな(「彼の音楽は、時速200キロで我々を追い立てる」というセリフが面白かった)。
 “上”の連中にこの味が出せるもんか、というような自意識が、当時のタンゴに与えている影響はものすごく大きかったことだろう。それはやっぱり、広い意味では政治的抵抗なのだ。共同体の中における、個人の生の主張なのだ。だからこそ彼らはオリジナリティにこだわるし、そこに「汚れ」があることを重要だと指摘する。「自分だけの踊り方」に誇りを持ち、他人のそれに注目する。私は、彼らの言うところの「スポーツ」のような、「商売」のようなダンスにも魅力を感じるし、40年代に存在した「汚れ」の再現はそもそも不可能だろうとも思っているけれど、あのプライドの持ち方にはやっぱり敬意を払いたい。それは歴史そのものだと思うから。

 踊りといえば、先日妹が東京にやってきた際、『オリガ・モリソヴナの反語法』(米原万里)を読んで感想を教えろと言ったところ、さっそく昨日こんな感想を送ってきたのだった。

「(前略)あと、言語・歴史の重要性を改めて思い知った。歴史は血肉、言語は思考のシステムそのものなんだと。そしてそれらを体現、というかあるがままをあるがままにするのが「踊り」なんだなと。それを「表現」するのがダンサー、「踊る」のが踊り子、という感じ」

 そういう意味でいえば、この映画に出てきたミロンゲーラ・ミロンゲーロたちは皆「ダンサー」ではなく「踊り子」に違いない。
 私は「ダンサー」はなれないと思うけど、これからの人生の中で、いつか「自分の踊り」を見つけたいという欲はある。70歳くらいまで頑張って踊るとして、あと40年近くあるわけだもんね。ま、そのくらいあれば、今よりもう少しマシな踊りはできるでしょう。私の課題は、緊張せずに、もっと楽しく、もっと気持ちよく踊ること……。一人のおじいちゃんが言っていた「タンゴを踊るときは愛に溺れなきゃ」という言葉は刺さったなあ。

名誉の負傷(ミロンガ12回目)

 今日は五反田のE&Aミロンガへ2回目の突撃。ユージン先生・アリサ先生が踊るというのでいそいそと。実はまだ生で二人のちゃんとしたパフォーマンスを見たことがなかったのである。
 前回行ったときはすごく男性が多かった気がしたけど、今回は女性が多め。7人ほど誘ってくれて楽しく過ごせた。しかし、2時間のレッスンを受けた後のミロンガはさすがにちょっとハードだったかも。踊っていてだいぶヘロヘロしたので悔しい。

 今回デモを踊ったのは、ユージン先生たちのペアと、昨日会ったばかりのマーシー&マギ先生、そしてタンゲーラのミロンガで踊ってくださったセバスチャンさん。セバスチャンさんはよくタンゴのイベントの司会などしている方。ダンサーとして活動しているわけではないものの、ごくまれに人前で踊る機会を作るんだとか。
 トップバッターはそのセバスチャンさんたち。お相手は直前までシークレットで、現れたのはJoeTangoのMaikoさん。虎のマスクをかぶっての登場だったので皆湧く。
 私は、MaikoさんのダンスはJoeさんとの組み合わせか、あるいは発表会での生徒さんとのパフォーマンスしか見たことがなかったので、セバスチャンさんとのダンスは新鮮だった。セバスチャンさんの踊り方はあたたかくて見ていてほっこりする(踊ってもらうときもほっこりする)。Maikoさんもニコニコしていて可愛かった。ダンスって、相手が変わると雰囲気もまったく変わるよなあ、と改めて思う。
 マーシー先生たちはピアソラ。前に豊洲で見たのと同じパフォーマンス。前より近くで見られたので嬉しい。マギ先生のしなやかさが羨ましい……。
 最後がユージン先生たち。曲はロマンティカ・ミロンゲーラのBesos brujos。発売後、すぐ購入したお気に入りの曲だったのでとても気分が上がった。このノリノリな曲を、この二人で見られるなんてすごく嬉しい。
 二人の踊り方は粋。無理をしていなくて、だから表情にも動きにも余裕があって、音楽やその場の空気を楽しんでいるという感じがするのだ。可動域のいっぱい残された遊び心のあるあの雰囲気、いいなーと思う。
 アリサ先生は、真っ赤なドレスがとても似合っていた。踊りながら時々髪をかきあげる(演出として)のもイカす。ユージン先生はやはりあのフォルムが問答無用でカッコいい。強そう。

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 そのユージン先生が踊ってくれたのも、今回のミロンガの良き思い出。ワルツのタンダで2曲……。アクセルさんのときといい、なぜ憧れのダンサーさんと踊るときにワルツに当たるんだろうか。
 まあでも、前に踊ってもらったときよりは断然マシな踊り方ができたと思う。ドキドキヒヤヒヤして足がもつれたりもしたけど、今回もおんぶにだっこで踊らせてもらった。ユージン先生からは「うん、ちゃんと(練習)やってるね! その調子で頑張って!」とのコメント。次に「あ〜、サボったねこれは」と言われないように練習を続けよう……。

 帰ったら、右足に新しい引っかき傷が大量にできていた。アクセルさんによればこれは「名誉の負傷」なんだそうだ。右足よ、もう少し耐えておくれ。

Renovacion Criolla(ミロンガ11回目)

 今日はマーシー先生のバースデーミロンガへ。アルゼンチンから呼んだタンゴバンド、「Renovacion Criolla」による生演奏タイムもあるとか。生演奏ミロンガはとても好き。曲はこんな感じ。

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 こういうのを粋に踊るのって難しいよね……と思いつつ下北沢へGO。会場は、北沢タウンホールの12F。下北はちょこちょこ来てたけど、こんな場所があったとは知らなんだ。
 人数は、大混雑というほどでもなく寂しい感じでもなく、わりと良い具合の混み方だったように思う。到着してすぐマギ先生と遭遇、「え〜っ、忙しそうなのにありがとう〜!」と笑顔で迎えていただく。その後マーシー先生も見つけて近寄って行ったら「え〜っ、忙しそうなのに〜っ!」とまったく同じセリフを言われる私。そして、ユージン先生の真似をして「小池センセイ」と言いたがるマーシー先生に「次から罰金とります」とわめく。
 踊りの誘いはそこそこあり、体が冷えない程度にはずっと踊ることができた。ちょっと準備運動が足りなくて体が硬かったかな。誰と踊るときもそんなにビクビクしないでいられたし、勇気を持って誘いを断ることもできたので、少しずつミロンガにも慣れてきた気がする。
 オーチョを理想の形に近づけたいなあと思って、違う人と踊る度になるべく意識した。明日レッスンがあるのでこの感覚のまま持ち込みたい。

 後半にはマーシー先生たちによるパフォーマンスも。マギ先生の服が可愛かった。持ち上げられていく度に、ホットパンツがさらに短くなるんじゃないかとヒヤヒヤしたけども。
 「Renovacion Criolla」の演奏は、あたたかい感じでとてもよかった。踊るのはやっぱりちょっと難しめだったかもしれない。踊ってくれたマーシー先生も「これ難しいな」と笑っていた。ギターの音ってタンゴだとリズムとりづらいのかな。プグリエーセとかコロールタンゴが踊りやすい理由もなんとなくわかる。でもみんな、それぞれ工夫して楽しく踊っていたんじゃないかと思う。
 お酒も少しだけ摂取。仕事もあるので、ラストタンダまでは粘らずその直前に退出した。夕飯は凪のラーメン。ミロンガあとのラーメンは美味い。