考える引き出し

小池みきがなんでも書くところ・タンゴ練習記録多め

たまには本の話も

 仕事や勉強と無関係の読書が減っている、これはよくない。週に一冊でも、ただ楽しみのためだけに読みたい。

 というわけで最近読んだものの話。一冊めは宮尾登美子の『伽羅の香』。

伽羅の香 (中公文庫)

伽羅の香 (中公文庫)

 

  私は高校生のときに宮尾登美子に大ハマりしたことがあって、その時には『きのね』と『一弦の琴』、『櫂』、それから随筆である『手とぼしの記』が好きだった。『序の舞』と『伽羅の香』は、読みたかったのに読めずに終わった作品。今回はひとまず『伽羅の香』を。面白かった〜。読み応えたっぷり。

 これは「香道」を扱った物語だ。ヒロインは、戦前に生まれ、戦後に香道の興隆のため尽力した裕福な生まれの女性葵。彼女にはモデルがいて、実際に香道御家流を再興させた22代目宗匠山本霞月氏という女性がそうなのだという。

 山本氏がどうだったかはわからないが、葵はとにかく超不幸体質で、作中、とにかく次から次へと親しい人が死んでいく。そしてその度に、終わりなき悟道と呼ばれる香道に気力を注ぐことで、自分を奮い立たせていくのだ。「鎮魂のため」に香道をしている面が彼女にはあり、この物語における”伽羅の香”はさながら死の香りのようでもある。でも、彼女を覆い尽くしていたその死の香りが、最後の最後に違うものとなる。葵の生命の、においたつ息吹として次世代に渡されていく。そこが清々しくて良い。最後のシーン、私は三重の山奥の、明け方の炭の匂いをかいだ気持ちになった。

 しかしこの、最後のひとふんばりの手前に彼女を襲う打撃というのが本当にすごい。容赦なさすぎてけっこうヒエッとなる。宮尾登美子はもともと、ヒロインを痛めつけることにかけては容赦がないのだが、葵はそのなかでもかなりコテンパンにされている方ではないだろうか。まあ、それでも「実家がそんなに金持ちならいいじゃないか」という視線は現代には特にありそうだけど。

 ともあれ、本作のいちばんの魅力は、やっぱり香道の世界の底知れなさ自体だろう。私は香道にはまったく詳しくないし、香道をたしなむために必要な古典文学の知識にも乏しい。なので本当に雰囲気でしか味わえていないのだが、それでも香道を猛烈に魅力的だなと感じた。機会があったらぜひやってみたい。

 作中、香道に関して「(香木を薫きしめて香を楽しむという行為は)西洋の香水使いのように進化してもおかしくなかったのに、それを先人たちが文学とかけあわせることで高尚な道にしたのだ」というような説明がされるところがある。香道は茶道や華道以上に「概念の遊び」であるらしい。茶も花も目には見える。でも香りは目に見えない。目に見えないものを必死で手繰り寄せる、そのツールとして”言葉”をふんだんにつかう。

 香りを味わうことを、香道では「聞く」という。実際、音楽的なセンスが必要な分野ではないか、と言う人もいる。そこになんらかのトーンを見出し、全体の構成を感じ取り、源氏物語古今和歌集といった古典と織り合わせることで、どうにかその場にいる人たちに通じる旋律へと、言葉へと変えていく。そういう作業が、香道の中では延々と続けられている。ハマりこんだら大変なことになるけど(というか庶民が続けられる趣味ではない)、でもやっぱり手を出してみたいよね、読み書き好きな人間としては。

 

 それから、小林秀雄の『私の人生観』を再読。

小林秀雄全作品〈17〉私の人生観

小林秀雄全作品〈17〉私の人生観

 

 菊地寛ってやっぱり面白い人だよなと思った。幽霊にのしかかられて「君はいつから出てるんだ」ととっさに尋ね、「三年前だ」と返されたことで一応満足しているところなんか最高だ。それについて小林が「これぞリアリストというものだ」と言っていることも含めて笑える。

 「告白が好きな奴は人間的には面白くない、逸話が多い人間は面白い」という表現なんかには、あいかわらずしゃらくさい言い方だぜと反発を感じつつ、まあでも実際そうだよなと思ってしまったり。私は告白人間になっていないだろうか(自信ゼロ)。

