考える引き出し

小池みきがなんでも書くところ・タンゴ練習記録多め

爆発日記

 それがあまりに身勝手な基準にもとづくジャッジだということは重々わかっていても、私はやっぱり、ある種の浅はかな会話に我慢できない。子どもの頃からそうだった。相手のふとした言い回し、ちょっとしたこちらに対する無視の仕方、些細なトーンの変化などから、私はいつもそのやりとりにおける一番醜かったポイントを探り当て、あるいはそうだったと妄想し、それを目撃してしまった自分に腹を立て、そうさせた相手を激しく恨む。自分がその会話に参加していようがいまいが、その激しさはたいして変わらない。それを耳に入れ、味わってしまったのであれば、私にとっては同じことなのだ。
 こういう思い込みの激しさ、許す許さないのジャッジの強烈さが世間の平均値を著しく逸脱していることも、わりと早くから自覚はしていた。なぜなら父が私とまったく同じタイプのかんしゃく持ちで、子どもの目から見てもなかなか変だったからである。のちに彼が頭と体を酷使しすぎて死んだ後、私はだから「自分はそうならないように気をつけよう」と思った。それから20年あまり、私はずいぶん「気をつけて」いると思う。私は父と違って人前で簡単にブチギレたりしないし、接待で酒を飲んだりもしないし、徹夜したあとは丸一日寝る。養うべき子どももいないのだから、生活のコントロールは簡単な方だ。ただし、どうやっても「ある種のことが許せない」気質は押さえることができなかった。
 私は、私のどうしようもないこの気質を刺激するあらゆる事象や人間に憤りながら生きてきた。その昔、私はよく母を相手に、(父がしていたように)何時間でも「その会話が許せない理由」を話し続けたものである。あの人は笑いながらシンショーという言葉を使った、あの人は私にこう言わせたくてこう言ったんだ、というようなことをいつまでも話し続けるのだ。母は毎度「みきは全身の表面に神経がそのままむき出しになってるみたいに敏感すぎる」と言って呆れていた。実際私の肉体は、人が気にしないような小さな音や、かすかな臭いや、ちょっとした光にも異常に敏感である。そしてそれの延長に、「浅はかな会話が嫌い」という性質もたぶんある。大人になり母と毎晩話すようなこともなくなり、そもそも毎日他人に愚痴を何時間も言うほどの体力もなくなった今、頭の中にたまりにたまった膿はひたすら、私の指先からキーボードを通じて吐き出されるのを待っている。

