考える引き出し

小池みきがなんでも書くところ・タンゴ練習記録多め

07/08

熊野筆で化粧をしていると、絵筆とえんぴつを持ってスケッチに行きたくなる。もう10年以上水彩絵の具を使った絵とか描いていないな。どこかでゆっくりのんびり描きたい。今の時期だとちと暑いけど。

07/08のメモ。朝から会社Aからゲラが来る。19時頃まで家にこもって会社Bの仕事。NHKニュースを流しっぱなしにして、警報や速報に常時気を配りながらの仕事だった。どんどん被害者の人数が増えていくことになんとも言えない気持ちになる。倉敷市などの水没の様子にはびっくりした。まさかこんなことになるなんて、雨が振り始めたとき(もう大昔だ)には考えもしなかった。

B仕事から離れても大丈夫な1時間を使ってAのゲラを急いで校正、送り返す。

B仕事を終えてから、一度川原をウォーキング。頭を無にしたくてひたすら特撮音楽を流す。帰りにクリームチーズとトマトを買う。帰ってからはCの原稿の締切をやっつける。結局2時頃までかかってしまった。同じ文量を、林真理子だったら1時間で書くはずなのだ。本当に精進が足りない。精進というか、緊張感とリズム感なのか。

 

朝 パン

昼 ささみネギ卵どんぶり

夜 食べた記憶がない

 

考えたことメモ。

↓のWEB記事を読んだ。

www.webasta.jp

言っていることにはもちろんおおむね賛成する。ただ気になったところもあった。

まず、「特定の人たちの尊厳を損なう言葉」が社会に蓄積していくことが恐ろしいです。
 SNSは言論空間であると同時に生活空間でもあります。あのような言葉が生活圏に存在すること、またそうした生活に違和感がなくなってしまうことに、私は恐怖を覚えます。
(「ああした言葉に共鳴してしまう人の背後には何があるのか」という問題についても考えるべきですが、それは「ああした言葉が溢れることの怖さ」を指摘した後の話です。)

 わかる。わかるのだが、「それは『ああした言葉が溢れることの怖さ』を指摘した後の話」という言葉に私はひっかかる。

個人的には、「ああした言葉があふれることの怖さ」と「ああした言葉に共鳴してしまう人の背後にあるもの」は不可分であり、どちらについて語ることも、両方を語ることになるだろうと思う。順序をつけてはいけない気がする。

そして、「ああした言葉があふれることの怖さ」のみを言い、それに強く共感し合う空気が生まれる場というのは、結局のところ何か危険なんじゃないかとも考えるのである。