考える引き出し

小池みきがなんでも書くところ・タンゴ練習記録多め

小池はこれまでどうしてきたのか(4000字)

◯ミッションができた子ども時代


1987年1月7日、母の実家がある三重県桑名市の病院で誕生。
産声は「オギャア」ではなく「ズルズルビー」であった。

病弱だったが、名古屋ですくすく育つ。
物心ついたときから、小説書きとお絵描きに熱中する子どもだった。

小学二年の頃、公園で知り合った男の子に
自作の絵本をプレゼントしたところものすごく喜ばれる。

しかし「また来週新しい本を作ってくるね」という約束を
引っ越しによって守れずに終わり
以降「どこかにいるあの男の子」に読まれるような本を作るというのが
私の人生の目標のひとつとなった。

また、小学6年生のときに
原稿用紙186枚の長編小説を書いて出版社に投稿してみたことで
「自分には長い文章が書ける」と確信。
その後も、200枚以上の小説ばかり書くようになる。


◯父の死


幸せに暮らしていたが、小学4年生のときに父が過労死。
以降、小池家は急激に困窮していく。


もっとも厳しかったのは私が高校生の頃だった。

当時の小池家のメンバーの状態は

捨て猫を見るとすぐに拾ってしまう超ド天然ライターの母、
クラリネットに取り憑かれた元引きこもりの毒舌な次女、
日本の古い歌謡曲を愛する気弱な長男、
そして、高校では生徒会長と剣道部部長をつとめ、
「月刊秘伝」を愛読する武闘派な長女、というもの。

さほど悲観的な暮らしではなかったものの常に家計は厳しく、
私も試食品販売のアルバイトをしたり
母の下請けでライター仕事をしたりして家の財布をサポートした。

高校卒業後は、「大学進学費用を貯める」という名目でフリーターに。
地元の本屋でせっせと働き、やはり小説を書く。
一度商業デビューしかけるも、企画自体が頓挫という結末を迎える。

この時期、計450枚という個人史上最長の小説を書いていた。


◯借金600万円貯金15万円で上京、ADからホステスへ

 

2年のフリーター生活を挟んで大学に進学。
なぜか演劇活動に狂い、舞台監督や制作業務に熱中。

学費を払うためのバイトと演劇活動で過労状態となり、
この頃は毎日のように蕁麻疹と熱を出していた。

家計の足しにするため奨学金をフルで借りていたため、
この時点で600万円の借金を背負う。

大学卒業後、急に東京で暮らしたくなり
貯金15万円、ボストンバッグとパソコンだけ抱えて丸腰上京。
渋谷のシェアハウス(5LDK33人住み)に住む。

「文章のことばかり考えていると視野が狭くなるかもしれない」

と考えてテレビ番組制作会社に勤めてみるも、
テレビ番組の作り方にはまったく納得できず4ヶ月で退社。

「貯金もないのに無職ではさすがに奨学金の返済がヤバい」
という不安と、一度はやってみたいという好奇心から
次にやってみたのはホステスであった。

顔面にあまりに自信がなかったので、
とりあえずハードルの低そうな
ホステスの派遣会社に行ってみて言われた言葉が

「もっとバカっぽい喋り方してくれたら大丈夫」

だったため「まあなんとかイケるんじゃないか」と思い、
目についた銀座のホステスクラブで働き始める。

 

◯『百合のリアル』


しかしその直後に派遣の面接で行った金融会社で
いきなり好条件の正社員前提内定をもらってしまい、
専業ホステスになる機会は逃す。

結局、3,4ヶ月でホステスクラブづとめはやめた。
この時期を経てウイスキーが大嫌いになった。

金融会社ではWEBマスターとしてWEB周りの業務を担当。
ほとんど働かなくても月30万円入ってくる状況におののく。

金銭的に潤ったので、この会社員時代には2回引っ越しをした。

それと平行して、シェアハウスで知り合った友人・牧村朝子と
新書の企画『百合のリアル』を立ち上げ、
当時星海社新書の編集長だった
伝説の編集者・柿内芳文氏のところへ売り込みにいく。

書籍の企画・編集の実績などないにも関わらず

「牧村朝子に本を書かせないような編集者に見る目なし」

ぐらいの傲慢さで面談に挑んだところ、
時流を読み間違えない柿内氏から見事GOサインを奪取。
書籍制作未経験の二人だったが、なんとか本を作り上げるのだった。

これがきっかけで私の元にはライティングの仕事が舞い込み始め、
なし崩し的に「ライター」名義の名刺を持ち歩くようになる。

また、牧村朝子のPR用に描いていた漫画に書籍化の誘いがかかり、
イースト・プレスから発行されることも決定。

文章本と漫画本、ふたつを並行して制作することになったのだった。

 

◯借金の重ね塗り、そして鬱病

 