 大人になれば、子どもの時以上に、くだらない会話に遭遇する機会はいくらでもつくることができる。私のレベルが低い故に、そういった場は行く先々に現れ、RPGのフィールド上にいる雑魚キャラのように私をつまづかせてきた。私は残念ながら白魔法が使えず、そういった戦闘で負った傷を癒やすのが下手だ。そこで、傷ついたときはフィールドを離れ、HPやMPを回復させるもののある場所を探して移動することになる。
 先日は、その数日前にあった浅はかな会話のことを何回も反芻しているうちに、その日の予定の全てが嫌になった。もろもろ原稿を片づけたり経費の精算をしたりするつもりだったのに、何もかもがどうでもよくなり、気づいたら昼過ぎには荷物をまとめて外に出ていたのである。行きつけの喫茶店で昼飯を食べた後、私はとある芸術家の記念館に行くことにした。その人が良い人間だったかどうかは知らないが、浅はかな人間でなかったことは確かだと思った。
 電車を何度か乗り換え、小田急線に乗って川崎市まで向かった。その前日には9時間近くも寝たのに、どういうわけか異様に眠かった。空には雲が多く、しかし雨が降る気配はなく、天は全体がぼんやりと白く光っていた。その光を見ながら、私はずっと電車の端の席で船をこいだ。下北沢の辺りでは本格的に寝入っていたと思う。そして、かつて住んでいた経堂駅にさしかかった辺りで急に目覚めた。眠気が飛んでいた。
 経堂には、2015年の4月から6月までの三ヶ月間住んだ。奇妙な三ヶ月だった。この時期私はたくさんの人と新しく知り合い、濃密に交際し、そのうちのほとんどと三ヶ月で離ればなれになった。男に押し倒されてあわや貞操の危機というシーンもあったし、4人の男女から一晩中、代わる代わる電話がかかってきて、喉をからすまで彼らの相談にのるということもあった。よく酒を飲んだし、よく徹夜をした。大概は、浅はかな会話で時間がつぶれた。その時は、それが好きになれるような気もしていたのだ。しかしそれは無理だった。私に貞操の危機を味わわせた男と、それとは別の件で大喧嘩して消耗した日の夜は、経堂から下北沢の教会まで歩いていって、そこで神に祈った。浅はかなあの男と、同じくらい浅はかな私の両方を許す勇気をください、と。
 そんなことを思い出しながら、目的地の駅で降りた。そこからさらに1キロほど歩いて、緑地公園の中を突っ切って記念館にたどり着く。千円を払って中に入った。休日だから、人はそこそこ多い。
 夜という言葉のつく有名な絵画の前で、中年の男女カップルがわりと大きな声で雑談を交わしていた。こういう絵を見ると考えちゃうよね。こういう絵って、幸せな気持ちでは絶対描けないじゃない。いったいどんな気持ちで描いてたかって、考えちゃうんだよなあ、俺。つらい気持ちだったんじゃないかなあって。嬉しそうな声で男は喋る。それに対して女も言う。えーそうかなあ、案外前向きだったんじゃない? 前向きって何、この絵も高く売れるぜ、とか? やだあ。でも○○くんって面白いこと言うのねえ。いやー、俺って結構考えちゃうんだよね。
 ラブラブで微笑ましい会話なのかもしれない。が、その日の不機嫌な私にとっては我慢ならない雑音だった。正直に言うと、心の中で口汚く罵ってしまった。どういう感想を抱こうが勝手だが、それをこういう展示の場で、周りの人間にも聞こえるように話そうとする人が私は嫌いなのである。そして、美術館の静寂や、夜や、他人の幸不幸の扱い方が下手な大人のことも、基本的に好きになれない。機嫌が悪いときは特に。
 私は彼らから逃げるようにして奥の部屋に進むと、「樹人」という作品の前のベンチに座りこんで、しばらく彼あるいは彼女と一緒にいた。それは私に、『火の鳥』未来編に出てきた人間のなれの果てである植物を思い出させた。柔らかい、水気を感じさせる曲線。妊婦の腹と、その上に乗った張った乳房の組み合わせのようなシルエット。
 カメラ代わりに持ってきていたスマートホンを館内のWi-Fiに接続し、少しだけTwitterを見る。インフルエンサーだけを集めたリストの中では、若いインフルエンサーが「どんどん他人を不愉快にさせよう。それがブランディングになる」「一日に○回更新しよう」とつぶやいている。言葉の意味はわかるものの、頭の奥に文章がまったく入ってこない。
 次に「動物」というタイトルの彫刻を見たときは少し驚いた。初めて見る作品なのに、私が昔から常々夢に見てきた生き物と同じ顔、同じ手足をしていたからである。私がこれをむかーしどこかで見かけて頭にすり込んでいたのかもしれないし、作者と私が同じようなものからインスパイアされたのかもしれない。
 作品を一通り見て出口にたどり着いてから、もう一度、「愛」という作品を見に通路を戻った。それは白いかたまりが二つ、向かい合って寝そべる人間たちのように置かれているという立体作品で、樹人と同じ、ふっくらとした曲線を中心につくられている。彼らのようすは布団の中でくすくす笑い話を交わし合っているようでもあり、向かい合って死んでいるようでもある。豊かな体を持った男女のようであり、首なし死体が二つ、という趣もある。今思えばそれは、ローストされた七面鳥のようでもあった。柔らかそうだが、なんとなく酷い印象もあるのだ。なのに私は、それを見て微笑まずにいられなかった。
 一通り見たあと、展示エリアの外にある書籍の閲覧コーナーで、作者やその家族の書いたものをいくらか読んだ。もともと何冊かは読んだことがあったが、読んでいないものもまだまだ大量にある。熱意のこもった、まっすぐな文章たち。そこには「バズ」への意識だとか、小難しい概念を概念のままもてあそべることに対する優越感だとか、そんなものはもちろん微塵もない。私は、展示室にあった写真を思い出した。作者が自分のオフィスの、天板が曲線になった机の上で、大きな紙に何か書いているところを写したものだった。私はもう久しく、あんな風に大きな紙に何かを書くということをしていない。猛烈な恥ずかしさがわき上がる。
 小中学生や高校生の、美術館に対する感想を集めたファイルもあったので見た。芸術系の専門学校の生徒たちは、さすがにこましゃくれたことを描いていた。一緒に添えられている絵で、どれだけその子が絵に対して真剣なのか、そして絵を描くことを通して自分の魂を見ているのかがすぐにわかる。ある学校では「自分を表現しろ」というお題がその絵に対して出たらしく、みなそれぞれ惑っていた。ここで「とりあえず、猫が好きだから猫を描いてみました」と猫耳の漫画絵を描いていた女の子も、その猫耳の少女というモチーフと自分の内面がどう結びついているのか、いつかもっと掘り下げて考える日が来るのだろうか。
 売店の前では十人ほどの男性団体客が、大はしゃぎでガシャポンを回していた。その声も気に障った。だけど彼らが去ったあと、私も売店に入って、PCに貼り付けられるようなシールを買った。そして緑地公園の中を、引き返すために歩き始めた。空は相変わらずうすら白くて、日差しはそこそこ強く、ニットセーターの中はあっという間に汗ばむ。公園の芝生の上では、無数の家族連れがはしゃぎ回っている。公園の端に備え付けられた小さな図書ポスト(人はそこから自由に本を借り出すことができる。本を持ち帰る場合は、新しい本を入れる)を開けている男性がいる。並ぶ書籍たちの中で、私の目に「ヘレン・ケラー」という言葉が飛び込んでくる。
 汗まみれになりながら駅までたどり着く。駅前のツタヤで新刊書の棚を見たが、ビジネス書のタイトルがやはりまったく頭に入ってこないのだった。嫌われないこと、稼ぐこと、集中すること、安心すること、社会において特別な存在になることの重要さと、それを手に入れるための「簡単で本質的な」方法を示すための本たち。小説よりも、美術の写真集よりもずっと売れるもの。なんで私は、これらを好きになる余裕のある人生を送れなかったんだろう、そんなふうに鬱々と考えていた日々もあったことを思い出す。今なら考えずとも分かる。それを選ばなかったし、選ぶ気もなかったからだ。
 また電車を乗り継いで、地元に戻る。帰りの電車の中では『ゲーテとの対話』(エッカーマン)を読んでいた。

