考える引き出し

小池みきがなんでも書くところ・タンゴ練習記録多め

発表会

 発表会、と聞いて思い出すのは5歳の時のことだ。当時ピアノを習っていたので、ときどき発表会があったのだ。
 そこで何の曲を弾いたか忘れたが、二小節くらいすっ飛ばして終わらせてしまったような記憶がある。天井の高い空間が好きなので音楽ホールに入れるのが嬉しかったこと、よそ行きのワンピースを着るのが楽しかったことも覚えている。だが親や先生に褒められたかどうか、なんてことはまったく覚えていない。多分、そんなことはあまり求めていなかったのだろう。ちなみに私はピアノを弾くのはそんなに好きじゃなかった。
 それから四半世紀が過ぎた。そして、久しぶりに発表会という場に足を踏み入れた。とあるアルゼンチンタンゴ教室が開催している大きな発表会である。私の教室の先輩も出るというので、ご招待をもらって見に行ったのだ。
 小ぎれいなホールで、タンゴの先生たちが、それぞれ自分の教室の生徒たちと踊るのを見る。かなり上手い人もいるし、先生に引きずられてどうにかこうにか踊り終わる人もいる。基本的には出たい人が出演料を払って出るものなので、レベルが揃っているわけではない。
 アナウンスを聞いていたら、「○○さんはこの発表会常連のおひとり」とか「××さんはこの発表会の顔とも言える存在」とかいった言葉がちらほら出てきた。
 それで思い出したのが、社交ダンスの方でプロをしていた知人から聞いた話。社交ダンスの世界では、発表会は重要なイベントである。好きな人は、そういう催し物がある度に、必ずといっていいくらい出演するらしい。一回の発表会ごとに、軽く100万円程度の費用がかかるというのだから驚く。内訳は、発表会の出演料、チケットノルマ、ダンスの振り付け料、発表会で踊ってもらうことに対する御礼代、本番に向けてのプライベートレッスン代、新しい衣装やアクセサリーや靴など。当然、こんなことをホイホイやれるのは、ほとんどがお金持ちのマダムである。
 「先生と踊りたい、かつ目立ちたいっていう気持ちがすごく強いんですよ、そういう人は。ダンサーからしても、そういう人を一人二人キープしておくだけで、金銭的にはものすごく楽になる」と知人は言っていた。
 タンゴは、社交よりはもろもろの相場が安い。とはいえ、プライベートレッスンを受ければ1時間で1万2万飛んでいくし、同じようにチケットノルマはあるし、衣装なんかも凝ろうと思えばいくらでも値は張る。4、50万くらいかける人は珍しくないようだ。お金をかけている人は、フロアに出てきた時点で一目瞭然という感があり、なんだかまぶしい。
 発表会が終わったあとは、「花束を渡す時間」と、「写真撮影の時間」がある。発表者の友人や家族が、みんなの前で発表者に花束を渡す。教室の仲間たちで集まって、いろんな組み合わせで写真を撮る。それが、ホール中で延々30分近くも行われるのだ。
 「みんな、この日のために時間もお金もうんとかけてきているんです。だからみなさん、発表した方々のことをうんとチヤホヤしてあげてください」。主催のダンサーがそうアナウンスする。実際、客はみんな、出演者たちを「うんとチヤホヤ」する。至る所でスマホがかかげられ、フラッシュがたかれ、出演者や先生ダンサーたちがポーズをキメる。お疲れ様、すごかったよ、感動したよ、泣けたよ、綺麗だったよ。大金をかけて、長い時間を使って、うんと勇気を出して、たった3分ほど踊った人々。
 ホールを埋め尽くす「チヤホヤ」の熱気にまみれながら突っ立っていたら、私がいつも教わっている先生が話しかけてきた。
「発表会って、日本独自の文化なんだよね」
 アルゼンチンの教室にはこういう機会ってないんですか、と聞くと彼は笑って頷く。
「ない。ミロンガがあってそれで終わりだから」
 たしかに、アルゼンチン人がこうやってみんなで褒め称え合う姿はあまり想像ができない。
「日本って、本当になんでもアレンジする国だよね。そこが面白いところだけど」
 そう言い残して先生は去る。なぜアルゼンチン人には発表会が必要なく、日本人には必要なんだろう? そんなことを考えていると今度は、今日出演をした美しい先輩が、私の肩を抱き寄せて囁いてくる。
「次はみきちゃんの番だからね」
 ふたたび考える。私は発表会を必要としているのだろうか。発表会での3分のために30万、ポンと払うことができるだろうか。終わったあとに「チヤホヤ」してもらうことに喜びを見出すだろうか。ひとつのパフォーマンスを完成させること、緊張を乗り越えてそれを大勢に見せることに、努力する熱意を持てるのだろうか。わからない。
 ただこう思った。もし出ることがあったら、今度は二小節飛ばしたりしないでやりおおせたいものだと。少なくとも私は、ピアノよりはタンゴが好きだ。
 ホールにはいつまでも、女性たちの笑い声が反響していた。