考える引き出し

小池みきがなんでも書くところ・タンゴ練習記録多め

8月突入

8月1日(水)

午前中は、訳あってビジネス交流会的なものに出席。ひたすら名刺交換をし、仕事の話をする。「ライターって、どういうものを書いていらっしゃるライターなんですか」「へい、わたくしは主に書籍の文章や雑誌の特集ページの文章などを書いてきたライターでございまして……」なんて話をしているうちにあっという間に二時間。頭をペコペコ下げて、笑顔を貼り付けてあっちへこっちへ挨拶していると、自分が極め付けのバカになったような気がしてならない。

昼食の時間帯には、たまたま隣に座った男の子(男の子ったって26歳だから立派な大人だけど)とずっと話をする。「マーケティング的な観点で書かれた文章にはやっぱりある種の限界がある。私は心のこもった文章を読みたい」と話したら妙に感激された。彼もこれからいろいろ書きたいのだという。変な方向に煽ってしまっていたかもしれない。

午後家に帰り、遊びにきた牧村朝子と四時間ほどひたすら喋る。床に寝そべって、社会のことから個人的なことまでただただ言い合い、聞きあった。牧村は杉田水脈と対談をしたいという。どこの媒体でもいいから二人を引き合わせてくれんものか。構成はもちろん私がやる。

夜はタンゴのレッスン。先生たちとたくさん話せて嬉しい。

少し前に女先生に二人の似顔絵をプレゼントしたのだが、それについて女先生に「みきさんの絵、○○(男先生)の腕の感じとか後頭部の感じとか、とにかくすっごく雰囲気が似てるんだよね〜。どうしてそんな風に描けるんだろ」と言われて嬉しい。「”印象”を描こうとしているからだと思う」と説明をした。

それにしても、先生たちの絵を描いてみて、やっぱり私の中に「絵を描きたい」という欲求はあるのだな、と再確認できたのはよかった。愛おしいと思うものをビジュアルにしてみたいと思う、そういう心の動きが自分の中に本当にあるのかどうかときどきわからなくなるのだ。

"印象"を掘り下げるのが好きだ。印象は印象だけではちょっと弱いけど、その底には人間の全てがある。

 

8月2日(木)

イースト・プレスから漫画原稿が返ってきた。次の漫画をいつ描こうか、ぐずぐず考える。

午後、同世代の男性ライターA氏と二人でカレーを食べながら喋る会。二人きりで話したのはちょうど2年前くらいのことだった。どちらも、その頃とはまったくいる場所が違う。やっていることもがらりと変わった。ついでに言えば外見も変わった。面白いことだ。

彼が話の中でこんなことを言った。

「少し前に目上の方から、書いたものについてすごく失礼なことをいきなり言われたんですよ。でも、いきなりすぎて怒るとか悲しいとか思えなくて。ただただ『えっ?』ってなっちゃって、そのあとは保身のために必死で笑ってペコペコしてしまった。そのことに自己嫌悪があります」

同情の言葉を述べつつ、そのあと思わず言ってしまった。

「その感覚を覚えておいてください。それが、セクハラされたときの女性の感覚そのものなんですよ。Aさんは、いきなり尻触られたとの一緒。だけど向こうは『うんうん、俺に触られて喜んでるな』としか思わないんです」

二人で社会のことを喋りまくり、「またちょいちょいこういう話をしましょう」と言い合って別れる。

夜は仕事関係の人たちと飲み会。中の一人に「小池さんはホロスコープが読めるんです!」と喧伝され、しばらく星占い芸人をした。私のホロスコープ読みなんていい加減なものでとてもまともなものではないのだが、まあ場を盛り上げるために使うくらいならいいだろう。その場にいない人の、これまたその場にいない人への気持ちを聞く占いを頼まれて、それについてはしっかり断れたので自分で自分にOKを出せた。

帰り道、手品の堪能な男の子に「あまり星占い芸人をすると、そうとしか見てもらえなくなるから厄介なんですよね」と言ったら「わかります、手品もそうです」と頷かれた。星占いと手品は似ていると思う。どちらにもストーリーがあり、驚きがあり、観客はその驚きを期待しており、期待を利用してこちらは罠をかける。

 

8月3日(金)

1日、頭から湯気を出しながら仕事。しかし、昼下がりにこの記事を読んでしまって仕事の手が止まる。

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読んだ瞬間、あまりの怒りと悲しみに久々にガーッと頭に血が上った。手がぶるぶる震えて止まらなくなった。このあふれんばかりの女性蔑視、「どうせ可愛い若い女はおっさんがいじったってどこかで勝手に良い目にあってるだろう」という甘えた精神がダダ漏れている構成、どれをとってもひどい。救いようがないのは、常見さんがこれを「一般的に面白いだろう」と思って書いていることだ。それは宮崎さんの「読モライター」記事も同じなんだけど。

「読モライター」という言葉については、触れない方がいいと何人にも言われていた。メリットがないからやめろと。でもこんな風に飛び火していくんだったらやっぱり言及せざるを得ない。私はこの呼び名が大嫌いだ。「ルックスの話にするつもりはない」と宮崎さんは言っているが、「モデル」という言葉を使ったその瞬間に、ルッキズムとの切り離しは絶対に不可能になる。もっと言えば、「読モ」は比重的に「若い女性」を連想させずにおかない言葉だ。それを「ある集団の、ある界隈に見られる傾向を取りまとめて言う」ためのカテゴライズの言葉として用いることの意味を、言葉を使う商売の人間がわかっていないわけがないのである。これについては今度きちんと言葉にしてみたい。

ライターのレベルが下がっている、と言う編集者やライターは多い。でもそれは「編集者のレベル低下」とセットだ。そして、より多く責任を問われるべきは編集者のはずである。より広い目で作品とその周辺を眺めてクオリティを保証し、最終的な責任を負うために編集者はいるのだから。広報だって同じだろう。「仕事のできないキラキラ女子」をはびこらせているのは彼女たちじゃない、彼女たちを使役する側だ。権力側を批判しないで、比較的若手が多いと思われる領域をフワフワあいまいに攻撃するなんて、それをしかも「おじさん」がやるなんて許しがたい。こんな記事を書かせた編集者も同罪だと思う。

頭にきすぎてしばらく寝込んだあと、仕事。3時までかかったがなんとか山は超えた。明日もやることは山積み。