考える引き出し

小池みきがなんでも書くところ・タンゴ練習記録多め

父とピアノのトラウマ(レッスン25回目)

前半2人、後半3人。台風だから人が少ないかと思ったけど、まあまあいつも通りくらいだ。

前半、男女一人ずつだったので先生と踊る回数がとても多く大満足(合計4回?)。今日は半分以上ダリエンソ。コントラティエンポをうまく入れて踊る、というのが課題だった。ある種の動きのときに先読みをしすぎるのが私の大変悪い癖だが、基本的にはついていくことはできた。男先生にも「よくついてこれてます」とのコメントをいただく。しかしまだ全然まっすぐ立てている気がしない。カレシータがだめすぎる。あとボルカーダをつかみそこねた。

コントラティエンポの途中、「みきさんはこの辺りもうできてるから次の話をします」とオーチョ・ミロンゲーラについて聞く。小さいオーチョだと思ってたこのリード、オーチョ・ミロンゲーラだったのか。ユージン先生のとこのミロンガで何度もやられて何度も「なんでこんなにオーチョのリードが小さいんだろう」と思ってたんだよな……あのとき踊った男性陣すまん……。

後半はそのオーチョ・ミロンゲーラと、小さいボルカーダ、クロス歩き、ケブラーダ。私は前重心寄りの動きの方が圧倒的に下手なので、この中だと一番小さいボルカーダが下手。たぶんこれって背面の筋肉が弱いからなんだろう。

そろそろもうちょっとアドルノを入れられるようになりたい。今のところラピスくらいしかできないのだ。

 

今日考えたこと。

男先生と踊るとき(あるいは男先生に見られながら踊るとき)、私は本当に呼吸が浅くなってしまう。というかほとんど止めている。毎回、どこかのタイミングで「いかんいかん」と思って大きく息を吸う。レッスン初期のころよりはましになってきたが、まだ直らない。

ミロンガで他の人と踊るときは、呼吸が止まっていたりはしない。ユージン先生と踊ったときだって別に止めなかった。止まるのはうちの教室でのレッスンのときだけだ。

理由はわかっている。私は「自分の指導者であり、自分をジャッジする"男性"」というのが基本的に怖いのである。そこに父を重ねてしまうからだ。

20年以上前に死んだ父は、私にとって本当に恐ろしい存在だった。父は私のことを”かって”くれていたが、その分ものすごく私の言動に対して厳しく(妹や弟にはそんなに厳しくなかった)、またなんというかちょっと芸術家気質なところもあったから、その厳しさがかなり限定的な、変なところで発揮されるのだった。

たとえばこんなことがあった。

まだ小学校にあがったかあがっていないかくらいのある日、私は家でピアノのテキストを繰って、まだ習っていなかった「子犬のさんぽ」かなにかを適当に、譜面から読み取れる雰囲気だけを頼りに楽しく弾いていた。私はピアノをほとんど耳コピで弾く人間だったので(当時はその自覚がなかったが)、譜面はあまり真面目に見ておらず、イメージだけで弾いていたと思う。

そうしたら、音楽演奏マニアである親父がブチギレたのである。

父は仕事部屋から鬼の形相で飛び出してくると、私に「知らない曲だからっていい加減な弾き方をするんじゃないッ!!」と怒鳴った。冗談抜きで、その瞬間私は椅子から10センチくらい飛び上がった。

そして、そこから2時間スパルタレッスンが始まったのである。楽しかったはずのピアノ時間が、あっという間に地獄の特訓タイムになってしまった。間違えると、父が容赦無く手をひっぱたいてくる。つらくてつらくて私は泣いた。

父のキレるポイントというのはいつもそういうところにあった。TVゲームをいい加減にやっているからと怒鳴られたこともある。勉強ができなかろうが運動ができなかろうが一切何も言われたことがないし、ありとあらゆる理由で褒め倒してくれていたが、「いい加減であること」に対しては、たとえそれが趣味のことだろうと父は真剣に腹を立てるのだった。

そんなことがしょっちゅうだったから、私は何をやるときも、「誰か(特に自分が尊敬している男性)に『いい加減にやっている』と思われること」がいちばん恐ろしいのである。タンゴの男先生より前にも、何人もそういう対象がいた。ある意味では元恋人もそうだったかもしれない。

いい加減にやっている人間だと思われたくない、ちゃんとやっていると思われたい、褒められたい、叱られたくない、見捨てられたくない、この場をやりすごしたい……。

そういう気持ちが私を萎縮させ、固まらせ、呼吸を阻む。

当たり前だけど、男先生は何一つ父に似ていないし(あえて言うなら魚座ってところは同じか)、私のことを別にいい加減だとかなんとか言ったりもしないだろう。

それでも、私の心はこの状況(好ましく思う年上の男性に、ジャッジされる立場に置かれている)を「アレ」の再現としてとらえ、気持ちごと過去を追体験しようとするのである。人間の心というのはなんて厄介な、いじらしい、幼いものなのか。

ちゃんと腹で呼吸しながら先生と組めるようになりたい。ミロンガで踊るときくらい楽しむ余裕も持ちたい。

「父と私」という型と違うものを人生に増やしていきたいと切に思う。