  

 そんでもって、積んでいた島本理生の『ファーストラヴ』もようやく、満を持して読んだ。

ファーストラヴ

ファーストラヴ

 

  島本理生作品は過去すべて読んでいる。「私のためのドンピシャの小説を書いてくれる人ではない、でもとても重要な存在だから見続ける」と決めている作家の一人だ。あしかけ13年、ずっと追ってきている。「野性時代」の島本理生特集号だって買った。

 そんな私にとっての今作。率直に書くと、今までの島本作品の中で一番心が動かなかった。長年こだわっていた、心理学というアイテムの使い方がどんどん歪になっている気がする。それから「善人」の使い方も。心理学は、そもそも小説で扱うのが難しい題材だとも思うんだけど。

 桐野夏生氏が直木賞の選評で書いている通り、島本氏は、”それ”が本当に救いにならないことをわかっているはずだ。それをあたかも救いのように書いたのは「エンターテインメントに転向した」という意識からなのかもしれない。でもやっぱりそこに私はちぐはぐさを感じずにおれない。「それで誰が救われたのか」という問いが私の中にはずっと浮かぶ。そういう意味での「わかりやすさ」、読後感のよさだったら『アンダスタンド・メイビー』の方がはるかに優っていたように思う(ああ、あのとき池井戸潤とかぶってなければ)。

 私が一番好きなのは(not優れている)、実は二作めの『リトル・バイ・リトル』だ。これは野間文芸賞を受賞し、芥川賞にもノミネートされている。そのときは石原慎太郎以下大御所に一蹴されており、山田詠美などは「好感は持てる。お行儀がいい。でも小説に好感なんて不必要でしょ」みたいなことを書いていたっけ。

 しかし、2010年代も末になって改めて思うんだけれども、「お行儀のいい小説」も育てておくべきだったんじゃないだろうか。「お行儀が悪くてこそ作家でしょ」という山田詠美先生みたいな価値観は私もわかるんだけども、やっぱりもう、中上健次が求められる時代ではないというのも事実。お行儀がいいといっても、島本作品にはそれなりに狂ってるところがあると思うんだけど。

 『アンダスタンド・メイビー』のときの、浅田次郎先生の評を思い出す夜であった。

 

 んでその『ファーストラヴ』のあとにこれ。RTで流れてきた『さよならミニスカート』。前にもねとらぼの記事か何かで予告を見たな。

ribon.shueisha.co.jp

 性別違和の話かと思ったら全然違って、がっつりどっぷり「性差別」についての物語だった。「りぼん」が、ここまで直球でこのテーマを扱う時代が来るとはなんとも未来であることよ……と、『ご近所物語』世代は思うのでありました。

 で、中身について。1話の段階であれこれ語るのは難しい。しかし現時点で感じたのはまず「むき出しだ」ということだった。問題意識というか意図というか、むしろ”意気”みたいなものだろうか。それがむき出されている。「スカートをはかないなんてもったいないよ」というセリフに、「あの子のふとももなら触りたい」というセリフに込められた意気があまりにも濃くて、逃れる隙間がどのページにもなくて、ちょっと読んでいて息が詰まった。

 ただ、「ミニスカートはお前らのためにはいているわけじゃない」というセリフには、「いい加減次のステージへ進みたい」という力強い願いを感じたし、それを私はポジティブに受け止めた。これは完璧な作品ではないかもしれない。でも何かを変えようとしている作品であることはたしかだ。この先どうなるかまったくわからないけど、少女誌で、ヒロインが男に「ミニスカートはお前らのためにはいているわけじゃない」と怒鳴る作品が編集長肝いりで投下されたという事実を、私は覚えていようと思う。

 

 ついでに今日のこと。今日は午後タンゴのレッスンに行って、その帰りにビッグカメラに寄った。ディスプレイとPCをつなぐケーブルがぶっ壊れたためだ。店員さんに聞いて、ちゃんと正しいものを選んでもらった。帰りはパスタ屋でナスとベーコンのパスタ。

 明日からもドタバタ。