集中して漫画を描きたかったため、2014年の3月に金融会社を退社。

さほど働かずとも年400万円もらえる、という状況を捨てることになったが
あまりにもその会社とそこの社長が嫌いだったため未練はなかった。

このとき、「働くというのは金の問題ではないのだ」と改めて痛感。

しかしこの直後、実家のさらなる困窮をカバーするため
不本意ながら新たに100万円の借金(by消費者金融)を背負うことに。

それまでもずっと援助し続けてきていたので、
さらなる打撃に落ち込みまくる。

「早く返さないと利息がヤバい」
そんな強迫観念の中、3ヶ月ほど家に引きこもって漫画を制作した。

完成原稿を編集者に渡すと、その翌日からすぐに派遣社員として日銭稼ぎを再開。
D通グループの某社でWEB分析アシスタントとして働き始める。

が、それまでの過労の噴出と、
漫画作業で根を詰めすぎ神経を弱らせたことから
ここでついに鬱が発動。

会社につくなり手の震えが止まらない、
一日中頻脈が収まらないなどの症状が出始め、
病院の診断書が出たことから強制退職となる。

また、さすがに生活の限界を感じ、名古屋の実家へ帰ることを決めた。

 

◯ゴミ屋敷と化した実家から逃げて西宮へ

 
「実家で少しはのんびりしよう……」

そんな風に考えて帰省した私だったが、
そこで待ち受けていたのは予想外の光景だった。

私が帰らないでいた間に家の規律が失われ、
ほとんどゴミ屋敷と化していたのである。

これでは休むどころではなく、
私はブチ切れながら大掃除を開始した。

「絶対このことを漫画のネタにして元とってやるからな!!」

その誓いはのちに、『家族が片づけられない』という
コミックエッセイの制作によって果たされる。

あらかた家を片付け終わった辺りで、
学生時代にバイトしていた出版社から
「西宮市で長期取材の仕事をしてくれないか」
と持ちかけられ
家から逃げたいこともあり飛びつく。
2014年の12月から2015年の2月まで
私は西宮市のウィークリーマンションで生活することになった。

隙間風の吹き込む家を根城に、
撮影機材を背負って自転車にまたがり
西宮の南部から北部までを駆け回る日々。

「いざとなったらどこでも生きていけるんだよな……」

という想いを新たにする。

 

◯再び上京、謎のラッキー三昧


2015年の4月、再び上京。
今度は経堂のシェアハウスに住む。

相変わらず借金まみれ、貯金は100万円を割り込み、
おいしい仕事のアテもない。
さてどうするか……。

と悩みながら私が取り組んでいたのは、
職探しでも婚活でもなく

「貧乏性を治す」ことであった。

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しかし、こればかりに取り組み、
あとは経堂のカフェでドライカレーを食べたりうろついたり
といったことばかりしていたところ、まさかの展開になった。

6月に入ったところでまず昔の上司から
「住むところがないなら東京の家を貸しますよ(激安で)」
と連絡をもらい

金融会社時代に挨拶したことがあるだけの人から
「今度新しいWEBメディアをつくるからそこのライターをやってくれ」
と連絡をもらい

たまたま仕事先で出会った男性と
あっという間にいい感じになって人生初の交際に発展するという

「家・金・男のつかみ取り」
を成し遂げてしまったのである。

生活が一気に安定した私は、エッセイ漫画を描き下ろしたり、
ライター参加させてもらったメディアの編集長を口説いて
新書をまた一冊新たに制作したりと
順調にライター・漫画家としての実績を積み上げ、
入ってきた印税で例の消費者金融からの借金も一気に返済。

またその直後、
大ベストセラー『嫌われる勇気』の企画・執筆で有名な
生ける伝説のブックライター・古賀史健氏から誘っていただき
バトンズのメンバーになるというあまりに光栄な出来事も発生し、

さらにさらに、それを受けて恋人から同棲も提案され、

もはや我が日常に死角無し、
という境地に達したのであった。

 

◯限界点と初心

 

「これだけ恵まれているのだから、
頑張って良いライター・良いパートナーにならなければ」

と思いはりきり侍になった私は、仕事に家事に邁進。
ベストセラーの制作にも関わることができた。

しかし、その生活を続ければ続けるほど
体調はなぜかどんどん悪くなっていくのであった。

そして思い出したのは子どもの頃のこと。
好きなだけ空想し、物語を書き、
それを小さな男の子に喜んでもらえて満足していた、
何も考えていなかった頃のことだった。

「そういえば、ライターになりたいと思ったことはないんだよな……」

「できる」から、「やらねば」と思ったからやり続けてきた。
しかし、一方で自分の「こうしたい」のことは疎かにしていた。
「やらねば」の仕事をしながらでもそれはできる、と思っていた。

でもそれほど自分は器用ではなかった。

勉強量も根性も足りなかったのだ。


2017年の春、腹をくくってバトンズを退社。
再びフリーランス状態に戻る。

 

◯本当にやりたいこと

そこからの1年間は、

自分が本当にやりたいことは?
本当に書きたいことは?
何を許せないと思っているのか?
何を次世代に引き継ぎたいのか?

などを考えながら、
やりたいと思った仕事だけをしながら過ごした。

そして2018年の春、同棲していた恋人とも交際を解消。
再スタートを切るべく、東京の某下町に移り住む。

もっと正直に、もっと貪欲に、もっと身も蓋もなく、
もっと社会にはたらきかけられるような文章を書きたい。

そんなことを考えながら、
2018年6月現在も、日夜キーボードを叩いたり
アルゼンチンタンゴを踊ったりしています。