考える引き出し

小池みきがなんでも書くところ・タンゴ練習記録多め

川のそばにいたい

先日、知人占い師とお茶をしていて「『好き』と『好ましい』って違うと思うんだよね」という話をされた。好きは同化や所有を志向する感情で、好ましいというのはもっと引いた、しかし自分の中に何か善きエネルギーをもたらす感覚だと。

それで言うと、私にとってタンゴは「好き」、タンゴの先生たちは「好ましい」なのだなあと今日ふと思った。タンゴとは同化したいが、先生たちと同化したいわけではない。先生たちのことは、見ていてただ「いいなあ」と思うのだ。

昨日から、女先生が書いていたある一文のことが忘れられず、暇さえあればそのことを考えている。頭の中で何度も何度も、彼女の表現したその光景を再現する。こういう行為のなかで、私の頭の中には勝手に架空の物語がたまっていく。それが「好ましい」ものとなったとき、私は文章を書いてみたりなんかするのだ。

ということとは関係なく今日も汗だく状態で9時頃起床。飯も食べずにすぐに原稿にとりかかり、12時頃までノンストップ仕事。なんとか昼過ぎに案件Aを終え虚脱する。

昼飯を作る気力はなかったので、行きつけの喫茶店に行ってマグロ丼を食べた。

そこの若旦那が私に話しかけてきた。

若旦那「小池さんって、タンゴ踊られるんですってね」(←私のFBを見ているのだ)
小池「そうです。タンゴってわかります?」
若旦那「あのー、フラメンコみたいな」
小池「まあ、親戚みたいなものと言えなくもないです」
若旦那「いやしかし意外でした。普段のいらしてる姿からは想像できなくて……」

そりゃあできるまい。だいたいこの店に来るのは、締め切り直前でぼろぼろ状態のときなのだから。高確率ですっぴんだし、頭も『凪のお暇』状態だ。

疲れが溜まっていたので、いけないと思いつつパン屋でパンを買い、むさぼり食べてしまって後悔する。血糖値のジェットコースターで頭が痺れた。

19時ごろまで仕事Bをやり、虚脱第二弾。ビデオ屋にDVDを返しに行き、ついでに川原を歩く。

川原にいるときに感じられるあの独特の「生きている」という気持ちを、家の中では絶対に再現できないのが残念だ。友達が「海の見えないところには住めない」と言っていたが、その気持ちはよくわかる。私もできれば水辺に住みたい。でも今通っているタンゴ教室からあまり離れたくもないのだ。好きなものと好ましいものがそこにあって、川は私にとって好き嫌いを超えたものである。

朝 なし
昼 マグロ丼 蒸しパンとレーズンパン
夜 鳥ささみとアスパラとこどもピーマンのにんにく炒め ご飯 納豆