考える引き出し

小池みきがなんでも書くところ・タンゴ練習記録多め

どうでもいいからどうでもよくない

極端で正反対な気持ちが常に同時並行で走っている。それが私の通常モード。

死ぬほど働きたい気持ちと呼吸以外のなにもしたくない気持ち、目立ちたい気持ちとまったくの無名の人間でありたい気持ち。相手を抱きしめたい気持ちとぶん殴りたい気持ち、生きていたい気持ちと眠ったままでいたい気持ち。それらすべてがいつでも頭の中に同時に存在していて、フォーカスしているポイントも一秒ごとにめまぐるしく移り変わっていく。でもその間もいつだって、目の前のそれと反対の何かが後ろから睨んできている感覚を忘れられない。なんでかわからないけど、子どもの頃からこういう「何かと何かを同時に感じている感じ」というものに追いかけられていて、ただぼんやりしているだけでじゅうぶん疲れるのだ。これを指して母は私のことを「考えすぎ」と言うのだが、考えすぎというより感じすぎているんだろう。覚醒剤に興味をもてないのは、こういう世界観をさらに拡張することにまったく興味がないからである。

私は、社会のあらゆる問題を根本的にはどうでもいいと思っている。そしてだからこそものすごく必死になれてしまう。どうでもいいということは、まったくどうでもよくないということなのだ。私にとっては。どうでもいいことだからムキになるし、戦えるのだ。半端にどうでもよくないと思っていることについてはそんな風になれない。ただ、ムキになって戦うことができるそれについても、必死になればなるほどつまりはいつもどこかで「どうでもいいなあ」と思っている。

この感覚はなかなか人に伝えられない。下手に伝えると「なんて冷たい人なんだ」と思われておしまいなので積極的に言うことはない。でも、この感覚があるから避けられるリスクがかなりあるな、ということも最近よく感じる。それが良いことだと思っているわけではない。「これはどうでもよくない」というポイントだけにしがみついている人の無防備さを見ると、自分がものすごく小狡くてしぶとくて嫌な奴に思える。まあ、それが自分だからしょうがないんだけど。

朝 なし
昼 ごはん 車麩 サラダ スープ
夜 ごはんの上に鳥ささみ・ネギ・ピーマン・卵・ミニトマト