「こうして」とそのとき彼はいった、「いわゆる趣味がつくられるのだ。趣味というものは、中級品ではなく、最も優秀なものに接することによってのみつくられるからなのだ。だから、最高の作品しか君には見せない。君が、自分の趣味をちゃんと確立すれば、他のものを判定する尺度を持ったことになり、他のものを過大でなく、正当に評価するようになるだろう」

 地元に着いたとき、まだ夕方の時間帯だったので、そこからさらに図書館に行って、本を何冊か借りた。「樹人」を、「動物」を、「愛」を作り出したパッションを、文章は半分も説明しない。伝えない。私はでもその文章たちにしがみつき、草むらの向こうで行われているセックスをのぞき見するような卑しさで彼の内面を覗こうとする。おこぼれにあずかろうとする。なぜそんなことをするのだろう。
 言葉にこだわり、言葉を欲しがり、言葉を吐き出そうとしまくる。畑も耕さず、魚も釣れず、服も作れず、コンクリートを作ることもできない私は、ただただそうやって脳みその中で転げ回ってばかりだ。それ自体の浅はかさ、滑稽さにだって時々我慢ならない。なのにそんな自分が何より大切なのだ。ある種の言葉の往復を、我慢ならないものだと切り捨てようとする自分さえ。私は自分を絶対的に正しいとは思わないが、絶対的に正しい自分というものが自分の中にいることは肯定してしまっているのだ。

  芸術は爆発だと、もう生きてはいない彼は言う。言葉の芸もまた芸術だろうと私は素朴に思う。しかし文章は、読まれるその場では爆発しない方がいい。最後の一行を読み終えたあと読者の目を離れて爆発することが予想できるもの、そして読者の爆発を誘引するものであってほしい、というのが私の趣味だ。
 そんな文章を書くためには、私自身が爆発していては駄目であろう。そうわかってはいるはずなのに、私は日常の中でつまらない爆発を繰り返す。独断と偏見に満ちた基準により浅はかだと判断したやりとりの数々によって。その後私は、美術館や図書館を通じて反省するのだ。もう少し、爆発自体は我慢しようと謙虚な気持ちになる。ねずみ花火のようなこれらを束にして、巨大な爆弾にして、自分もろとも吹き飛ばす兵器として足元に設置しなければ。浅はかだと思うもの全てを吹き飛ばせそうーーそんな期待を抱かせるとびきりの爆弾を、私だって作り続けているつもりなのである。

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