考える引き出し

小池みきがなんでも書くところ・タンゴ練習記録多め

45とか

9月17日(月) 

 事務作業に追われる一日。請求書やらメール返信やらなんやら。freeeがあってくれて本当に助かっている。これがなかったらと思うとゾッとする。事務作業の他には原稿の構成案づくり、下書きなどひたすらしていた。夜は豊洲シビックセンターのミロンガへ。
 と忙しかったのだが、アニメ「ボールルームヘようこそ」の9〜11話も合間時間を使って観た。天平杯編、面白い。まこちゃんの覚醒シーンなどは、プロダクションIGの演出力がうまくはまったように思った。「すごいルーティンなんだ!」のシーンはちょっと泣けた。 3時就寝。

9月18日(火)

 昼、院生書評家の三宅さんとタイ料理ランチ。島本理生の『ファーストラブ』についてなど本の話をしまくる。
 私は、直木賞を受賞するなら『ファーストラブ』より『アンダースタンド・メイビー』の方がよかったな、と思う。島本理生にはとことん神話を生きてほしい。ヒロインがいろいろ理解しているようでまったく何にも気づいていない、いや気づこうとしないあのイライラさせる感じこそ、島本理生の唯一無二のトーンだから。そこを無理に解体しようとしなくてもいいのに、と思うのだ。桐野夏生の言うように、「優しい理解ある夫がいて救われる」なんてことは、作者も『ファーストラブ』のヒロインも信じていないだろう。
 食後も二人でジュンク堂をうろうろし、引き続き本の話をする。ひさびさに人とこんなに本の話ばかりした。楽しかった。
 夕方は歯医者。夜、D案件の構成案を編集者に送付。連載の開始は10月からになりそうでちょっとホッとする。
 夜中までR案件の原稿を書くもまったくうまくいかず。

9月19日(水)

 「新潮45」の「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」特集に対して新潮社出版部文芸のツイッターアカウントが反応しており、ツイッター界隈(ツイッター界隈ってなんだ)が騒がしいことに。それを横目で観つつ午前中は図書館で調べ物。「中央公論」「正論」などの言論誌に目を通す。「正論」の巻末の座談会風読み物(実際にやっているわけじゃないだろう)の、あまりの下品さに疲れた。

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 図書館のあと、本屋で「新潮45」を書い、家で1時間かけて特集を読みおえる。簡単に感想を書いておく。

・リード……編集部(のはず) 

8月号の特集「日本を不幸にする『朝日新聞』」の中の一本、杉田水脈氏の「『LGBT』支援の度が過ぎる」が、見当はずれの大バッシングに見舞われた。主要メディアは戦時下さながらに杉田攻撃一色に染まり、そこには冷静さのカケラもなかった。あの記事をどう読むべきなのか。LGBT当事者の声も含め、真っ当な議論のきっかけとなる論考をお届けする。

 とのこと。リードで「見当はずれの大バッシング」と書いている以上、新潮45編集部の考えはあくまでこうなのだろう。「この記事のことを読者はこう読むべきだ」という意識を持って論考を載せているらしいこともよくわかった。

・LBGTと「生産性」の意味……藤岡信勝

 大切なのは婚姻制度であり、それを壊そうとする「勢力」は許しがたい、という話であった。徹底的にそこフォーカスなので脱力して終わる。

キリスト教イスラム教の社会と異なり、日本社会はこの人たちを迫害した歴史はなく、同性愛などには寛容な社会だった。今もそれほど差別されているといえるのだろうか。

 これを当然の前提のように思っている人が多いのが不思議だ。貴族・武士階級の男色文化や江戸時代の陰間茶屋なんかだけを見てそう言っているんだろうけど、まず戦国・江戸時代と戦後〜平成の今では、セックス・恋愛・結婚の概念や、それを作り出すシステムが違い過ぎるということから考えてほしいものだ。ちなみに明治初期には鶏姦(男色)を処罰対象にした法令があったし、大正〜戦後に多く刊行された「変態雑誌」には、同性愛者の肩身の狭い思いや苦悩がいくらでも吐露されている。

・政治は「生きづらさ」という主観を救えない……小川榮太郎

 この人もとにかく婚姻制度にめちゃくちゃこだわっており、LGBTの存在を認めることがただちに婚姻という概念を破壊すると言わんばかりである。いくらLGBTがその辺にいたって異性と結婚したい人はするっつーの。私だって早くいい男と結婚したいわい。苗字変えたって戸籍変えたっていいタイプの保守女ですぞ、私は。
 痴漢云々、のあたりは何も考えずに書いていることが伝わってくるので無視。私がヘーッと思ったのは以下。

 政治は個人の「生きづらさ」「直面する困難」という名の「主観」を救えない。
 いや、救ってはならないのである。個人の生ー性ーの暗がりを、私たちはあくまで個人として引き受けねばならない。その暗がりに政治の救いを求めてはならず、政治もまた同調圧力に応じてふわふわとそうした動きに寄り切られてはならない。

 随分考え方がポジティブなんだな、と思った。これではまるで、政治が個人の根源的な生きづらさを救う力をちゃんと持っていて、それをセーブしなければいけないような感じだ。私には到底そうは思えない。どれだけ政治家が生きやすい社会を作るために心血注いだとしても、それでも人間の宿命的な苦しみ、絶望、滑稽な悲喜劇は残り続けると当たり前のように信じていた。人間なんて宇宙が消滅するまで苦悩し続けるに決まってるんだから安心して救おうや、と思う私はネガティブすぎるのだろうか? 同じ三島好き・暴露したら引かれるような性嗜好持ちの変態文学好き同士でも、この人とはまったく気が合わなそうである。

・特権ではなく「フェアな社会」を求む……松浦大悟

 このエッセイ、どこまで計算で書いているのかが汲み取りにくい。私が彼の立場だったとして、相当杉田水脈氏に反感を抱いていたとしてもこういう文章を書くかもな、と思うところがちょこちょこあった。
 全体的に賛同はしづらいし、「LGBTは強い国家を作る」の節には「勘弁してくれ!」という気持ちになったけど、いくつかここは大事だなと思うところもあった。

あまりにも変革のスピードが速すぎると、人間の感情はついていけません。地方に住む多くの高齢者はLGBTという新しい概念に戸惑っています。これまで自分が培ってきた価値観を否定されたような居心地の悪さを感じています。

世間的にはLGBT=リベラルと思われていますが、それはマスコミが作り上げた虚像です。むしろ多くのLGBTは保守です。

 私は地方出身なので、このあたりはよくわかる。松浦氏は高齢者と書いているけど、高齢というほどではない中年層や若年層ですら、大都市圏の感覚に置いていかれているのが地方の実情ではないかと思う。私の弟も、ちょっと目を話すとアノニマスポストとか見てしまっているので断絶感がすごいのだ。
 現代の価値観の変化のスピードは、恐ろしく速い。私なんかは情報産業の世界にいるからまだなんとかついていけるし、「ついていけていなくても、ついていけているフリをしておいた方が得だ」というインセンティブがあるから、自然と言動がそこにチューニングされていくところもある。でも私のこれは「1000万人都市東京の、情報産業界という極めて特殊なムラにいるせいで出来上がっている状態」にすぎないことを忘れてはいけないのだ。「ついていけない」層へのフォローは急務だと思う。

・騒動の火付け役「尾辻かな子」の欺瞞……かずと

 印象に残らなかった。

・杉田議員を脅威とする「偽リベラル」の反発……八幡和郎

 八幡氏が杉田水脈を評価してるなんてやや驚き。

杉田氏自身もLGBTに偏見を持っていないと名言しているのだから、差別主義者だと批判する余地などない。

 偏見とは常に自覚をともなうものではないという認識を、どうしてこれだけ勉強している人が持っていないのだろう。いや持っていないわけがない、わざとわからないふりをしているんじゃないか、と昔からいろんなひとを疑っている。
 最後の方の、「杉田氏へのバッシングは、自分の言いたいことを我慢している人たちの杉田氏への一種の嫉妬なのでは」という一文には一理ある。私も、杉田氏に限らず誰かが暴言で炎上しているとき、いつもこの手の嫉妬の香りを感じるからだ。人間は嫉妬を煽ることができる。政治家や文筆家など、言葉を使う人間の多くはある程度そこに自覚的なはずである。その辺の機微だけつかんでおいて、「差別のつもりがなければ差別じゃありません」なんて本気で信じられるわけがないと思うんだけど。

・寛容さを求める不寛容な人々……KAZUYA

 印象がない。

・「凶悪殺人犯」扱いしたNHKの「人格攻撃」……潮匡人

杉田バッシングに興じるNHKらは、言わば現代の「偽善な律法学者、パリサイ人」である。

 なんか笑った。パリサイ人を出すほどの話とも思えないが、NHKが嫌いなのは伝わってきたので頑張ってほしい。

 ……とまあこんなところだった。新潮45編集部に関しては人づてにちょこちょこ噂だけは耳に入ってきていて、「何を言っても無駄そう」という印象を持っている。社内での評価がどうなのかはよくわからない。300人以上いれば一枚岩ではないだろうと想像がつくし、個人的に付き合いのある編集者もいるが、こういう雑誌を「多様な言論」という考えの元に野放しにできる会社なんだな、という印象が今回強まったのは確かである。どういうアプローチでこれを乗り越えていくべきなのか、考えていきたい。

 夜はタンゴのレッスン。帰って4時までRの原稿を書く。